三十匹め『ばらばらスクランブル』

 朝食後、あまり長居してもと思い帰る旨を刀祢に告げた。


「まったく勝手なやつだ。来たなら来たでゆっくりしていけばいいものを」


 それから定期的に毒づかれている。

 部屋を片づけて子供たちと遊んで、駅についたのは日も高くなってからだった。暑い。


「じゃ、行くわ。お二人ともお元気でね」


 クシビが改札を抜けつつ手を振った。白いワンピースドレスが涼しげだ。


『観光したいから』


 そう話した彼女は礼人より時間の早い各駅停車へ乗っていった。


「物好きなやつだ、こんなところ」

「みんな地元だとそう思うんじゃないですかね?」


 礼人も故郷の名所名物などとんと浮かばないが、帰省すればけっこうな数の旅行客を見かける。

 礼人は聞こうか聞くまいか迷い、けっきょく好奇心がまさって訊ねた。


「八ケ代先生にとってはどういう立ち位置なんですか、あの人?」


 二人で座った待合所のベンチ。

 隣からの視線がじっと横顔へ注がれているのがわかる。


「……どうしてそんなことを聞くんだ?」


 わずかに揺れた声。礼人は慌てて弁解した。


「あっ、いえ、その僕、余計なことしたんじゃないかと。もし八ケ代先生がいろいろ考えて今みたいな状態なら……ええと」


 そもそも刀祢はそう鈍感なタチではない。むしろ感情の機微にはさといほうだ。まあ読み取った上ですべて無視する傍若無人ぼうじゃくぶじんさも刀祢の性格なのだが。

 刀祢は嘆息して、前を向いて話しだした。


「そうだな……別に嫌ってるわけじゃない。面倒だとは思ってるけど」


 陽ざしの中を抜ける風が少しだけ首元を涼しくする。


「ただ、自分の道を探せばいいと思ってるだけだ。あいつも憧れ以外で書きたいものがいつかきっと出来る。そのとき形にできるかどうかは日ごろの行い次第だからな」


 日ごろの行い、つまりどれだけ自身と向き合い、その思いにアンテナを張ってきたか。


「心配してるんですね」

「あんなでもファンだからな。ファンは大事にするさ」


 一般論のように言ってもう一度ため息。先のよりも重い。


「……そのほかの諸々に関しては、若すぎる。学生だぞ学生。どうしろっていうんだ」

「は? ちょっと待ってください、何歳なんですかあの人」


 エキセントリックな風貌に偉そうな態度。年齢不詳感はあっても若くて同い年かそこらだと思っていた。


「いま卒論を書いてるらしい」

「嘘でしょうマジですか」


 デビュー年までは知らないが、そうとう若くしてデビューしたことになる。末恐ろしい名人もあったものだ。


「……ちなみに何浪ですか?」

「あっはは、まんまアイツの前で言ってやれ。大喜びするから」

「嫌ですよ、人を悪口の鉄砲玉にしないでください!」


 驚きの事実におののいていると背後で自転車のブレーキ音がした。


「兄さん、これ」


 降りてきた梓が抱えるバッグをみて二人とも目を丸くする。

 それはかつて実家へ帰る刀祢が持っていたものだったから。


「そろそろ頭も冷えたでしょ? いい機会だから連れて帰ってもらいなよ」


 バッグが刀祢に押しつけられる。


「お前、何を勝手に――!」

「言っとくけどお父さんもいいって言ったから。今日はもう敷居またがせないって」

「無茶な頼みを簡単に聞き過ぎだろう、くそ!」


 そんなやりとりが数度かわされ、刀祢はがっくりとうなだれた。


「いや、いやいや、今さらなんて言って戻れっていうんだ?」

「何も言わなくても戻れるようにします! 任せてください!」


 食い気味でその手をとると刀祢は困り果てたように視線を右往左往させた。


「い、いや、でもな。正直いまの担当とは相性が悪いっていうか……」

「……その辺は当人と局と話し合って決めてください!」

「急に腰が引けたな!?」


 仕方ない。それは力になれない。一度タッグを組んだ以上どうするにしても二人で決めなければいけないのが作家と担当編集だ。来島に何か頼んでも困らせてしまうだろう。


「そもそもだ、俺はまだアシストAIとやらを認めたわけじゃない。アヤトの考えは理解したけど自分で使うつもりにはなれない。それでもいいのか?」

「はい」


 迷いなく礼人はうなずいた。


「そんなことをしなくても先生を待っている人達が大勢います。もちろん僕も。どうか戻ってきてください」


 まっすぐ見つめる刀祢の顔に朱がさす。ぶるぶると頭をふった彼は繋がれた手を強引にふりほどいた。


「ええい、分かったから離せっ!」


 バッグの中身をひっかきまわし、空色のベレー帽で前髪を押し潰す。

 じろりと睨む片目がふいと逸らされた。


「アヤトにそこまで言わせたら断れないだろ、加減しろ馬鹿」

「え?」


 ゴトゴトと線路を踏んで快速電車が入ってくる。これを逃すとあとは各停ばかりだ。

 梓が明るい声で言う。


「牧先生、本当にありがとうございました。兄をどうかよろしくお願いします」

「ああもう余計なことを言うな。あと親父に伝言、二度と帰るかってな」

「もう」


 背中を押す刀祢に急かされるように車内へ。かすかな冷房が外との隔絶を感じさせた。


「……引き揚げの船を思いだすな」


 立ったままドアの窓から景色を眺めながら刀祢がポツリとこぼした。


「そういえばあの時も作家をやろうって話したんですよね」


 見たこともないほどんだグリーンの海と、その向こうの赤褐色の陸地。

 そらぞらしく平穏な波の音。

 日常に戻りつつある体と、いまだ戦地にある心とがゆっくりとゴムをのばすように引き離されていくあの記憶は、唯一フタをされずに心の隅におかれている。


「何でも聞けってお前が言ったんだ」

「馬鹿にするな、話くらい書けるって言ってましたね」


 実際書いてしまったのだから大したものと言うほかない。


「妹の絵本だけどな、あのとき書いたことがあったのは」

「それが原点だから楽しく読みやすいんだと思いますよ、僕は好きです」


 ベレー帽を押さえて刀祢は窓の外を見た。


「……またよろしく頼む。あと、あの時は怒鳴って悪かった」


 礼人もまた車窓へ目を移す。ちょうどトンネルに入ったので、そのまま笑って頷いた。



 新幹線の改札を出る。

 刀祢は都心近くに住んでいるため礼人が一足早く降りた形だ。

 駐輪場へ向かおうとして、胸ポケットのスマートグラスが通知ランプを点灯させているのに気付いた。

 かけて確認するとメッセージが届いている。クシビから、時間はつい今しがた。


   ⇒lightning‡princess:<落雷坂クシビです> 

   ⇒Maki0503     :<牧礼人です>


 初めてのメッセージなので若干間抜けなやりとりになる。

 だがあとに続いたそれを読んで礼人は数度まばたきをした。


  ⇒lightning‡princess:<あなたのひつ字、私のところにいるんだけど?> 

  ⇒Maki0503     :<どういうことですか?>

  ⇒lightning‡princess:<今すぐ確認して> 


 訝しみつつも無性にイヤな予感をおぼえて、フリック操作する。

 紙垂ひつ字のアイコンをタップすると[設定適応中…]という普段みないメッセージが一瞬だけ表示された。


『……ふにゅ、んぅ……?』


 表示されたアバターに思わず口が半開きになる。

 幼い容姿でフリフリのゴシック服を身に纏い、眠たげな目をしぱしぱと開閉する。それは落雷坂クシビのもとにいるはずの紙垂ひつ字。

 宙へ浮かんだソレは、礼人を認識するとまん丸く目を見開いた。



(第一章 了)

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電気ヒツジの海を往くハコブネ みやこ留芽 @deckpalko

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