十七匹め『ひんやりご招待』

 ふすまで仕切られた一間に通されてすぐディスプレイをかぶった。

 新作『旧世界のしるし』を丸ごと検索にかけて過去作との表現かぶりを確認する。刀祢に言われたとおり七箇所の重複が見つかった。


(すごいな、最初期に書いた物もあるのに)


 それだけしっかりと自作を読んでもらえた嬉しさと、そんな刀祢を失望させたという事実が心を重くする。

 一時間ほどかけて直した原稿データを編集・来島にメールで送付した。著者校ちょしゃこうは終わっているが余裕をみて進めてきたので、もし来島がスケジュールを前倒ししていなければ修正が間に合う。


「――新規プロジェクト」


 音声コマンドで宙へ張りだした過去作をすべて撤去する。

 締め切りは明朝。刀祢の作家生命がかかっている、と言うとおこがましいにもほどがあるが。

 正直、放っておいても刀祢はしばらくすれば筆をとるだろう。それは作家にとって寝食と同じようなもので、ひるがえってそういう人種でなければ作家にはなれないとも言える。

 けれどその“しばらく”すらしむべきだと思うのは自分のワガママだろうか。


(あぁやっぱり僕、八ケ代先生が好きなんだな)


 その作家の書いたものを少しでも多く、早く、死ぬまでに読みたい。できれば世間にも認められ評価されてほしい。そう思うのはファンとしては当然で、であればこれもファンレターの範疇はんちゅうだろう。


「よしっ」


 ぱしん、とほおを叩いて白紙の原稿へと向かう。

 そして――。



「……ぐふぅ」

『ああっセンセイ!?』


 さらに一時間後、礼人はうなだれ机に頭突ずつきした。

 周囲の空間には赤マーカーで斜線しゃせんを入れられた原稿が無数に並んでいる。


「駄目だ、どうやっても八ケ代先生にはね返される」


 作品で刀祢を動かす方法はひとつ。面白いものを書くことでそのプライドを刺激する。

 問題はひとつ。礼人のコメディ経験値が低いことだけ。


(いっそ普段の作風で書いてしまおうか?)


 いやそれでは刀祢を奮起ふんきさせられないだろう。礼人も刀祢の作品を感心して読むことはあれその才能に嫉妬しっとしたりはしない。ジャンルが違うからだ。


「何かヒントになりそうな……あ!」


 昼間、刀祢がひつ字を使って書いた原稿を呼び出す。

 ひつ字がもつ礼人の文体はややカタく、重い。それを刀祢は書きかえていたがそのまま活かされているらしい箇所もある。


(ツッコミだ、ツッコミはカタい言葉が混じっても面白い)


 コンビ漫才で一方が常識人を演じるように、読者目線に近い気真面目な主人公が破天荒な他のキャラクターを活かしている。けれど。


(これ、逆でもいけるんじゃないか?)

『……センセイ?』


 微弱な光で視界が明滅している。

 はっとして礼人は腕を振った。


「止めろ、ひつ字」

『あ……』


 ふりむけばひつ字が身を固くしている。その手は胸でぎゅっと握られ、揺れる瞳が礼人を見詰めていた。


『ご、ごめんなさい!』

「いや……」


 勢いよく下げられる頭。

 礼人は懸念をふるい落とすように頭を振った。思った以上に自分は刀祢から言われたことを気にしているらしい。


「原稿にするときはどうしたって君の力を借りることになる。まずは一人で考えたい」

『わかりました!』


 敬礼するひつ字。

 その時、トントンと廊下に面した障子が叩かれた気がした。

 時刻を確認する。23時、誰か起きていてもおかしくはないが。

 ディスプレイを脱ぎ立ちあがって戸を開ける。


「……落雷坂、先生?」


 間近にクシビが立っていた。暗い廊下を背にしたその顔色は心なしか青白い。


「どうかされましたか?」


 ただならぬものを感じ訊ねると、意を決したようにその口が開いた。


「いまひみゃかしら?」

「え?」


 思わず訊き返す。たぶん噛んだのだろうと理解しつつも。

 クシビは口元を押さえ羞恥しゅうちに耐えるようにうつむいている。


「……えと、暇ゃですけど」

「ッ!」


 凄い目で睨まれた。礼人なりになごませようとしてのことだったが。


「いえっ! その、あの、何のご用でしょうか?」


 からかう意図などないと全身で主張する。

 文句なしに売れっ子たるクシビの不興ふきょうを買った場合、それが狭い業界をどう巡って礼人を破滅させるか分かったものではない。


「――子供を見たの」


 何度かせき払いをし、慣らすように口を動かしてからクシビは言った。


「部屋の前に立っていて、目が合ったとたん縁側えんがわから庭へ飛び降りて……消えた」


 礼人は不穏なものを感じ訊ねる。


「消えた、とは」

「文字通りよ、すうっと」


 首筋を冷たい汗が伝い落ちた。


「……それ、いつの話ですか?」

「つい今しがたね。ところであなた霊感れいかんはあるほう?」

「ないです、ない、ない」

「そ、まあいいわ。ちょっと付き合ってくださる?」


 激しい拒否の念を込めて首を振る。その機先きせんを制するようにクシビが指をつきつけた。


煮詰につまっているんでしょう?」


 見透かすような瞳にいとめられる。


「なら来るべきだわ。笑いの極意ごくいはまったく笑えない状況にこそあるのだから」

(よく分からないけどすごい説得力だ……!)


 もはや確定事項とばかりに背を向けたクシビ。

 その思惑おもわく通りに礼人は動く。一人の自室が急にすずしく感じはじめたというのもあったし、笑いの極意という言葉にもついうっかり心かれた。切羽詰せっぱつまった作家はわらをもつかむのだ。

 いったん引き返してスマートグラスを手に取ると、礼人はクシビの後を追った。


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