二十八匹め『むっくり朝の人々』

 けたたましい鶏の鳴き声で起きると布団はもぬけの殻だった。

 身体のふしぶしがベキベキと鳴る。大きく欠伸あくびをして頭を振った。


(顔、洗おう……)


 さすがにこのまま朝食に顔は出せない。

 部屋を出ると梓と鉢合わせた。


「あ……っ」


 つっと目を逸らされる。はて。


「おはようございます……?」

「おっおはようございます! えっと、よくねむ、眠れっ……~~っ」


 噛み噛みだ。そこであっとひとつの可能性に思い至る。


「もしかして落雷坂先生とも会いましたか?」

「っ、は、はい」


 この感じだとあらぬ誤解を受けているらしい。


「きのう夜中に寝ぼけて僕の部屋に来たんですよ。で、そのまま寝ちゃったので仕方なく」


 嘘は言っていない。今考えればあれは徹夜後のテンションに近かった。


「あ、そうなんですね。……あれ、でもお二人の部屋って離れて……」

「それは……」


 しまったと礼人は言葉を選ぶ。が、その間で何を察したのか梓はぶんぶんと手を振った。


「い、いいんです! ごめんなさい立ち入ったことを!」

「いえ、よくないです。心外です」


 押し問答になりかけたところで背中から声がかかった。


「何が心外ですって?」

「ひゃぁっ」


 梓がぴんと背筋を伸ばす。助かった、と礼人は息を吐いた。



「私、大きな男の人って趣味じゃないの」


 状況を聞いたクシビは髪をかきあげて言った。


「何かこう、見下ろされると腹が立つのよね。警戒心が先に立っちゃうっていうか」

「動物的な世界観ですね」


 じろりと睨まれ礼人は口をつぐんだ。クシビは気まずそうに目を伏せると大げさに肩をすくめる。


「まあでも昨日は悪かったわ。自分でもあんなに一瞬で眠たくなるとは思わなかったのよ。布団も……ありがとう」


 何か言いたげな含みがあったが礼人はそれを気にせず応じた。あえて触れないほうがいいこともある。


「と、ころで昨日、あれからどうなったんです?」


 話題の転換もかねて梓に気になっていたことを訊ねる。

 梓がぱっと顔を明るくして手を打った。


「あっそうそう! ちょうどいま朝会をしているところなんです。もし良かったら見に来られますか?」


 礼人とクシビは顔を見合わせた。



 途中で顔を洗ってから梓たちに追いつく。

 本堂にはまばらに人が座っていた。

 数は子供が十数人と大人が5、6人。昨日見なかった顔もある。

 座卓は今は出ておらず、本当にそれぞれが思い思いの場所にいる。ちょうど真ん中あたりに神辺もいた。


「アークのメンバーです。何人かは食事の当番をしてくれていますけど」


 入ってすぐの場所に立って梓が説明してくれる。

 中ではちょうど一人の少年が立って話していた。


「――なので今日は昼間にたくさん手伝いをして、夜はちゃんと寝ようと思います」


 きのう神辺の部屋にいたうちの一人。ぺこんと頭を下げると全体から拍手が起こる。

 梓が言った。


「朝会では予定や連絡事項のほかに小さな報告会をするんです。昨日の自分はどうだったか、今日はどう過ごしたいかって。そうして小さな自律を積み重ねるんです」


 子供が座り、かわって神辺が立ちあがる。


「えージブンは、子どもたちを喜ばせようと……ついでに誘惑にも負けて三日前の夜からディスプレイをかぶってしまっていました」

「人のせいにすんなー」


 小さな子からヤジがとび、それを隣に座る上級生らしい子供が叩いて注意する。

 神辺は照れたように笑ってそれをなだめると真面目な顔に戻った。

 基本は言いっぱなし、聞きっぱなしなんです、と梓が補足した。


「また途中でやめられなくなり、最期は暴れてしまいました。ジブンを止めてくれた先生方や梓サンには感謝と申し訳なさでいっぱいです」


 神辺がこちらを見る。

 顔色の悪さはかわらず。むしろ化粧がないぶん第一印象との落差がひどい。が、落ちくぼんでみえる目は不思議と穏やかだった。


「今朝起きたとき世界がとてもせまく、息詰まるように感じました。VRで一瞬だけ楽になっても、またつらい時間が戻ってきただけでした。本当にバカなことをしたと思います」


 皆静かにその言葉を聞いていた。大人の中にはやるせなさそうにうつむき頷く者もある。


「また一からやり直しです。不安は尽きませんが、このアークにいることが自分に残された希望だと思います。もう一度……仲間として迎えてもらえれば嬉しいッス」


 神辺が深く頭を下げると温かい拍手が起こった。そのままの姿勢で固まった神辺はかすかに身を震わせる。

 収まったころ、部屋の隅に座っていた男が立ちあがった。

 初老の背筋がまっすぐ伸びた中肉中背。黒緑の単衣ひとえを着ている。


「父です」


 梓が言うと同時、男性は厳格そうだがおだやかな表情で目礼した。礼人も慌ててそれにならう。


「皆さん、いい朝会でした。それでは食事の準備にかかりましょう」


 本堂に響き渡る張りのある声。

 全員が動き出すなか、八ケ代父は礼人たちへ近づいてきた。


「おはようございます。留守るす中、ご挨拶ができず申し訳ない」


 確かに昨日は見かけなかった。

 礼人は恐縮して首を振る。


「いえ、こちらこそ急にお邪魔してすみません。その上――」


 ちらりとクシビを見る。


「何よ?」


 不満げにその腕が組まれた。一応昨夜の騒ぎについて負い目はあるらしい。

 なんの、と八ケ代父は手を振った。


「お二方のことはうかがいました。息子のために来てくだすったうえに家業のことまで骨折ほねおりいただいて、大変感謝しています。どうかこれからも息子をよろしくお願いします」


 どうぞいつまででも、と腰をおると廊下を歩いていく。

 梓があぁもう、と腰に手をやった。


「すみません、慌ただしくて。あれでもすごく歓迎してるんです。昔から男手ひとつで暮らしてきたせいで前置きとか余情とかがぜんぜんない人で」


 表情をくもらせた礼人に気付いてさらに付け足した。


「あ、男手ひとつっていっても兄もいましたから。何だかんだ便利ですよね兄弟って、うふ。そうだ、小さいころ兄が描いてくれた絵本がどこかにあったと――」


 そこまで言って口をつぐむ。視線は礼人たちの後ろへ向けられていた。振り向く。


「何してるんだお前ら、こんなところで」


 寝ぐせ頭で不機嫌そうな刀祢が立っていた。

 四人の脇を、座卓を運ぶ大人たちが通り抜ける。


「あ、おはようございます。……えっと、僕らは何をしたらいいですか?」


 振り返って梓にたずねる礼人のシャツを刀祢がつかんだ。


「客に支度を手伝わせられるか。俺たちはただ座ってればいいんだ」

「兄さんは手伝うの!」


 堂内へ引っ張っていく刀祢に梓が手を伸ばし、それが礼人の身体で防がれる。


「アヤトは庶民しょみん体質なんだ。放っとくと勝手に働きだすから相手役がいるんだよ」


 申し訳ないがその通りなのでありがたいと礼人は思った。周りが忙しそうにしていると耐えられない。


「じゃあ待つ間に読んでもらおうかしら」


 隣に並んだクシビに刀祢がまゆをよせた。


「本当に書いたのか……アヤトは?」

「あ、僕もお、お願いします」


 はあっと嘆息。はねた髪を握りつぶして刀祢は座布団の山へ歩きだす。


「仕方ない、わかったよ。けど期待はするな」


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