サボテンの群れ

サボテンの群れ【1】


 バスを降りると、家まで十分くらい歩く。


 バスに乗っている時は、楽ちんで、なんだか動くのが億劫で、どこまでも乗っていたい気分になるのだけれど、降りると気づく。

 あそこは窮屈だった。


 短いスカートの下の太ももにあたる、わさわさした座席の感触とか、ひっきりなしに鳴る案内のアナウンスとか、大げさにガタガタいう車体のゆがむ音とか、誰かの買った唐揚げの匂いとか。

 すべてぎゅうぎゅうに押し込まれて窮屈なのに、きちんと整頓されていたかのような錯覚。


 バスを降りると、暗示は解ける。

 ああ、私、ずっと外に出たかったんじゃない。


 両足は、自由に動かせる。

 スカートのプリーツはたっぷりと空気を含んで揺れている。

 ローファーの足の裏に、小石の感覚。

 肩にかかるカバンの紐の重力。

 今度は、どこへでも行けそう。自分の足で。



 バスの通る、大きな道路脇の歩道は歩かずに、道沿いの市場の駐車場を抜けて近道をする。


 この市場は、近隣の農家や趣味で野菜や果物、植物などを育てている人が集まって、売り買いをしている場所だ。

「みんなの市場」とさびれた看板のかかった、大きめの小屋のような建物には、今日も眠そうな主婦が、割烹着に包まれてレジの近くに集まっている。


 これをしり目に通り過ぎると、すぐに、果物屋さんが隣接しているのが目に入る。

 市場には、果物も売ってあるというのに、何故か果物屋さんがぴったりと市場に寄り添うようにして建っている。


 果物屋さんは、いつも「豊満」な香りがする。

 私は、果物屋さんの匂いを嗅ぐと、「豊満」と表現したくなる。

 それは、桃のべったり甘い香りだったり、夏ミカンの刺激的でさっぱりとした香りだったり様々であったが、そのすべての混ざった果物屋さんの香りは、いつも「豊満」であった。


 今日も、その豊満な香りを、胸いっぱいに吸い込み、ため込むと駐車場を抜けて、細い小道に入る。


 そこには、昔ながらの古い民家が立ち並び、煤けたような匂いと炊き立てのごはんと焼き魚の匂いが、一緒になってなんとも安らぐ香りがする。それも吸い込む。


 細くて、緩いカーブのその道を抜けると十字路。

 右に折れる。

 今日は角の家の黒い犬がおとなしい。

 そのまま、まっすぐ行くと、五分もかからず我が家に辿り着く。山がとても近い。



 道の途中にある、「サボテンの群れ」を、いつも立ち止まって見てしまう。


 この「サボテンの群れ」に、私の妹は、思いっきり倒れこんだことがある。




「お姉ちゃんどうしよう。」


 子どもの時と変わらない、揺れた声で妹が玄関から声をかけてきた。

 見ると、妹の、手、腕、膝、あごにまで、透明な小さなトゲが刺さっている。


「どうしたのそれ」


 驚いて声のトーンが上がってしまう。


「歩道を歩いていたら、サボテンの群れに突っ込んじゃった。暗くて、なにがどこにあるか分らなくて、花壇の囲いの石につまずいて…。すっごく痛い」


 不謹慎だけど、私は、妹の言った「サボテンの群れ」という言葉が気に入った。


 縦四十センチ、横六十センチほどの地面を、こぶしくらいの大きさの石で四角く囲ったその中に、所狭しとサボテンが植えられ群れを成している。

 その、サボテンの住処ともいえる四角い囲いが、半分くらい歩道にはみ出している。



 暗い中、歩道をひたすらまっすぐ進んでいた妹は、このはみ出した部分に躓き、たくさんのサボテンにダイブしてしまったのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る