プールの中で目を開ける

プールの中で目を開ける【1】

 7690円で、デジカメを買った。



 電気屋さんが言うには、私が買ったデジカメの最新バージョンが近々発売らしい。


 だからこんなにお安いんですよーと語尾をあげて、何が楽しいのか口角もこれでもかとあげて電気屋さんが私を見る。 



 黙っていると私の代わりに明日香が

「これにします」と言った。

 電気屋さんはさらに口角を上げて半径二メートルくらいに響く声で、ありがとうございますと言った。





 明日香が、川での撮影の帰り道、自分の撮った写真を見ながら

「あんたも自分のカメラ買ってみたら良いじゃん」と言った。


 夕方の川辺は涼しい。

 来た時よりももっと犬の散歩をしている人が増えて、小学生はいつのまにかいなくなっている。


 トーンダウンした景色の色。

 山の方はもう少し涼しいだろうか。

 目線をあげるとすぐに目に入ってくる、見慣れた山々。



 明日香が言った。

「写真を撮ると景色は、全然違うんだよね。」


 見てみたいと思った。

 私が、もしこの山を撮ったら、全然違うものになるのだろうか。

 見てみたい。

 平凡で強固な私の見ている風景が変わるというのなら。







 放課後。

 私は、初めて陽子の「暇」を拒否した。

 胸のあたりがせり出すのではないか思うほど、心臓の音が奥の方から響いていた。


 陽子の「暇」をどういう言葉で返せば、拒否できるのか見当もつかなかった。

 実花ならきっと波風を立てない一番ちょうどいい言葉を選べるだろうと思う。



「今日は用事があるから。」


 それだけ言うのにものすごい体力を使う。


「用事?なにそれ?珍しいじゃん。」


 千紘が、聞く。


「うん。ちょっと、家の用事。」


 自分の嘘の下手さに情けなくなる。


「へー」


 気のない言葉が返ってくる。



 そこでやっと、誰も私の用事なんて興味がないのだと気づく。

 型通りの聞いてみただけの質問。

 私なんていなくても大丈夫。

 みんな大事なのは、自分。

 重要なことは、ひとりにならないこと。



 軽い絶望を振り払って、私は学校を出て少し行ったところの陸橋を目指した。

 ぐるぐるとした螺旋状の階段の下が、明日香との待ち合わせ場所だった。


 たどり着くと、明日香はもう待っていて、到着した私を見るなり言う。



「ちょっと、走ってくんない?」

「は?」


 また、このカメラ馬鹿は何を言い出すんだ。


「この螺旋階段面白いじゃん。だからさ、走って登ってみて。撮るから。」

「いや、走るって、」

「全力疾走ね。」


 顔面がカメラになっている。

 私はもう走るしかない雰囲気の中に立たされる。


「よーいスタートって言った方がいい?」


 顔面カメラが私の戸惑いを余所に、聞いてくる。


「え?うん、まあ、」

「よーいドン!」


 勝手にスタートがドンに変更されている。 


 私は、慌てて走り出す。

 カバンはスタートと同時に階段の下に捨て置いてしまう。

 ローファーのかかとがカポカポして脱げそう。

 変に低い一段一段をちょっとずつ抜かして飛び越えて、息が上がっていく。

 カメラを構える明日香の姿が見えなくなって足を止める。



 なにやってんだ、私。


 一段一段、踏みしめながら階段を逆走する。

 螺旋階段は落下防止の為だろうか、壁に囲まれている。ひどい閉塞感。


 下ばかり見ていたら渦を巻いた螺旋に目がおかしくなる。


「撮れたの?」

「うん。まあまあかなー。」


 全力疾走させて、まあまあかよ。


 明日香の撮った写真は、走ってブレた私の後ろ姿を写していた。

 下からのアングルなので螺旋が洞窟の入り口みたい。



「タイトル、貝殻の中に全力疾走していくやつ。」


 明日香が半笑いで言う。


「センスないなー。」


 貝殻の中に全力疾走していくやつ。

 そう言われると、螺旋階段は貝殻に見えなくもない。

 渦を巻いた、やどかりの背負っている貝のような。



 行き止まりに向かって全力疾走する私の後ろ姿。

 ブレて、薄くなった端々。



「まあ、タイトルはさて置き。私くらいのレベルにならないと、こんな写真は撮れないからね。」


 得意げに明日香が言う。




 あっそ心得ておきますと心で毒づき、顔は笑っていること気づく。










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