まわる洗濯機
まわる洗濯機【1】
小学生の私は、プールで行う、「洗濯機」というゲームが苦手だった。
「洗濯機」に限らず、先生がゲームと称して行うプールの授業プログラムのすべてが苦手だった。
例えば、「ホース取り」。
先生が3センチくらいに切った色とりどりのホースを、大量にプールにばらまく。
その間、生徒は体育座りでプールサイドに待たされる。
先生が、「プールに入って」と言うとみんな浮足立ってプールに入っていく。
私は、そのみんなの周りを包む頂点に達した興奮も苦手だった。
「よーい、スタート!」
先生が号令をかけると、みんな一斉にもぐってホース採る。より多くのホースを採った人が優勝だ。
私は、プールの授業中、いかにして顔を水につけないようにするか、が課題であったため、このゲームが始まるといつも憂鬱になった。
「洗濯機」は、ホース取りのように、絶対に顔を水につけなくてはいけないというルールはない。
しかし、一歩間違えると、顔を水につけることはおろか、大量に水を飲んだり、人にぶつかったりする。
「洗濯機」は、まず全員でプールに入る。
人数は多いほうが良い。
それから先生の合図とともに、一斉に右回転(もしくは左回転)に歩き出す。
水に抵抗しながら、右足、左足と無理やり引っ張って歩いていく。
ぐんぐん、ぐんぐん歩いていくと、ある時、足が最初よりも軽く動いていることに気が付く。
それでもぐんぐん歩いていくと、今度は、私の意志とは関係なく、水の流れが私を歩かせてくる。
生徒みんなで、プールに巨大な遠心力を生み出し、プールの水を渦巻かすのだ。
スイミングスクールに通っている泳ぎの得意な子は、次第に、波に身を任せ平泳ぎしだす。
顔を水につけたくない私に、当然そんな芸当は真似できず、ただ、巨大な流れに足を取られないように必死でついていく。
不器用な私は、いつもそう。
巨大な流れの中、器用に泳げないから、必死についていく。
できる限り私自身をフルに使って、無理やりについていく。
そうして、たまに足を取られ、大量に水を飲み、人にぶつかって迷惑をかけて、無様になりながら、また立ち上がって歩き出す。
巨大な流れからは、どうやっても抜け出せないから。
「洗濯機」は、社会の縮図だ。
先生は、ゲームと称して、このことを教えたかったのだろうか、とたまに思う。
そして私は、抜けられない巨大な流れを、どうにか抜けられないかと、夢見たりする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます