水中の曖昧世界

水中の曖昧世界【1】



 私は透明人間になった。



 もしかしたらずっと前からそうだったのかも。



 息を殺し、周りの人たちの動向、言動を注意深く観察する。


 観察しているのにすべての人が私のことを蔑んでいるような錯覚。

 削がれていく心。



 でも、ふと気づく。

 すべては私の作り出した幻想で、周りの人々は私の存在なんて気にしていない。

 私のことなんか見ていない。



 私は完全な透明人間だ。



 プールの水にざぶりと頭をつけたとき、私が持っていたすべての音はどこか遠くに追いやられ、代わりに水のひそやかな音が私の耳を支配する。


 かすかな、こぽり、こぽりという泡の音。


 私は完璧な何かに包まれ隔離される。

 それでも腕や足は動いていて、私はクロールで反対側の岸を目指す。


 本当に、動いている四肢は私のものだろうか。

 不思議な感覚。

 


 いつかは、終わりが来るだろうか。

 永遠に感じる。


 手は弧を描くように、もがくように繰り返し回転し、足は馬鹿の一つ覚えのようにただひたすらに交互にばたつく。


 息継ぎの時、急に近づく元居た世界。

 ぐんと近づいて千切れるようにまた、水の中へ。



 そんな曖昧なことを、現実という限りなく強固であると信じていた世界で繰り広げている。





 ぼんやり時間が過ぎて、いつもより鋭くてひどく間延びしている。



 陽子も、千紘も実花も、きちんといるのにいない世界。




 お昼休みには、誰も私に近づかない。

 いつもは、私の席の周りになんとなくみんな集まってなんとなく弁当を広げ、たまに千紘のマニキュアの匂いが混ざる。


 今、窓辺の私の席から、中庭が見えてベンチに三人が座るのが見える。


 あぁ、ここは日当たりが良いからみんな集まっていたのかという思いに至る。



 寂しいかと聞かれると、それは微妙で、清々しいかと聞かれると、どうもそういう訳でもない。


 曖昧な世界。

 曖昧な思考。





 五時間目が過ぎて、カーテンが揺らぐ。


 六時間目が過ぎて、夕方が訪れる準備を始める。




 筆箱、電子辞書、教科書、ノート。

 小さい順にきれいに重ねてカバンの中に入れる。


 部活動のざわめきがカーテン越しに聞こえる。



 「カーテン、開けといてくれる?」



 日直の女の子に言われてうなずく。

 今日、家族以外に初めて話しかけられたかも。



 日直が出ていき、がらんとした教室。

 ひとり。



 「暇。」



 陽子の口癖を呟く。


 目の周りが熱くなって、泣きたいな、泣くのは違うよ、と同じ脳みそで思う。







 立ち上がると椅子が、ぎぎっと大げさな音をあげた。帰ろう。





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