第28話

 森の中。高い木々が避けて、広場ができている。背の低い草花が、太陽の白い光を受けて輝いている。豆よりも小さな、青い花々。葉ばかりがぎざぎざと茂った一角。それらを通り過ぎると、赤い花弁を大きく広げた花が、細い首に乗って、風もないのに揺れていた。どれもが、歩く膝よりも頭が低い。

 様々な花が生い茂る。甘く、あるいは酸っぱく、不思議な香りが混ざりあった。

 少女は、直射の暑さをものともせずに、真っ黒なローブをかぶり、身をかがめて土の手入れをしていた。黒い土に黄の土を混ぜ、四角く耕して、種を埋める。水をやって、ふう、と息をついたとき。風向きが変わって、人の匂いを運んできた。

 彼女は気づく。

 森の中を歩いてくる、その人影。

「お前はっ!?」

「貴方が、この森の魔女ですね」

 呼びかけられ、魔女は、少女のような面をこわばらせた。

「昔、大変失礼にも、入ってはならないこの禁域を侵してしまった、ジークフリート・エバロウと申します」

「なぜ、お前が人でいる!? 蛙になっていたんじゃないのか!?」

「呪いは、彼女、リアがといてくれました。キスをして」

 ジークが口を開き直した。

 エバロウの森の中、リア達は、魔女の前に立っていた。

「キスだぁ? そんなものであの呪いがとけるものか!」

 魔女は気炎をあげて威嚇した。

「蛙は壁に投げつけられて呪いがとけるものだ! それを、なぁにがキスだくだらない!」

「私は、リンデンの城におりましたので」

「そうか、あの魔城を使ったか。いっそう腹が立つ、帰れ! また、呪われたいのか!?」

 魔女は、話を聞く気が全くないらしい。

 自分が言い出したこととはいえ、リアははらはらと手を握った。

「私は謝りに来、」

 聞いてもらえそうにないので、ジークは端的に切り込むが、

「踏ーむーなー!」

 全力で指さされ、びくりとして片足をあげた。あげたまま、なおも言う。

「幼い頃のこととはいえ、禁域に入り込んでしまい、申し訳ありませんでした」

「うるさい! 前も聞いた!」

「前は、その重大さも分からず失礼を」

「近づくな! 入ってくるな! ここは私の庭だぞ!? 人間の分際で!」

 魔女は、声が枯れるほど叫びをあげる。

「そもそもお前の呪いは、お前が反省したら私がといてやる予定だった。それがどうだ、お前は全く一切反省などしない。謝る言葉も上っ面だ! そのうち国から出て行った。私はお前なんぞ忘れていたのに、勝手にときおって」

「なるほど! 「魔女が」呪いをとくつもりだったから、壁に投げつけたら呪いがとける。その上、とけた後に殿下はちゃんと服を着ていた、と」

 アライが後ろで評するが、特に手出しをするわけでもなかった。

 リアは改めて魔女を見やる。

 暗紅色の、くるくる自由にはね回る髪。闇を宿した赤い瞳。フードを目深くかぶった少女は、目元を険しくして、こちらを睨み続けていた。

「彼女が魔女だよ」

 剣呑な空気をものともせず、ジークが晴れやかな笑みで言う。

 見ていれば分かるのだが、説明したくなるのももっともだと、リアも思った。

「失礼ですけど、彼女、まだ十代に見えるような……」

「あの人は見た目がずーっと若いんだ」

 しみじみと評されて、魔女は余計に気に障ったらしい。

「呪われろ!」

 叫ぶが早いか、素早く右腕を突き出した。人差し指と親指を立て、他の指は曲げている。呪い、という言葉を聞いて、リアは反射的に両腕を広げて、ジークの前に飛び込んでいた。

「だめだ、リア!」

 意図を察したジークがリアを庇い、抱きすくめる。ばささ、と近くの梢から鳥が飛び立った。他には何も起こらない。

 リアは閉じていた目を開ける。黒髪の、まだ小さな背中が、魔女の前に立っていた。

 ごく最近、リアは彼を見たことがある。

「魔王? どうしてここに」

「そりゃあ、あれだよ」

 魔王は少し首を傾げて、リア達を振り返った。

「友人夫妻を見殺しにはできなかったって言うか」

 よき隣人、友人でありたいと願ったジークの言葉を、魔王はしっかりと握りしめていたのだ。

「家に帰るまで見守った方がいいかなと思ってついてきてたんだ。もちろん、本体じゃないけどね」

「貴様も呪われたいのか」

「ううん。元々呪われているようなものだから、これ以上呪われたら、呪いの極彩色の糸がこんがらがって、不細工なことになってしまう」

 険しい顔つきで睨む魔女に答えながら、魔王が人間達を順繰りに見た。

「魔女を追い払うのが目的じゃないんだよね? 君達は、だったらどうしたいの」

「私は……ジークと一緒に、魔女に謝りに来たの。謝りたい」

「いらんと言っている!」

 魔女がかすれた声で言い返した。

「私は、私の庭に人間が踏み込んできてぐちゃぐちゃとやかましく言うのが不愉快でたまらない!」

「では、私は魔女のために、できうる限りの安寧を計らいましょう」

「貴様に保証されてもな」

 ジークの丁寧な発言を、魔女ははん、と鼻で笑い飛ばした。

「貴様等人間は、後から来たのだ。ここは元々ただの森。そして私の庭だ」

「確かに、我が国よりも先に魔女はこの地にいたと聞きます。後から来た我々に「守る」と言われても、それは貴方にとって不快なことでありましょう。せめて私は、他国の者と自国の者が、不用意に入らぬよう、手を考えます」

「ふん、どうだか」

 魔女はまるきり信じていなかった。ふと魔王が魔女を見た。

「……そうだ。僕は、彼らに本や観劇をプレゼントしてもらえるみたいなんだけど、魔女は贈り物をされないの?」

「モノで人の心を動かそうというのか? バカバカしい、人間の考えそうなことだな。魔王とやらも、人と同じ考えか!」

「一番最初の、大事なことだよ。鳥獣はみな、恋する者や愛する家族に、ご飯やきれいなものを贈るよ」

「宝石も土地も何も、いらぬ。お前達の価値とするところを私は生きてはいないからな」

(贈り物?)

 宝石もいらない、食べ物にも困っていない、土地は元々、魔女が住んでいた場所なので国が保証すると言うと逆鱗に触れてしまう。

(何が、いいのかしら)

 魔女が、好きそうなモノは、何だろう。

 リアは、最近、何か大切なことを話したなと、思い起こした。

 大切なことだ。

 自国の、特産品の話を、マーサとしたことがあった。

(そうか……!)

 リアは勢い込んで口を開いた。

「魔女は、庭で薬草などを育てて、実験して暮らしているのですか?」

「まぁ、そのようなものだな」

「じゃあ、ストラの赤い花をご存じですか」

「あぁ、あの地方独特の花で、土地を離れると育たない。うまく使えば「いいもの」だが、たいていは精製がうまくいかず、大したものでもない」

 大したものではないと言われてへこみそうになったが、リアはどうにか持ち直した。

「私はストラの第一王女です。貴方が望まれるのであれば、その花、新鮮なものを早馬でお届けします」

「……何だって?」

 一瞬、魔女がまともにリアを見た。

「もちろん、ここで栽培していただいても構いませんが、できれば外部に流通はさせないでください。もし、うまく育てられそうであれば、そのやり方を教わりたい、とは思うのですが」

 リアにとって――ストラにとって都合がよすぎることを言ってしまった。だが、魔女はそのことをあまり気にしていないようだった。明らかにそわそわしている。

「いや、しかし、な」

「いいんです、ちょっとずつしかとれない、希少なものですけど。魔女さんのお心が、少しでも晴れるのであれば」

「しかし」

「いいんです」

 魔女が改めて顔をしかめた。が、頬の一部が笑っている。

「しかしお前、どうしてだ。お前は私と縁もゆかりもない。それなのに、国の大事な品を差し出そうと言う。そこのあほうのためになのか?」

「……そうですね。魔女にとってあほうであっても、私にとってはかけがえのない人なんです。それに、ストラの特産品製造計画にも、魔女さんのお力添えをいただけるかもしれないと思うと、わくわくしちゃって」

「……わくわく……」

 何となくペースを乱されたらしく、魔女が沈黙する。

 場を見守っていた魔王が、会話が沈黙に変わったのを見て取ると、両手を挙げた。

「では、話がまとまったようなので。これからもよき隣人、友人でありますように。あーよかったよかった!」

 自分で取りまとめたみたいに威張って、魔王は蒸気のように揺らいで、また消えていってしまった。

 魔女の庭を離れて、城へ戻る途中のこと。

「やっと、人として暮らせる気がする」

 微笑んだジークに、リアはこそばゆさを覚える。大切そうに手を取られ、見つめられて、不思議な気がした。

「何度も聞いたけれど……どうして貴方は、そんなにも私を大切にしようとするの?」

「きっと、君の勇気に感謝しているから。尊敬できる君が、私を助けてくれて、嬉しいよ。かわいらしい人」

「私も、助けてもらったわ。もし貴方がいなかったら、きっと、魔王に会いに行けなかった」

「きっと君なら、できたよ」

「いいえ、貴方がいたから」

 そわそわしながら、従者が二人のそばに立っている。

 ふと、ジークが改まった顔つきになった。

「リア。私と――」

「え」

 ジークが、一歩、踏み出す。

 その足が、急にがくんと、押し下がった。

「え?」

「あれ?」

 蛙に戻った王子は、落っこちた衣服の上で、首を傾げた。

「まだ、魔女の庭の範囲内かな? 魔女の草を踏んだらいけないのかな」

「呪いはとけたんじゃなかったの!?」

「君のせいじゃないよ」

 ジーク自身は落ち着き払っているが、イディアーテが真顔で叫び始めた。

「国中の草を焼き払え!」

「貴方も相当おかしい人よね!?」

「そんな大仰なことをしてはだめだ。大丈夫だよ。私には、彼女がついているからね」

 蛙が、純真な目で見上げてくる。

 まっすぐに気持ちを託されて、リアはくすぐったい心地がした。

「リアにキスしてもらえば、戻れるんだから。大丈夫だよ」

「そうね」

 蛙はやっぱり気持ちが悪いけれど、今のリアなら、キスくらい簡単なことだ。

「……やっぱりだめかも」

「えっ」

「……冗談よ、頑張るから」

 蛙を再び人に戻して、リアはエバロウの城に向かった。

 エバロウの王に挨拶をしたが、リアも何を言ったかあまり覚えていない。何しろ城内は、蛙だった王子が人に戻ったことを喜んで、何が何だか分からないほど熱狂していたのだ。

 人々はご馳走を作り、城下に振る舞い、大騒ぎした。城内も城下も、紙吹雪や花やお菓子が舞い散らかされた。

 リアの顔や名前なんて霞みたいに吹き飛ばされ、影が薄いものだった。

 あれからほとんど直接ジークに会えないまま(挨拶まわりなどで、ジークはいろんな人に拘束されていたので)、リアは、護衛をつけてもらってストラに帰った。

「私も頑張ったんだけれど、みんな、それどころじゃないくらい頑張ってきていたのね」

 ちょっと寂しいが、呪いがとけてあんなに歓迎されて、大事にされていて、ジークが幸せそうで嬉しかった。

 帰国したリアは、両親に家出を謝り、弟と魔王の件で作戦を練る。瞬きのうちに日が過ぎた。

 何日も過ぎた今、リアは待っている。もうすぐ、ジークがストラへ遊びに来るのだ。リアの両親達にも、きちんと旅の話や出会いの話をするようだ。

 正式につき合える、かもしれない。

 いずれリアは、魔王の名を組み入れたジークと、一緒に暮らせるようになるのだろう。

 それはまだ、先の話。

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