第21話
*
「にっ、偽物? 何のことだ!」
魔王がイスを蹴り倒した。
「笛で場を支配されたが――笛さえなければ、僕はお前に負けはしない」
啖呵を切って、少年は偽魔王に指を突きつけた。
リア達も慌てて席を立って距離を置き、事態を見守る。
「笛! は、あはは、笛なんてなくても、僕が魔王だー!」
偽物の魔王(おそらく)が口角から泡を飛ばす。そして続けて何かを言いかけた。が、本物の魔王が飛びかかって、彼を床に引き倒す。
およそ魔物らしからぬ、人間と変わらない喧嘩ぶりだ。
「あーあ。殿下、この笛どうしましょうかね?」
「アライが持っていれば一番取り返されずにすみそうだから、決着がつくまで待っていよう」
ジークはアライに、緊迫感なく返答する。髪の毛を掴んで引っ張りあう魔王達(仮)を見て、リアはいつ止めるべきかと思いながら、眉をひそめた。
「どっちが本当の魔王なのかしら?」
「どっちが、いいと思う?」
面白そうにジークが聞いてくるので、リアは唇をとがらせた。
「いいか悪いかって言うより、本物かどうかが大事なんじゃないの?」
「うーん。どちらが「そもそもの」魔王だったとしても、これから勝った方が新たに魔王になるということもありうるよね」
「……下克上?」
「うん。でもまぁ、そもそもの魔王よりも、さっきの偽物の魔王の方が、性格的に問題がありそうだから、本物の魔王を助けた方がいいのかな。本物の魔王の性格は分からないけれど」
「まぁ確かに、偽魔王ってちぐはぐでおかしな感じがしたけれど」
偽魔王は外交とか対人間だとか、そういうものを無視して、面白半分で人間ごっこをしているような気がした。面白いからと言って人間を簡単に襲うかもしれない、そんな不安定さが底にある。
ジークが何気なく視線を振った。柔らかく呼ぶ。
「アライ」
「はい?」
「魔王に何かあっても困るから、魔王への手助けを許可する。もし案があったらあげてもらってもいいかな」
「殿下。ご自分で考えないんですかね」
「え? だって、最終的に実行するのはアライになるわけだから。笛を吹いてとか頼むわけにもいかないし」
「殿下……」
返答に詰まったアライの肩を、イディアーテがぽんぽんと軽く叩いた。
「アライ、考えてもみろ。王子が自分でやりたいと言ったり、言わずに勝手に行動するよりは、よほどマシだ」
「いやそーいうことじゃなくてアライ的には……」
「ごめんねアライ。蛙だった期間が長いせいで、つい自分で動けなくて。もう私は人間なのだった。アライが行かないのなら、私が行こう」
ジークが気負いなく踏み出すので、リアとアライが前に飛び出る。
「だめ、ジーク!」
「蛙とか関係なく! 殿下は実行しなくていいですから!」
「でも、やっぱり部下を危険にさらすのも、よい為政者とは言えないし」
「そういう意味じゃなくてね!」「そういう結論もおかしいわ!」
リアと主従達がもめている一方、魔王達に変化があった。
魔王が組み伏せた偽魔王が、気づけば、イスみたいに大振りな、まん丸いヒキガエルになっている。
「おや。元の姿はアレなのかな。魔物は人間型として生まれ育つのではなくて、人に化けていたのか?」
「殿下観察してないでちょっと離れて」
「そうよ近いわよ」
アライとリアが、ジークの腕を片方ずつ引っ張って、魔王の乱闘現場から遠ざけた。
イディアーテはと言うと、手を出したいのにジークの両腕とも既に取られているので、手持ちぶさたに立っていた。
「さあ!」
魔王の澄んだ声が響いた。
「偽物め! 覚悟しろ!」
「ちっ、こうなったら!」
丸いヒキガエル状の生き物が、マシュマロみたいな煙を出した。人に化け直そうとするが、うまくいかず、細かな雨蛙になってぼろぼろと崩れて逃げていく。
広間は、小さな蛙集団に埋めつくされた。さながら蛙の海のようだ。
「逃がすか!」
魔王が叫び、手を伸ばす。たった一対の手が、一瞬で無数に細かく裂け、蛙達を一匹か二匹ずつ捕まえていった。裂けた手達は、蛙を掴むと、そのまま、ごくんと掌の中に飲み込んだ。
「うっ」
(蛙も気持ち悪いけど、この魔王もさりげなくえぐい……!)
リアはよろめく。さらに強いめまいがして、座り込んだ。周囲を蛙達がわあわあと通過していく。
(やだ! 蛙の中に埋もれちゃう)
慌てて這い出すけれど、立ち上がっても目線の高さが変わらない。
嫌な予感がした。手足を伸ばす。
「え」
自分から見える範囲では、手足がどうやら、蛙のようだ。
「きゃー!?」
「うわーあの蛙に触ったら蛙になるわけですか!」
アライが、床に即座に書いた簡易魔方陣に自分とイディアーテだけ入れて、解説してくれた。
「どっ、どうしよう、蛙になっちゃった! っていうかジークはどこ!?」
「ここだよー」
ジークの声は、蛙の群れの中から聞こえた。
まさか。
(あの人、また蛙になっちゃったの!?)
リアは跳ねる。
ジークはどこだろう。
腐った絨毯の毛羽立ちが、蛙の柔らかい皮膚を突き刺した。
(あぁじれったい)
歩きにくい。寒いような暑いような、変な感触がする。
リアはどうにか、蛙の波の中に、ジークを見つけた。
前みたいな王冠もないけれど――すぐに、分かる。
「ジーク!」
「あぁごめんリア、せっかく人に戻れたのに、また蛙になってしまった」
「私だって蛙なんだから、お互い様よ!」
それに。
リアはもう、呪いのとき方を知っている。
リアはジークにキスを贈り、わずかの後に、メレンゲみたいな泡に包まれて、人に戻った。
「さぁ! 偽魔王はどこ! 人を蛙なんかにしてっ、許せないわ……!」
リア達が騒いでいる間に、蛙は広間の出口に殺到していた。
アレのすべてが、偽魔王なのだろうか。
本物の魔王が、じわりと距離を詰めている。
「ふ、ふ、ふざっ」
偽魔王の声が、蛙の大群の内側から出た。
「ふざけるなぁ! 私は、あそっ、遊んでいただけで」
「お前の遊びにつきあわされて、迷惑した!」
蛙を片っ端から食い尽くし、魔王が毅然と言い放つ。
不利を悟ったのか、蛙はつかの間、動きを止めた。
そして、一斉に身をかがめた後。動きを揃えて、ぴょんと跳ねた。
「えっ?」
蛙が床に落ちた瞬間、床がきれいにくりぬかれる。
蛙と共に、リアはどこかに落下していた。
*
ここは寒い。
リアはまどろみながら、手を伸ばす。
たぶん、寝ている間に上掛けを蹴り落としたのだ。
(子どもの頃は、寝相が悪くて笑われたわね)
それにしても、やけに手が上掛けにたどり着かない。
「うん?」
ひんやりとしたものが頬に当たっている。
リアは瞬きし、一気に覚醒した。
「何これ」
石床に寝そべっている。
石床と思いきや、それはつやつやと光っている。
磨き抜かれた鏡のようだ。
それらに、毒蜘蛛や蛇がうじゃうじゃと映り込んでいた。
「――ッ」
とっさに天井を見る。
(どうやって追い払う!?)
旅の間、荷物をアライに預けたりしていたため、今手元に武器がなかった。緊張とともに、身構える。だが。
「え?」
天井に何もいなくて、困惑した。床には相変わらず、蜘蛛などがうごめき、ざわついているというのに。
リアは声を裏返した。
「えっ、ここは、何なの?」
*
アライ、イディアーテ、リア。
ごく最近出会った人達。
あるいは、昔、城で出会った人々。
それらがくるくると、入れ替わり立ち替わり、ジークの前に現れた。
人の姿をとり、怒りや恐怖の表情を浮かべていても、どれもひどく薄っぺらだ。
(鏡、かな?)
指で触れると、ひんやりとしている。
表面は磨き込まれたガラス状だ。手入れがいいというよりも新品の鏡だった。
(これは、魔法で出現させたものかな? それにしても――子どもだましみたいだ)
鏡の中の相手は、こちらを嘲笑したり、傷つけようとして武器を手に襲いかかってきたりもする。けれど、幻は幻だ。
実際にジークに触れるのは、かたくて冷たい、平らな鏡ばかりだった。
(……何だか憂鬱になってくるな)
蛙になってからというもの、不便ばかりだった。食べ物にも気をつかうし、暖かすぎると体調を崩し、冷たい場所にいすぎると体温が下がりすぎて凍死しかけた。
その、寒さ、つらさ、寂しさが、現状と重なって、胸の底からよみがえってくる。
当時からイディアーテやアライがいたけれど、外へ出るのにも彼らの手を借りねばならず、迷惑をかけていた。自分の世話のために拘束している、そのことが申し訳なくて、喧嘩したいのに我慢したこともあった。彼らが里帰りするときは、泣かないふりをした。
そして、自分で決意したこととはいえ、見知らぬリンデンの城で過ごした日々。呪われた者達と一緒に、けれどお互いに一切会うこともなく、ただ助けてくれる誰かを待つだけの日々。リンデンの城を作った者は、呪われた者は多少苦労して反省してから、その祈りの力と相手の願いによって呪いから解放される、という設計にしたようだけれど、本当に誰かが来て助かる者は、きっと少ない。
故国を失い友人も知人も遙か過去の人となっても、呪われた者が生き残ることだってあるだろう。
きっと、しんでしまうほうが楽なんじゃないかと思ってしまうほど、変わることのない蛙の日々が繰り返された。
(それをね)
あの子が、変えてくれたから。
「私は魔法を使えないけれど、今なら鏡を壊すことくらいはできそうだ」
ジークは物思いから浮上し、手の甲でこんこんと鏡を叩く。
そして息を吸い――思い切り振りかぶった。
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