第21話

「にっ、偽物? 何のことだ!」

 魔王がイスを蹴り倒した。

「笛で場を支配されたが――笛さえなければ、僕はお前に負けはしない」

 啖呵を切って、少年は偽魔王に指を突きつけた。

 リア達も慌てて席を立って距離を置き、事態を見守る。

「笛! は、あはは、笛なんてなくても、僕が魔王だー!」

 偽物の魔王(おそらく)が口角から泡を飛ばす。そして続けて何かを言いかけた。が、本物の魔王が飛びかかって、彼を床に引き倒す。

 およそ魔物らしからぬ、人間と変わらない喧嘩ぶりだ。

「あーあ。殿下、この笛どうしましょうかね?」

「アライが持っていれば一番取り返されずにすみそうだから、決着がつくまで待っていよう」

 ジークはアライに、緊迫感なく返答する。髪の毛を掴んで引っ張りあう魔王達(仮)を見て、リアはいつ止めるべきかと思いながら、眉をひそめた。

「どっちが本当の魔王なのかしら?」

「どっちが、いいと思う?」

 面白そうにジークが聞いてくるので、リアは唇をとがらせた。

「いいか悪いかって言うより、本物かどうかが大事なんじゃないの?」

「うーん。どちらが「そもそもの」魔王だったとしても、これから勝った方が新たに魔王になるということもありうるよね」

「……下克上?」

「うん。でもまぁ、そもそもの魔王よりも、さっきの偽物の魔王の方が、性格的に問題がありそうだから、本物の魔王を助けた方がいいのかな。本物の魔王の性格は分からないけれど」

「まぁ確かに、偽魔王ってちぐはぐでおかしな感じがしたけれど」

 偽魔王は外交とか対人間だとか、そういうものを無視して、面白半分で人間ごっこをしているような気がした。面白いからと言って人間を簡単に襲うかもしれない、そんな不安定さが底にある。

 ジークが何気なく視線を振った。柔らかく呼ぶ。

「アライ」

「はい?」

「魔王に何かあっても困るから、魔王への手助けを許可する。もし案があったらあげてもらってもいいかな」

「殿下。ご自分で考えないんですかね」

「え? だって、最終的に実行するのはアライになるわけだから。笛を吹いてとか頼むわけにもいかないし」

「殿下……」

 返答に詰まったアライの肩を、イディアーテがぽんぽんと軽く叩いた。

「アライ、考えてもみろ。王子が自分でやりたいと言ったり、言わずに勝手に行動するよりは、よほどマシだ」

「いやそーいうことじゃなくてアライ的には……」

「ごめんねアライ。蛙だった期間が長いせいで、つい自分で動けなくて。もう私は人間なのだった。アライが行かないのなら、私が行こう」

 ジークが気負いなく踏み出すので、リアとアライが前に飛び出る。

「だめ、ジーク!」

「蛙とか関係なく! 殿下は実行しなくていいですから!」

「でも、やっぱり部下を危険にさらすのも、よい為政者とは言えないし」

「そういう意味じゃなくてね!」「そういう結論もおかしいわ!」

 リアと主従達がもめている一方、魔王達に変化があった。

 魔王が組み伏せた偽魔王が、気づけば、イスみたいに大振りな、まん丸いヒキガエルになっている。

「おや。元の姿はアレなのかな。魔物は人間型として生まれ育つのではなくて、人に化けていたのか?」

「殿下観察してないでちょっと離れて」

「そうよ近いわよ」

 アライとリアが、ジークの腕を片方ずつ引っ張って、魔王の乱闘現場から遠ざけた。

 イディアーテはと言うと、手を出したいのにジークの両腕とも既に取られているので、手持ちぶさたに立っていた。

「さあ!」

 魔王の澄んだ声が響いた。

「偽物め! 覚悟しろ!」

「ちっ、こうなったら!」

 丸いヒキガエル状の生き物が、マシュマロみたいな煙を出した。人に化け直そうとするが、うまくいかず、細かな雨蛙になってぼろぼろと崩れて逃げていく。

 広間は、小さな蛙集団に埋めつくされた。さながら蛙の海のようだ。

「逃がすか!」

 魔王が叫び、手を伸ばす。たった一対の手が、一瞬で無数に細かく裂け、蛙達を一匹か二匹ずつ捕まえていった。裂けた手達は、蛙を掴むと、そのまま、ごくんと掌の中に飲み込んだ。

「うっ」

(蛙も気持ち悪いけど、この魔王もさりげなくえぐい……!)

 リアはよろめく。さらに強いめまいがして、座り込んだ。周囲を蛙達がわあわあと通過していく。

(やだ! 蛙の中に埋もれちゃう)

 慌てて這い出すけれど、立ち上がっても目線の高さが変わらない。

 嫌な予感がした。手足を伸ばす。

「え」

 自分から見える範囲では、手足がどうやら、蛙のようだ。

「きゃー!?」

「うわーあの蛙に触ったら蛙になるわけですか!」

 アライが、床に即座に書いた簡易魔方陣に自分とイディアーテだけ入れて、解説してくれた。

「どっ、どうしよう、蛙になっちゃった! っていうかジークはどこ!?」

「ここだよー」

 ジークの声は、蛙の群れの中から聞こえた。

 まさか。

(あの人、また蛙になっちゃったの!?)

 リアは跳ねる。

 ジークはどこだろう。

 腐った絨毯の毛羽立ちが、蛙の柔らかい皮膚を突き刺した。

(あぁじれったい)

 歩きにくい。寒いような暑いような、変な感触がする。

 リアはどうにか、蛙の波の中に、ジークを見つけた。

 前みたいな王冠もないけれど――すぐに、分かる。

「ジーク!」

「あぁごめんリア、せっかく人に戻れたのに、また蛙になってしまった」

「私だって蛙なんだから、お互い様よ!」

 それに。

 リアはもう、呪いのとき方を知っている。

 リアはジークにキスを贈り、わずかの後に、メレンゲみたいな泡に包まれて、人に戻った。

「さぁ! 偽魔王はどこ! 人を蛙なんかにしてっ、許せないわ……!」

 リア達が騒いでいる間に、蛙は広間の出口に殺到していた。

 アレのすべてが、偽魔王なのだろうか。

 本物の魔王が、じわりと距離を詰めている。

「ふ、ふ、ふざっ」

 偽魔王の声が、蛙の大群の内側から出た。

「ふざけるなぁ! 私は、あそっ、遊んでいただけで」

「お前の遊びにつきあわされて、迷惑した!」

 蛙を片っ端から食い尽くし、魔王が毅然と言い放つ。

 不利を悟ったのか、蛙はつかの間、動きを止めた。

 そして、一斉に身をかがめた後。動きを揃えて、ぴょんと跳ねた。

「えっ?」

 蛙が床に落ちた瞬間、床がきれいにくりぬかれる。

 蛙と共に、リアはどこかに落下していた。

 ここは寒い。

 リアはまどろみながら、手を伸ばす。

 たぶん、寝ている間に上掛けを蹴り落としたのだ。

(子どもの頃は、寝相が悪くて笑われたわね)

 それにしても、やけに手が上掛けにたどり着かない。

「うん?」

 ひんやりとしたものが頬に当たっている。

 リアは瞬きし、一気に覚醒した。

「何これ」

 石床に寝そべっている。

 石床と思いきや、それはつやつやと光っている。

 磨き抜かれた鏡のようだ。

 それらに、毒蜘蛛や蛇がうじゃうじゃと映り込んでいた。

「――ッ」

 とっさに天井を見る。

(どうやって追い払う!?)

 旅の間、荷物をアライに預けたりしていたため、今手元に武器がなかった。緊張とともに、身構える。だが。

「え?」

 天井に何もいなくて、困惑した。床には相変わらず、蜘蛛などがうごめき、ざわついているというのに。

 リアは声を裏返した。

「えっ、ここは、何なの?」

 アライ、イディアーテ、リア。

 ごく最近出会った人達。

 あるいは、昔、城で出会った人々。

 それらがくるくると、入れ替わり立ち替わり、ジークの前に現れた。

 人の姿をとり、怒りや恐怖の表情を浮かべていても、どれもひどく薄っぺらだ。

(鏡、かな?)

 指で触れると、ひんやりとしている。

 表面は磨き込まれたガラス状だ。手入れがいいというよりも新品の鏡だった。

(これは、魔法で出現させたものかな? それにしても――子どもだましみたいだ)

 鏡の中の相手は、こちらを嘲笑したり、傷つけようとして武器を手に襲いかかってきたりもする。けれど、幻は幻だ。

 実際にジークに触れるのは、かたくて冷たい、平らな鏡ばかりだった。

(……何だか憂鬱になってくるな)

 蛙になってからというもの、不便ばかりだった。食べ物にも気をつかうし、暖かすぎると体調を崩し、冷たい場所にいすぎると体温が下がりすぎて凍死しかけた。

 その、寒さ、つらさ、寂しさが、現状と重なって、胸の底からよみがえってくる。

 当時からイディアーテやアライがいたけれど、外へ出るのにも彼らの手を借りねばならず、迷惑をかけていた。自分の世話のために拘束している、そのことが申し訳なくて、喧嘩したいのに我慢したこともあった。彼らが里帰りするときは、泣かないふりをした。

 そして、自分で決意したこととはいえ、見知らぬリンデンの城で過ごした日々。呪われた者達と一緒に、けれどお互いに一切会うこともなく、ただ助けてくれる誰かを待つだけの日々。リンデンの城を作った者は、呪われた者は多少苦労して反省してから、その祈りの力と相手の願いによって呪いから解放される、という設計にしたようだけれど、本当に誰かが来て助かる者は、きっと少ない。

 故国を失い友人も知人も遙か過去の人となっても、呪われた者が生き残ることだってあるだろう。

 きっと、しんでしまうほうが楽なんじゃないかと思ってしまうほど、変わることのない蛙の日々が繰り返された。

(それをね)

 あの子が、変えてくれたから。

「私は魔法を使えないけれど、今なら鏡を壊すことくらいはできそうだ」

 ジークは物思いから浮上し、手の甲でこんこんと鏡を叩く。

 そして息を吸い――思い切り振りかぶった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る