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第23話

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「お腹がぺこぺこだよ」

 ぼやきながら、魔王がテーブルの上の皿に手を伸ばす。リンゴは腐敗して茶色く濁っていた。だが、魔王に指で触れられたとたん、するすると内側から身を盛り上げる。皮が張り、澄んだ赤い果実になった。

 あっけにとられている人間の前で、魔王は音を立て、みずみずしいリンゴをかじりとった。

「リンゴ、いる?」

 人間達の視線を受けて、魔王は気軽に、残りの腐ったリンゴを持ち上げた。どれも見る間に、新鮮さを取り戻していく。

 元の姿を知っている身としては、あまり食欲はわかなかった。

 自分達で持ち込んだ食材を食べると答えてから、リアは思い切って聞いてみた。

「魔王は、新鮮な植物も食べられるの?」

「生野菜も食べるよ」

 これまた気楽に、リンゴを食べる合間に魔王が答える。

「魔物って、悲鳴や怒りとかが好きなんじゃないの?」

「それは、それらの感情が一番強いものだからだよ。香辛料みたいに……というよりは、うーん、味付けが濃いっていうの? 一番強くて、一番分かりやすいんだ。喜びや楽しみよりも、ものを動かす力が強い」

「分からないでもないけど……」

「まぁ僕はそこまで飢えてないから、リンゴでいいよ。ただし、何を食べたらいいか分からなくて困ってる魔物も、結構いると思うよ」

 全員でリンゴを食べるわけにもいかないし、と魔王はもごもご言い訳をした。

「魔物が食べるものに、興味があるの?」

「気にはなります。食べ物代わりに、人間や家畜が襲われるのは困るもの」

 リアの言葉に、魔王は再び「うーん」と首を傾げた。

「北の大国、って君達は呼ぶの? アレは、魔物のえさの研究をしてるみたい」

「えさ……」

 まるで北の大国は、魔物を、対等な生き物だとは思っていないようだ。魔物を恐れず、格下の扱いをしているらしい。

 触れてもいいのか分からなくて、リアは話を変えてみた。

「貴方は見た目が人間に似ているのね」

「そうだね。そうみたいだ」

 魔王はリンゴを食べる手を止め、右左順番にゆっくりと伸ばした。

「そろそろ忘れるところだったよ。結構長いこと、さっきの奴にやられっぱなしだったし。北の国にも無理強いさせられたし」

「人と違うところといえば……角があるのね。何で?」

 魔王の外見が年下めいているので、リアはつい、年少者相手のように聞いてしまった。

 魔王は、額の牙みたいな角に手で触れる。

「これは、……そういう種族だからとしか説明できないって言うか」

「あぁ。角のある鹿とない鹿がいるね」

 ジークの言葉に、リアもあぁ、と顔色を明るくした。

「それは分かりやすいわね。見たところ、それ以外に人間と違うところはなさそう。角があって便利なことってあるの?」

「えっ? あんまり。人には恐れられるし……。他の魔物達に、命令できるだけだよ」

「角があるから?」

「たぶん。前の魔王も角があったし」

「不確かなのね」

「そうなんだよ! 魔王って言ったって、僕、特別な魔法とかも使えないし」

 手を打って、魔王が頷く。

「結構苦労してるんだよ! 変なもの食べると中るし。大変なんだよ」

「かわいそう。変なもの食べさせられたの?」

「たまに。魔物なんだから何でも食べるだろ、って、檻に入れられて残飯もらってたこともあるよ。ここ十数年は、広い屋敷ももらえたけど……アイツにすり替わられた間に、部屋は汚れてるしほんと困る」

 魔王は、むう、と頬を膨らませる。見た目よりももっと幼い、子どものような仕草だった。

(魔王はこんな姿だけれど)

 リアは、鏡の世界から脱出したときに、強く実感した。

 これは、人ではない。

 異形が人をまねている。

 何となく――この人とはちょっと、一緒に暮らしていけそうにない。

 リアは予言のことを思い出して、遠い目をした。

(どうしよう)

 リアの思案をよそに、ジークがふと口を開いた。

「そういえば魔王……様、と呼ぶべきでしょうか」

「えっ何? 急に改まって。いいよ別に。君達、僕があの偽魔王の隙を狙ってたとき、助けてくれたでしょ」

「特に何もしていないのですが」

「してるよ。そっくりな形をしてるうちは、向こうも僕と似た力を使うから、面倒なんだよね。笛を取り上げたり動揺させてくれたから、僕が勝てる余地ができた」

 目を丸くしてせっせと説明する魔王に、リアも声をかけた。

「貴方の圧勝みたいに見えたわ」

「それなら、僕が努力したおかげだね。努力で勝ったもの」

 気負わず、魔王は肩をすくめる。

「呼び名が必要なら、魔王でいいよ。北の大国は、僕らのことを魔王一号とか魔王二号とか、分けて呼ぶけれど」

「では、魔王と」

 ジークが、頷き、順をすっ飛ばして急に聞いた。

「魔王。貴方は、魔王の花嫁と呼ばれる者をご存じですか」

「はなよめ?」

(ちょっとジーク!!)

 覚えのある事態に、リアは硬直した。

 少しくらい前置きしてほしい。リアだって心の準備が必要だ。

「妻、という言い方もできますが」

「つま?」

 魔王がつかの間、首を傾げた。瞬きを繰り返す。ややあって、あぁ、と気の抜けた声を出した。単語の意味に思い当たったようだ。

「妻? 伴侶のこと? 知らないけど」

「実は、ここにいる少女は、生まれたときに、魔王の花嫁になるという予言を受けているのです」

「予言だって?」

 魔王の手から、リンゴの芯が転がり落ちた。

「伴侶なんていらないよ! 魔物って分裂で増えるし。大国が僕に、人間の言葉を教えていったけど、それが何の役に立つのかと思ったら。こんな話を理解するためだったなんて! 君達、そんな話をしに、ここへ来たの?」

「いらないんですか?」

「いらないよ!」

 そこまで清々しく「いらない」と言い切られると、十数年間悩んできたことが晴れるよりも先に、リアは呆然としてしまった。

「……いらないんですね……」

 リアが身じろぎせず、ぼんやりと立っていると、

「あぁ、そうだ」

 思いついた口調で、ジークが空とぼけた。

「魔王はという言葉は、古代語で何て言うのかな?」

「は?」

「ドゥサーラ、でしたか」

 イディアーテが記憶をひっくり返して思い出す。

「詳しいのね、イディアーテ」

「王子が魔物に襲われるたび、魔王が統御しないからだと腹を立てていたもので。子どもの頃は、くそったれの代わりに唱えてました」

 解説したイディアーテに「ごめんね」と詫びてから、ジークは晴れやかに言い放った。

「それでね。私は魔王職をかっさらう代わりに、名前にドゥサーラを入れようかなって思うんだ」

「はい?」

 蝋燭が、じりじりと燃えている。窓とカーテンは閉められ、外は見えないが、きっとかなり時間が経っている。外はきっと夜だろう。

 ジークが思いつきの続きを言った。

「リアの予言の内容は、「魔王の花嫁になる」でしょう? 魔王、という単語が入った名前の人と結婚しても、問題ないよね?」

「いや、あの、王子……? そういう問題じゃありませんよ?」

「ジーク、やけになってない? 名前のこと、そんな簡単に決めていいの?」

 イディアーテとリアに真面目に止められたが、ジークは気にしない。「あぁすっきりした」とアライと頷き合った。

「よかったよかった。これで、心おきなくリアに求婚できるよ」

「何にせよ、予言も花嫁の件も片づいたわけだし、いいことですよね!」

「アライ、王子をのせるな! 止めろ!」

 騒いでいる人間の横で、魔王が所在なさげに、リンゴの芯を拾い上げた。そして、掌の中でくしゃくしゃと咀嚼して食べてしまった。

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