第5話

「いや、女性にそんな、人質みたいな姿は、させられないよ。リアを怯えさせるようなまねはよしてくれ、イディアーテ」

「は。申し訳ありません王子」

「それよりもイディ。私を、そのハンカチで包んでくれ。口だけ、隙間から出しておくから。布にキスするつもりで、リアに口づけてもらえばいい。それなら、気持ちの悪さも半減する」

 気をつかった蛙が、自ら、かがんでいるイディアーテの膝上から、ハンカチを奪い取った。七転八倒して何とか体に巻きつけようとする。

「キスさえすれば何だっていいみたいな展開になってますけど……」

「それは仕方ありません」

 再びにべもなく、イディアーテが氷みたいな目で言った。

「それが「あの城」の魔法ですから」

「それは、そうなんだけど……」

 元々、呪いというものは、「愛する者のキス」によってとかれる。それをあのリンデンの城では、別の魔法によって、「扉を開けた者のキスを受けると、とける」に変換してある。

 というのも、昔は見た目や(呪われて、姿が蛙とか馬とか蟻とか首が長すぎるとかになっていたり)、性格上の問題で(酒乱だったり威張りくさっていたり卑屈すぎたり)、呪いをといてもらえないまま生涯を終える者が多かった。性格のせいで失敗したり、禁足地に踏み込むことで、魔女や神に呪われた彼らは、時には人間よりもよっぽど長生きになり、祖国が滅んだのち何千年も呪われたまま、愛する人を待ち続けることもあった。

 大魔法使いルルデ・エスラーデが、そんな呪われ者達を哀れんで、リンデンの城を作り出した、と言われている。

 今では、生活に困ったり日々の暮らしに飽きたりして、「新しい運命を手っとり早く見つけたい」という子女が、腕試し代わりに飛び込む、謎の場所となり果てているが。

(噂話を聞いたときに、てっきりおとぎ話だと思って、眼中になくて――でも、もう他に手がなさそうだから、文献を調べまくって、場所と内容を確認してから来たんだけど)

 実際に、こんなことになるとは、思っていなかった。

「もし呪いがとけたとしても、貴方じゃ戦力にもならないし……」

 蛙にキスするという苦労を乗り越えても、リアはまた一人ぼっちで魔王と(というか予言と)戦わなくてはならない。

 蛙には悪いが、気力が萎えた。

「……戦力……」

 ハンカチと格闘し疲れてうずくまったジークが、その片隅から顔を出した。

「リア。君は、魔王と戦うつもりなの?」

「必要であれば」

「魔王っていうのは……魔法使いよりも、魔力があって強いものだね? 魔物の多くは、北の大国と話し合ってもっと北方へ移住していったから、今の魔王は話の通じる、親・人間派なんだと思っていたけれど……」

 蛙の姿をしているけれど、王子は、社会情勢にも詳しいらしい。

「魔王と、話し合えないのかな」

 リアは、息を吸い込んだ。

「人間と国境をまじえると、魔物は絶対に、人が恐怖する叫びが嬉しくてたまらなくなる――それで戦争になるからって、北の大国ノルンドが、魔王と交渉して氷の地を貸し与えた、という噂はあります。でも、話ができるからと言って、私が嫁に行かずにすむとも限りません!」

 両親も、リアを売り渡す決意をしたのだ。あの晩はお別れのパーティーだった。身内だけでひっそりと。

 でも、リアは、なすがままだなんて、絶対に嫌だ。

「魔王なんてお断りよ」

「でも、実際に魔王を見たことがある? 私も私の国の者も見たことがない。君は?」

「ない、ですけど……」

 リアの頼りにしている情報は、北の大国ノルンドの新聞と、噂話、古い資料の本だけだ。

 いくら小国でもストラは国。ノルンドが、魔王について情報を独占している中、そう簡単には教えてもらえるわけもない。

「ふむ……」

 ジークは、ハンカチの中で思案した。

「いいひとかも、しれないよ?」

「いいひとだとしても! 私は別の運命を歩みたい! 私には貴方がいるし」

「あれ?」

 ジークが照れ笑いするので、リアも我に返った。

 これではジークのことを認めたみたいだ。

 戸惑ったリアに、ジークがフォローを入れてくれた。

「ま、まぁ、運命と言っても、呪われた者は呪いをといてもらい、呪いをといてくれた人に恩義を返す、そういう取り決めだからね。昔話のとおりに、結婚とかしなくたって、構わないわけだから。私のことはあまり気にしないで。……私は、結婚してくれたら嬉しいなって思うけれど」

「え」

「だって、リアはとっても勇敢でかわいらしいからね!」

 風が梢を揺らしていく。返事をしかねて、リアは視線を泳がせた。

 どうも、調子が変になる。

(予言のことも、一緒に考えようとしてるみたいだし……変な蛙だわ)

 ごそごそと音がする。何だろうと思ったら、鳥獣の気配のない森の中で、アライが小さな天幕を組み立てていた。

「手際がいいのね」

「え? 何? これ? だってアライ達は全力で、祖国とこの森を行き来してますから。野宿って結構多いんですよ。ベッドで寝られるっていいですよね、サソリとかいろんな虫や蛇なんか恐れなくてすむし。リンデンの城なら安全ではあるけど、あの部屋狭いから簡易ベッドとソファーと床で寝るしかないし結構つらくて」

 話が逸れていく。

 イディアーテがため息をついて、自分の馬からも荷物をおろした。

「とにかく。リア様。貴方はリンデンに戻って一晩過ごすおつもりは、なさそうですね?」

「それは……貴方達を、受け入れたわけじゃ、ないですし。私は、他の手段も、検討しないといけないし……」

 腹の底がもやもやした。

 すぐさま駆けて、ひとりぼっちで森を抜けて、元の、自分の国へ帰るか――魔王か追っ手に見つかるまで、あちこちの国を放浪するか。そのぐらいしか、やれることがもう思いつかない。

(それじゃあ、ここに来る前と何も変わらない)

 リアは視線を引き戻す。見たくないが、視界に入れた。

(それに、この蛙)

 戦力にはなりそうにないけれど、このまま蛙を放置していくのは気が引けた。

 キスはまだできないけれど。

 扉を開けてしまった責任が、リアにはあるのだ。

(そのうち、キスできるようになるかもしれないし……)

 ならないかもしれないが、何とかしてやらなければ、やはりかわいそうだ。

 リアに見られて、ジークがぱち、と瞬きをした。

「他の手段を検討するって、今すぐ森を抜ける気かい? 危険だよ。そろそろ日が暮れる。できれば城で休むのを提案したいけれど、一緒に行きたくないならせめてここで休んでいこう。野宿慣れしているアライ達の選んだ場所だから、危ないことにはならないと思うよ」

 気がつけば、日の位置がずいぶん下がり、辺りが暗くなりつつあった。いずれ、暗い夜が来るのだ。

 まだ空は明るいけれど、森の木々の陰が濃い。と風も冷たくなってきていた。

 ジークが言う。

「君が魔王と戦うというのなら、私も知恵を絞ろう。だから今は、一人で飛び出していってしまわないで。一緒にいてくれませんか」

「今更だけど、私の予言に巻き込むわけにもいかないわ。だって、貴方達は思ったより悪い人じゃなさそうなんだもの」

「はい?」

「だっ、だからっ」

(何言ってるのかしら私)

 ぎこちなく、リアはアライの作ったたき火に、木切れをくべた。ちょっと煙たくて咳が出る。

 生木じゃなくてこっちの乾いた木を使いなよと、ジークがぴょんと近づいてきた。

 リアが黙っていると、ジークは首を傾げて、リアを見上げた。

 そばにいると、なぜだかひどく落ち着いた。

「……貴方は不思議な人ね。蛙だけど」

 できるだけ視界に入れないように、蛙から目を逸らしながらも、リアは口を動かした。

「貴方達を巻き込むのは、悪いなって、思ったの。今更だけど、私が勝手にドアを開けて、貴方達を私と結びつけちゃったのも、ごめんなさい……キスできないし、貴方達からしたら、すごく、その、迷惑なんじゃないかしら……」

「ぜんぜん! そんなことはないよ!」

 ジークが声を張り上げた。めいっぱい跳ね上がり、リアと視線を合わせようとする。

 健気なジークは、息を切らせてこう言った。

「私は! 自分がうかつだったせいで、この呪いを受けたんだ。だから、この姿はいわば自業自得なんだ。それでも、蛙でいると不便も多いし、両親にも国の者にも申し訳ない。人間であれば、視察のときに寒さで冬眠してしまったりしなくてすむし。だから、呪いをとこうと思った。――でも、リンデンで待っているのは、人頼みで、だから、その、扉を本当に開けてくれる人がいるだなんて……信じたかったけれど、信じられないときも、あった。でも君が来てくれたんだ。その上、私の身を案じて、気にして心配してくれるんだ。私は、こんな嬉しいことはないと思うよ!」

「私は、貴方を利用するためにドアを開けたのよ」

「私も、呪いをといてもらうために待っていたよ。それだけじゃない、もっと話をして力になりたいなと、今は思う」

 ジークが跳ねているのを、イディアーテとアライが、遠巻きに見守っている。

 たき火の炎のせいか、リアは頬が熱くて仕方がない。

(何、これ)

 まるで。

 これは。

 何かの始まりみたいな。

 跳ねていたジークが、何かに気づいて、ぺた、と地面に落っこちた。

 リアは初めてまともに、蛙の顔を見た気がした。

 思ったより――かわいらしいと、言えなくも、ない。

「あの」

 思わず口を開きかけたそのとき。


「お兄さま」

 地獄の使者みたいな声だった。

 夕闇の近づく空の下、ざあ、と風に巻き上げられながら、スカート姿の誰かが、こちらを向いて立っていた。

 リアは、彼女に見覚えがある。

(あのときの!)

 リンデンで見た――というか、リアを突き飛ばした――豪奢な金髪の美少女だ。灰みを帯びた青い瞳が、この場にいる全員を射抜いた。

「やぁ、マーサ」

 ジークが、剣呑な空気には気づかず、明るい声をあげた。

「こんなところで、どうしたの?」

「殿下っ、ご機嫌うるわしゅう」

「え? あぁうん。私は元気だよ。君のお兄さんも元気だ。ね、イディ」

 ジークに話を振られ、イディアーテが舌打ちをした。

「え。イディアーテさんの、妹さんなの?」

「お兄さま……!」

 王子に向けた笑顔から一転し、美少女は兄を睨み据えた。

「どうして! わたくしが! 殿下の! 運命になろうとしたのを! 邪魔するんです!」

「邪魔はしてない。王子の幼なじみとして、世話係兼遊び相手を買って出てリンデンに常駐していただけだ。後は誰かがドアを開けるだけ」

「従者は、出入り自由でしょう!? どの部屋にいるのか知っているじゃないの! なぜ教えてくれないんです! しかも、ここしばらく誰も行かなかったリンデンに、こーんな小娘が走っていくじゃありませんか! 危ないから邪魔をしてやろうと思ったら、結局奪われてしまった!」

「……」

 小娘呼ばわりされたが、見た感じ、美少女とリアの年齢はほぼ変わらない。どうしたものか分からなくて、リアはぼんやりと瞬きした。圧倒されているのはリアだけではないらしい。アライがちょっと遠ざかっている。

 蛙の王子は、いつの間にかアライに両目あたりを掌で隠されて連れ去られていたが、むずむずと動いて顔を出した。

「とにかく、久しぶりに会ったね。マーサ。きれいになったね」

(……んっ?)

 リアは一瞬、いらっとした自分に気がついた。何だろうこれ。胸がもやもやする。

(べ、別に……あの蛙が、誰とどういうご関係でも、どんな言葉を吐こうとも、私には関係、ないんだからっ……)

 胸の内で呟くと、かえって混乱する。

(えっ? 何? それ何なの? どういうこと? いくら、最近話を聞いてくれる味方がいなくって、魔王に売り飛ばされそうになってつらかったとはいえ、初対面の蛙に、ほっ、ほだされ……てはないんだから。うん。大丈夫。うん)

 何が大丈夫なのか。リアは拳を握りしめて一人で頷いた。できるだけ蛙も、美少女も見ないようにして、息を吐いた。

「ジークフリート様。愛する方がいらっしゃるなら、その人とお行きください。私は気にしないわ」

「アライ思うんですけど、気にしないならそんな怖い声をお出しにならなくてもいーんじゃないですかね」

「黙っていろ」

 イディアーテが言いさしたが、アライは舌を出すだけで、続きをきっちり吐き捨てた。

「っていうか殿下が決めることだし。そこの姫君がどれっだけ望んでも、嫌がっても、殿下は陰ながらついてって延々見守り隊をしていきそうな気がするんですけどね。はい以上です黙ります」

「アライ、イディアーテ。心配をかけてすまないね」

 ジークが、どこか外れた労り方をした。

 アライの手の中でもがきながら、マーサに向き合う。

「残念だけれど、君と行くことはできないよ」

 マーサに向けて、ジークは清々しいほどの笑顔で(たぶん)言った。

「ど、どうして」

「だって、私はまだ呪われているんだ。入っちゃいけない魔女の庭に入り込んで、うっかり花を踏んづけた――あの日以来。ずっと。呪いというのは、蛙になるっていうことだけじゃない。分かっているだろう?」

 傾いていた日が、いつの間にか地平線の果てに落ちてしまう。

 日差しが、消える。急激に夜が訪れる。

 薄暗くなった中、アライがジークから片手を離して、荷物の中から剣を抜いた。

 そこはかとない不安感から、リアも周囲を見回した。

 だが、見るまでもない。

 気配で分かる。

「何、これ」

 薪に火をつけたのとは別の、腐臭にも似たきな臭さ。

 生き物の気配がなかったはずの森で、うぞぞ、と、何かがうごめいた。

「マーサも、リアも知っているかもしれないけれど。呪われた者には、魔物がつくんだ。私が呪われて以来、たびたび魔物に襲われるから、私は皆の安全のためにも、あのリンデンへ引きこもったんだよ」

「では、なぜ今、外に出ているのです! 殿下!」

「困ったな」

 マーサの険しい顔に、ジークフリートは照れ笑いした。

「リンデンで、決意を秘めた人がドアを開けてくれるなら。きっと私は、そのひとを好きになる。って、思っていたんだ。一生懸命に駆け込んできたリアの姿に、実際、一目惚れしてしまってね」

 だから――危険な目に遭わせるかもしれないけれど。それでも。

「危なくっても、リアと離れたくなかった。何も知らないままでは別れたくなかったんだ。だって、名前も知らないのに、逃げ出されてしまったら。探せなくなるだろう? ……リアにも、イディアーテやアライ達にも、とても悪いとは、思うけれど。ごめんね」

 木々の隙間を何かが横切る。

 見たくない、けれどリアは見てしまう。

 小山のような黒い塊が、一行に向かって近づいてくる。

 うぞぞ、と大量の羽虫が集まって這っているような音が響いた。

(嘘、でしょ)

 リンデンの城に来る前に、急ごしらえで調べたので、呪われた者が魔物に襲われるのを、リアははっきりとは知らなかった。

(領内に、魔女や、呪う者もいなかったし)

 よろめきながらも、火のついた木切れを掴んで、リアは、その魔物に向き合った。

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