第15話
*
山の麓までいったんおりる。あと一山越えると、町一つ隔てて、魔王のいる荒野があるはずだった。
「へいいらっしゃいいらっしゃいー」
誰にともなく声をかけ、屋台の親父が串を振った。四隅に木を打ち立てて、屋根を乗せただけの簡素な屋台だ。
「新鮮取れたての野菜! 芋! 鳥肉!」
親父が叫ぶ中、軽い木の椅子を引いて座りながら、灰色の目の男が言った。
「肉と青野菜と芋、一つずつ。四人分」
親父が軽快に「いらっしゃあい!」と叫び返す。
男はため息をつき、袖をテーブルの上にのせた。袖口から、緑色の物体が顔を覗かす。物体が、口を開いた。
「ねぇイディアーテ」
「何ですか王子」
灰色の目の男は、視線を向かいの男にやって、剣呑に呟いた。見られた方は、自分の荷物から取り出した葉っぱを噛みながら「何が?」と首を傾げる。人の袖口で、緑の物体が顔をあげた。
「私は野菜だけでいいよ」
「アライが全種一本ずつと、肉一本追加でしょー」
「全員が全種類一つずつです」
灰色の目を細め、イディアーテが言い切った。彼の隣の席で、軍服が人に見られないように布をかぶったリアは、きょろきょろと辺りを見回した。
「懐かしいな……」
「どうしたの?」
「昔、弟と、こういう店で食事したことがあって」
リアは言いながらほぞをかむ。小国ストラが若い国とはいえ、また王族とは思えない発言をしてしまった。
緑の物体である蛙が、瞬きした。
「いいね。世の中のことを知るいい方法でもある。あまり安全ではないし歓迎されないけれどね。私も蛙になってから、イディアーテやアライとよくこうした旅をした」
「よく、っていうか殿下は呪いとくためにぶらぶらしてただけっていうか」
アライがまた取り出した葉っぱを丸めながら言いさした。口が清涼になるというので、リアも一枚貰って噛む。
話している間に、串焼きが届けられる。炭火の匂いと人のざわめきの中、一行はしばし無言で串焼きを頬張って、咀嚼した。
素材のうまみを味わいながら、リアは深く息をつく。
道中、多少喧嘩もした。アライは物事の扱いが手荒で、たまに姿を見せるマーサを時には半泣きにさせていた。子どもの頃の失敗を笑われて、いつも偉そうなのにしょげていたから、リアは思わずマーサに加勢した。
真剣に少女の味方をするリアに、アライの主たるジークも、そこまでおおごとだと思っていなくてごめんなさい、と謝った。マーサはリアに抱きついて礼を言った。やっぱり、マーサはかなり素直な質らしい。イディアーテはちょうど付近を見回っていたので、戻ってきたとき怪訝そうな顔をしていた。
その他にも、細々としたことはあったけれど。
(ここまで、来たのね)
もう少しだ。あと少しで、魔王に会えるかもしれない。
串焼きを串だけにしながら、アライが挙手した。屋台にいた他の客が、「ん?」と首を傾げてこちらを見る。
「ねぇねぇ聞きたいことがあるんですけど」
「何だ兄ちゃん」
「ここの串焼きって味付けにフラヌ胡椒使ってるけど、家では何つけて食べるの?」
そりゃあな、と客達がわいわいと参加してくる。ある程度場があたたまってきたところで、アライは食べ終えた串を振ってみた。
「そういえば魔王の噂ってあります? いやぁ、道中魔物が出て、あんまり出るもんだから、魔王ってほんとにちゃんと魔物に指示とかしてんのかなあって思って。むしろ襲わせてんのかと」
世間話のついでのように、魔王の情報を集める。それは、人のいる場所に通りかかるたびにしてきたことだ。
魔王についての噂は、北の大国から遠いうちは、人間を頭から丸かじりにするとか太陽を飲んだことがあるらしいといった、ほとんど伝説みたいなものだった。だが、ノルンドに入ると、ちょっと現実感が増してきた。
「駐留してる軍人の中に、近所のヤツがいるんだが、昔は人間ごっこっつうか、人間みたいにちゃんと大国の使者とも手紙をやりとりしてたのに、最近引きこもって、誰とも会おうとしてないんだと」
「側近っていうの? 魔物も全部、もっと北の方に追いやって、近くにゃ誰もいないんだそうだ」
「何でも、最近の魔王は前と別人みたいに、乱暴なことをするんだって」
等々。
「何だか、近所の領主様みたいな扱いね」
この辺りの人達は、まるで人外のものではないみたいに、魔王の噂話をする。
「そりゃ、実際にあんまり見ることもないでしょうし、魔王なんてそんなもんと変わらない程度のことしか、してないんじゃないですかね」
「変だね」
ジークがぽつりと呟いた。
「魔物を統治する魔王。もっと、強くて偉くって、皆におそれられていても、いいはずなのに。そんなに、親しみやすいのかな」
「だから殿下、アライの話を聞いてましたか」
「聞いていたけど、見た目が、これまで会った魔物のようであれば――人を襲うし、不気味な姿をしているしで、皆、もっと怖がるはずじゃないか?」
「人間ごっこをしてた、っていうのがヒントになるのかしら」
リアはジークに助け船を出す。
「人間とやりとり、意志疎通ができている。化け物と罵られるような姿ではないのかもしれないわ」
「気になるねぇ。まぁ、次の山を越えたら魔王に会えるよ。のんびり行こう」
とてものんびり行く気にはなれないのだが、行きたくないともなかなか言えなくて、リアは曖昧に頷いた。
その様子に、ジークが首を傾げたが、結局何も言わなかった。
*
魔王の土地に近づいたからか、山中は本当に魔物が多かった。
たいていは小物だったが、あまり眠れず、結局山道を夜通し歩く羽目になって苦しかった。
星が降ってくるような空の下、リアは月明かりを頼りに、歩き続ける。
(私、自分のために歩いてるんじゃない気もする)
歩いているうちに思考がぴんと張りつめた。
(魔王に会いに行くのも……この人達と別れたくないっていうのも、あるのかもしれない)
何度目かの魔物の襲撃をかわした後、リアは、ジーク達が無事なのを見てほっとした。結んでいた唇が開いて、つい「ねえ」と呼び止めてしまう。
いつしか日が昇り、辺りは柔らかい光に包まれていた。
今なら、何だってできそうな気がした。
(魔王に会うのに、私、この人に何もしてあげられない)
胸が苦しくて、口を開く。
「私、貴方を守りたいの」
リアはジークを、握りつぶさないように、広げた掌の上にのせてやった。
「リア」
無理はしなくていいよと、いつものようにジークは言いかけたけれど。
リアは真剣な顔で、息を吸い込んだ。
できる。
息を止めて、ちょっと蛙に顔が激突するくらいだ。
キスくらい、できる。
ひゅうとアライが口笛を吹いて、イディアーテがその背を素早く掌ではたいた。
(目をつぶれば、蛙なんて見えないし)
いい作戦のように思える。リアは目を閉じ、顔を洗う要領で、自分の掌に顔を突っ込んだ。
「うわ!」
ジークがぴょんと跳ねた。リアが突っ込む寸前に、リアの手の甲に飛び移った。
「どこ!? どこにいるの!」
覚悟をむげにされたリアは、目を閉じたままきょろきょろした。
「リア、その……本当にいいの?」
「いい、覚悟はしたのっ」
「覚悟したわりに蛙であるという真実からは目を背け続けている、と」
アライが茶々を入れる。
「背けてて、何が悪いの! いいじゃないっ、別に見なくたって!」
「それで果たして魔女の思う通りのとき方なのかなぁなんて思うわけですが、アライ的には殿下がどんな大人になるのかにも興味があるのでやっぱりいつまでも蛙っていうのも変化がないので蛙返上がんばれ殿下ッ」
「アライ……やっぱり蛙は、嫌だったんだね……」
そこはかとなくしょぼくれたジークに、アライが明るく言い切った。
「蛙でもいいですけど、蛙じゃないほうが殿下も楽しいことがもっとできますよ! 蛙って人間くらいの体温を貰うと死んじゃうから、女の子と何にもできないじゃん」
「アライ」
あえて名前を呼んでイディアーテが鉄拳を打ち込んだが、アライは当然のようにそれを避けた。
そのまま、避けた動きに連なって、剣を抜く。
「えっ!?」
抜剣するほど怒っているのか? リアは思わずそちらを見やった。そして、気づく。
「何、あれ」
問わなくても、リアはもう、知っているはずだ。
手の上にいるジークが、ぶるりと身震いする。
「大きく、ない?」
ずぞぞ、と、鉄瓶でも引きずるような、金属のような音がしている。地面の表層がこそげ取られていくのだ。
木々よりも大きな、巌のようなものが、地面を削り、ごとごとと体から小石を転がり落としながら、近づいてくる。
引っかけられた木がなぎ倒されて、悲鳴のような声をあげた。
「ど、どうしよう、私」
「いーからお姫様は、さっさと蛙にキスする! アライは食い止めます」
「ちょっと大きすぎない!?」
ばしゃあ、と魔物の端が自重で崩れる。雨の後の土の匂いが、むっと立ちこめてくる。
立ち向かおうとしたアライが、寸前で方向転換して戻ってきた。
「ちょっと無理!」
「な、ななな、何で!?」
「だって無理! あいつでかい! 無理!」
戦闘放棄宣言するやイディアーテの背を押してアライが逃げる。
マーサの使用人達が複数名、魔物の後ろからバケツだの鍋だのをぶつけている。が、身じろぎした魔物から転がった石に触れると、火傷を負ってしまい、次第に散って逃げていく。
「リア」
逃げよう、と呼びかけられて、リアは蛙を見てしまった。
「いや!」
「ぎゃっ」
リアは蛙を握りしめて振りかぶると、反射的にぶん投げていた。
蛙は近くの山小屋の壁に当たり、跳ね返って戻ってくる。
蛙は無言だった。
「あぁあっ! 生きてる!?」
我に返ったリアは、慌てて蛙のジークを探して膝を突いた。
「どこ!?」
魔物がずるりと前進する。
魔物の前に転がっていたジークが、瞬きして、「あ」と言った。
「だめー!」
リアは全力で走る。魔物が倒れ込んでくるより早く、はやく、行かなくては!
「嫌ー!」
むき出しの地面を蹴って両手を差し出す。
「ジーク!」
ジークがはっとしてリアを見る。ためらいが分かって、腹が立つ。
(私のせいだけど、でも! 来て!)
すりむいた手と膝に土が潜り込む。
草地へと転がると同時に、魔物が音を立てて崩れ、飛び散った。
木々の幹が鉄板に触れたようにじゅうっと鳴り、白い靄が散り散りに砕けていく。
リアは掌の中でもがくものを守ろうとして、必死で走った。
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