第14話

「……まだ、姉上は着いていないのか」

 魔王が住むという荒野の手前の小さな町で、イバラは小さく呟いた。

 酒の染み着いた木の円卓は、表面がささくれだっている。白い指先でそれを撫で、薄暗い室内でため息をついた。

「どうした旦那」

 十代の少年に、彼の胴体ほどもある腕の持ち主が軽やかに声をかけた。

 片方の眉をあげて、イバラは答える。

「待ち人が来なくて」

「あんたにそっくりの女の子だろう? まだ来てないよ。それ以外の件は、バレないようにじっくりと根回し中だ」

「まだ準備段階だということも悩ましい」

 頬杖を突いて、イバラは再びため息をつき、途中で飲み込む。

「皆、賛成してくれて手を貸してくれる。実にありがたいことではあるけれど」

 一瞬、細めた目が、室内とも思えなく光を集める。

「与えられる利権は、特にないのに」

「存じております。ただ、貴方は、既存の、賄賂だとかの利権の話をされている」

「既存、と」

「さよう。貴方の提案は、元々、我々も叶えたいと思っていたことだった。ニーズがあったんですよ。貴方が細かな折衝を続けて、小さな我々はうっすらと連帯した。そして、今ここにいる」

 蝋燭の芯がじりじりと削れていく。イバラは、礼の代わりに呟いた。

「手始めに魔王に、会う。その機会を作る」

 時間がないという個人的な事情があって、イバラは、元々の予定よりもずいぶん早く、それを実行しようとしているのだった。

 橋がある(というか作れる)なら馬も連れて行ける、と思ったのだが、ここから先も険しい道があるのと、いい馬を連れていると目立つということから、馬とは別れることになった。

(そっか……もう、魔王がいるっていう、北の大国の領土内に入るんだわ)

 実感が薄い。そのせいでかえって、高い木に腰掛けたみたいに宙ぶらりんな感じで、寒気がした。

(私、何でここにいるんだっけ)

 人と一緒に歩けて、心強いはずだった。

 でも、真綿を敷いた地面の上を歩くようにふわふわする。ちゃんと、足裏が地面につかない。

(どうして魔王のところになんて、行くのかしら)

 出会った人に言われたからだ。

 無論、自分でここへ来ると、決めはしたけれど。

(自分で決めてないみたいだから、こんなに不安なのかしら)

 リアは悩む。

 自分が納得のいく「魔王の会い方」って何だろう。

(うーん)

 考えて、一人で考えて結論が出なかったから相談したんだなと思い出した。

(相談っていうか、気づいたら話しちゃってたっていうか)

 そもそも、このもやもやの原因は、魔王に会うことではなくて、他のところにあるような気もする。

 眉を下げて考え込んだリアに、

「ちょっと何この子。ぶさいくな顔して」

 アライが失礼な発言をぶつけてきたので、リアは意図的にものすごく顔をしかめてやった。

「おぉ、大分偉そうに感情表現するようになってまぁ」

「打ちとけてきたってことかなぁ」

 カエルもといジークが、ほんわりと天を仰いだ。

 別の意味でリアも天を仰ぎたくなる。

 呆れてもいるけれど、同時に、胸の底がストーブに当たったみたいに暖かくて、手放しがたいものに思えた。

 少なくとも今は、その気持ちに名前はない。

 山中では幾度か魔物に遭遇した。たいていは、リンデンで初日に出くわしたような、小山に似た物体だった。

 今回は子ネズミほどの大きさで、うわんうわんと反響音を立てて地面を駆けてくる。一斉に飛びかかってきた。シャツの裾や首筋に入り込んで、ところかまわず噛んでいく。

「嫌ー!」

 持ち合わせのナイフを振り回してみても、切ることができない。

 こればかりは、アライも剣でなぎ払うが殺せず、通り過ぎるのを待つだけだった。

「あーあ。魔物、さっさと来なくなればいいのにぃ」

「アライ」

 イディアーテが軽く睨むと、アライは肩をすくめて、上着の胸ポケットの蓋を開けた。魔物は通り過ぎてくれたが、中の蛙は息も絶え絶えになっていた。

「ふ、ふう……」

「大丈夫ですか殿下」

「息苦しかったけど、無事だよ」

 皆、どうにか切り抜けてきたけれど、魔物にはいっこうに慣れなかった。

 よろめきながら、リア達は先へ急ぐ。

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