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第18話

4*

 町を通り抜けて、リアはついにやってきた。

 魔王の住まいは、ごく普通の、中流貴族のお屋敷に似ていた。少なくとも外観だけは。

 その建物の周りには、建物と同じ高さの塀が巡らせてある。

 その外側には、草がほとんど生えていない、でこぼこの、むき出しの地面が広がっていた。その周囲は広々とした荒れ野である。

 荒野をゆく生き物は、ない。雲だけが、通り過ぎるときに影を落とした。

「ふわぁ……」

 思わずため息をつくと、少しためらってからジークが手を繋いできた。

「怖い?」

「……怖い、です」

「大丈夫だよ、きっと」

 柔らかく繋がれた指を、リアは、思い切ってぎゅうぎゅうと掴む。痛いと言って笑って、ジークがもう片方の手でリアの頬と頭を撫でた。横で、イディアーテが空を見ている。

「さてどーやって行きますかね」

 アライが気のないそぶりで呟いてから、不意に屋敷ではなく、荒野の端を指さした。

「今更なんですけどアレ何ですかね。アライには見えるんですけど幻覚じゃありませんよね」

 荒野の中程に小屋がある。ノルンドの兵士による見張り小屋のようだ。それよりも手前、町に近い辺りに、何かがあった。

 言われるまで、分からなかった。

 茶一色の荒野の中で、黒い点のようなものが蠢いている。

「魔物かしら?」

「いや、違う……人、かな?」

 ジークの自信なさげな言葉で、リアの記憶がどくりと動く。

「あれ、もしかして……」

 人間。

 しかもリアは、たぶん彼らをよく知っている。

 着ているものが、自分と同じなのだ。

 その上、蟻のような群れの中に、一人だけ、服以外にも見覚えのある人間が混ざっていた。

 黒い軍服、記章は黄色。

 茶色の髪は癖が強く、くるんと跳ねて、勇ましい。

 その少年は若いくせに、偉そうに周りの兵士に指示を出した。

 彼がふと、こちらに気がつく。

 目が丸く見開かれた。

 ジークがそれを見て、リアの手を軽く揺らした。

「ねぇ、どことなく君に似ている気がするんだけど」

「姉さん!」

 ジークの言葉とリアの予想を裏付けて、少年が叫び始める。

「お姉ちゃん! 何でこんなところにいるの! そこの男誰!?」

 声変わりはしたはずなのに、その声は繊細に高い。少年は、いっそ幼いと言っていい姿だった。

 若い。

 それもそのはず。アレは、リアの弟なのだ。

「歳の近い弟です」

 リアは思わず棒読みになった。

(あの子、何でここにいるのかしら)

「あぁ、知恵を切り売りしていると言う……イバラード・ストラかな?」

「イバラは、私の弟で、そして、私の靴に蛙を詰め込んでトラウマを作った張本人です」

 よけいな情報だったけれど、反射的に口から出た。

「ふうん……そうなんだ……」

(えっ)

 一瞬、リアは、ジークが怒ったのだと思った。声が低くて、別人のように冷たく聞こえた。そうすると声質が、イディアーテにちょっと似ている。

 けれど、見上げてみて、怒っているんじゃないと分かった。

 とても悲しそうに、ジークは言った。

「私も、いっとき、蛙だったからね。もちろん子どもの頃には、蛙をいたずらに使ったこともあったけれど。リアを苦しめたというのは、ちょっと嫌だな」

「も、もう、大丈夫だから」

 不穏なものを感じて、リアは慌てる。

「でもまぁ、私が蛙になって、リアが蛙を嫌いだったから――こうして、かえって結びつきが強まったと考えると、弟さんは恩人だね」

 微笑んで、ジークはそっとリアの肩を抱き寄せた。壊れものみたいに優しく扱われて、リアはどきりとする。

「ちょっとー! 姉上! ねーさん!」

 弟がますます叫ぶ。

(これは……ひそかに怒ってはいるのかしら)

 イバラは部下を振りきり、なりふり構わず駆けてきた。

 その、光を宿して輝く目。子犬みたいな、かわいい弟。

(かわいいんだけど……)

 ここから始まるであろう口論を予想して、リアはジークから手を離し、両手を自分の耳にスタンバイした。が、

「僕に任せろって言ったでしょ!」

 弟は思い切り強くリアの肘を掴み、引っ張って、ちゃんと聞こえるように言った。

「どうして出ていったりしたんだ!」

「何が、よ」

「魔王の花嫁になんか、なりたくないでしょ。ならなくてもいいよ」

 毅然と、イバラは姉を見つめる。幼く見えるのに、そうしているとそれなりに威厳があった。

 それもそうかもしれない。イバラはもう、十六歳なのだ。

 ぼんやりと考えていると、イバラが声を潜めて言った。

「僕は魔王を連行するよ」

「なっ、何考えてるの!?」

「必要とあらば、そこのいけ好かない男の祖国も併合しちゃおうかなあははははははは」

 弟が壊れている。周りに聞こえてしまうといけないので、リアはイバラに顔を近づけた。

「寝言はおうちに帰ってから言いなさいイバラっ」

「魔王の件なら、他の国だってわりと駆け引きに乗ってくれてるんだよ?」

「危ないことはしないで! ストラはただでさえちっぽけな国なんだから! 勝手なことして、ただじゃすまないわよ」

 もめている姉弟の後ろから、ジークが口を挟んだ。

「ストラは、軍事国家だったっけ?」

「違います。大国ノルンドが魔物と戦っている間に、こっそり独立したの。大国は魔物と和平を結んだ後、何個かの国が独立してることに気がついたけど、あんまりちっちゃいから放置してるだけです」

「あぁ。ストラほか何カ国かは、大国から独立したんだったっけ……」

「姉上。その人はどなたです」

 急に、我に返ったイバラが、半眼になって腕組みした。目線の高さはリアとほとんど変わらない。同色の、黒の軍服姿であるため、髪の長さだけが(リアは結んでいるとはいえ)リアとは違っていた。

「よく似ていらっしゃる。私はジークフロート・エバロウ。エバロウの第一王子です」

 ごく優雅に、ジークは微笑んで一礼した。社交をかねたティーパーティーさながらの動きに、イバラは腕組みをほどき、渋々頷く。

「こちらも申し遅れました。イバラード・ストラ。リディアーレの弟です。失礼ですが、なぜ姉と行動をともにしておられる?」

 ジークはイバラと目を合わせたまま、微笑み続けた。

「私は先日まで、自らの落ち度により魔女に呪われておりました。リンデンにて、リディアーレ・ストラ様の助力を受け、こうして呪いをといていただいたのです」

 そういうと大層だが、実際のところ、リアは蛙とのキスを嫌がって避けてきた。結果的にはキスはできたし、問題はないのだろうが。

(ちょっと気まずいわ)

「こちらは私の従者。アレイルとイディアーテです」

 主人に示されて、従者二人はいつになく優雅に礼の姿勢をとった。

「って、えっ? アライだけ愛称だったの?」

「イディアーテは、子どもの頃と同じようにイディと呼ぶと、嫌がるんだ。アライは略称のほうが喜ぶから」

 リアが「そうなの?」と首を傾げると、アライが深く頷いてみせた。

「アライ本名と同じ名前のトカゲが家にいるんですよね! 嫌がらせでしょマジで」

「トカゲじゃなくて、ドラゴンだよ」

 のんびりとジークが訂正する。

 イバラがわずかに眉をひそめた。

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