第27話

 町の大通りを抜けてしばらくすると、小型の馬車がついてきた。

「あぁ、マーサが追いついてきたようですね」

「無事だったんだね。よかった」

 イディアーテの隣で、ジークがのんびりと頷いた。

「もう、エバロウに帰るだけだから、心配いらないと伝えてもらえるかな? 私が行くと、また怒らせそうだし」

「……分かりました」

 イディアーテが引き返して馬車の方へ行く。

 リアは、大丈夫かしらとちらちら見ていたが、イディアーテが戻ってこないので、やがて気にするのを忘れてしまった。

 小鳥が、明るい広場に集まっている。

 町は人通りがあって賑やかだ。

 屋台を冷やかして歩いているうち、町の境を通過した。

 徐々に人通りが少なくなってきた。街道筋を外れて小さな道を行く。

 しばらくして、イディアーテが戻ってきた。馬車に座れて楽だったかと思いきや、さっきよりも憔悴している。

 イディアーテは重苦しいため息をつくと、リアを呼んだ。

「えっ、私?」

「そうです。無理難題を言ってくるマーサを諫めていたら時間を取られた上、ついには貴方を話し相手に連れてこいと言われましてね……申し訳ありませんが、生け贄になってください」

「生け贄って。貴方本音が漏れてるわよ」

「リアも疲れているだろうから、長い話をするより、馬車で眠って休ませてもらった方がいいよ」

 ジークが微笑んで馬車に手を振った。

「ちょっと待って! 本当にマーサに頼む気?」

「そうだよ。マーサにあまり頼るのもよくないと思って、距離を置いてきたけれど、君も顔色がよくないから……」

「心配そうに言わないで! たぶん、マーサと何を喋っていいか分からなくて顔色が青ざめてるんだと思うわ!」

 もめているうちに、馬車がすぐ横で止まった。ばん、と勢いよくドアが開く。

 硬直したリアの真横で、美少女がするりと馬車を降りた。豪華な巻き毛を揺らして嘆息する。

「ごきげんよう、皆様」

 誰も返事をしなかった。

「話は聞かせていただきました」

「聞いてたの!?」

「……殿下がそこまで、その女を大切に思われているのであれば……」

 ちょっと眉をひそめてから、少女は巻き毛を指先で跳ね上げてから、顎を引いた。

「仕方がありません。私は、身を引きます」

「何がどうなってそういう話になったの」

「先程、お兄さまから、魔王退治の経緯を聞かせていただきました」

「そもそも魔王は退治してないから」

「魔王退治の最中も、睦まじいご様子だったとか!」

 ぴしゃりと、少女の掌が馬車のドアを打ち据えた。

「わたくしは、祝福を申し上げにまいりました。お二人仲良く、お暮らしくださいませ」

 とても祝福しているように見えない。

 しばらく黙ってから、リアは、唸るように言い返した。

「そんなにジークのことが大切なら、どうして、身を引くとか言うの? 何がしたいの」

「あら、貴方、私に一生つきまとってほしいんですの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

 ここまでマーサに睨まれたら、リアだって気しないわけにもいかない。

 マーサは何年も、ジークに片思いしていたらしい。ジークが蛙になってからも、彼のことをずっと大切にしていた。

 ほんの数日、ジークと一緒にいるだけのリアのことを、認めると言うのはどうしてだろう。

 ため息をついて、きっ、と眉を険しくしてから、マーサはリアに手招きした。

「え?」

「いいから。ちょっとこっちに来てください」

 こそこそと、男性陣の視線を避けて片隅に集まる。マーサは、しばらく肩を上下させた。ものすごく緊張しているらしい。

「……大丈夫?」

 何か言葉をかけようとして、リアは急に我に返った。

「無理しなくていいよ、私、よく考えてみたらものすごく不躾で空気読まない発言したわ……!」

「大丈夫です。貴方も存外、人がよさそうです。それでこそ、殿下と一緒にいてもイラッとすることもないでしょう」

「イラッとする……?」

 その単語は、恋する者には不適切である気がして、リアは瞬き、マーサを見つめた。

 マーサは、体中を虫が這っているとでも言うように、美しい顔立ちにそぐわぬ暗い表情を浮かべ、両手で体を抱きしめた。

「昔のことです……私が城の近くの泉から離れて、森に入り込んだんです。兄と一緒に、殿下もおられました。アライは出かけていて不在でした。……私が、あの花を指さして、ほしいと言わなければ、殿下は魔女の庭に踏み込むこともなかった。殿下は、当時具合の悪かった妹姫のことが頭にあったんでしょう、私のわがままを叶えようとして庭に入り、そして呪われた。私達の目の前で」

 だからと、艶やかな唇が、そっと秘密を囁いた。

「私のせいで呪われたのです。でしたら、私がといてさしあげなくては。そう思っていたのです。私のせいなのですから。他に、誰が呪いをといてさしあげられるって、言うのです?」

 義務感、責任感も相まって、マーサは必死で呪いをとこうとした。あまりに兄イディアーテと王子ジークから離れようとしないため、心配した家族によって遠方の領地に連れていかれたが、勉強や、歌や作法を学びながらも、ずっと気にかけていた。

「私は決して許されない、悪いことをしたんです」

「そこまで厳しく思いつめなくても……」

「慰めは結構です」

 きっぱりと、マーサはリアをはねつける。

 気位の高い少女にとっても、自分の過ちで大切だった人が傷つくなんて、つらくて仕方がなかったのだ。リアも口をつぐむ。

 もし、自分のせいで、弟が呪われたら? ――当然、責任を感じるだろう。手を尽くして、呪いをとこうとするだろう。

(イバラが私のために行動したように)

 弟の名を胸で口ずさみ、リアは、息苦しくて深呼吸する。

「そして」

 と、マーサが沈黙を断ち切った。

「貴方が来た。やっと、私が、殿下の居場所を調べて、都合をつけてどうにか自宅を抜け出して、たどり着いたその日に。貴方が殿下のドアを開けてしまった。呪いをとく権利を得てしまった。絶望しました、一生、私はこの罪を償えないのかと思って。でも、一方で、解放されたとも感じたのです……醜いですけれど。あの方を、他の人が助けてくれる。私は、他のところへゆける、と」

「醜いだなんて、そんなことない……貴方は、ずっと一生懸命だったんでしょう」

 いいえと、マーサはゆるく首を振る。

「淡い、羽のような恋でした。私では殿下を支えられないとも思っていたんです。貴方が殿下とともに歩いてくれそうで、嬉しかった……」

 素直な、マーサの吐露だった。気を張らず、こっそりと二人で話すなら、マーサはとても大人しかった。

 リアの胸の端がうずく。

(かわいい……イバラも、こんなふうに素直な頃があったわ……)

 しみじみと、一途に慕ってくれる弟妹というもののかわいらしさ、健気さを思い出して、リアは思わずマーサを抱きしめた。

「!? 何です!?」

「ううん! 何だか、ほんっと、いい子だなぁって思って!」

「何がです!? 私は、いい子なんかじゃありません!」

「いい子じゃなくても。抱え込んで、一人で頑張ったね。もう大丈夫だよ。見て、ジークには、アライや貴方のお兄ちゃんや、他にもきっと友達がいる。貴方のことも、うらんでなんかいやしない。大丈夫だよ」

「……っ、」

 ぎゅうぎゅうに抱きしめたせいで、顔は見えない。けれど、言葉に詰まり、一瞬、嗚咽しかけたのが、体から伝わってきた。

「どうして……」

「うん?」

「どうして、殿下と同じようなことを、言うんです」

「……ジークと一緒かどうかは分からないけれど、私は自分でそんなふうに思ったから、言っただけよ」

 二人の後ろで、手持ちぶさたな男性陣がぼんやりと待っていた。

「そろそろ、話はすんだかい?」

 ジークが見計らって声をかけてくる。

 リアはマーサを抱きしめて、子どもにするようにあやしながら、首だけで振り返った。

「みんな、貴方のことが大好きなのね」

「え?」

「私、みんなの懺悔を聞いてばっかり?」

 風が、ほてった頬を冷やす。

 リアは、魔王の住まいでのやりとりを思い出していた。


 リアが魔王の城で、夜出かける、少し前。廊下で、ふいに呼び止められた。

 イディアーテが、どこか言いにくそうに唇を曲げて、立っていた。

「昔話を……懺悔を、聞いてくれませんか」

「いきなり何なの?」

「貴方を見ていると……自分の不誠実さが嫌になったんです」

「不誠実?」

 リアは、イディアーテのつま先から頭のてっぺんまで、一気に見上げた。

「貴方のどこが?」

「それを今から話します」

 苦笑して、おもむろにイディアーテは話し出す。

 それはまだ、幼かった頃。

 ジークが蛙になってしまう前の話から始まっていた。

(蛇!)

 怖い、と、イディアーテはまだ短い足を、すくませる。緑の蛇が、土の上にとぐろを巻いて、ちらちらと舌をひらめかせていた。

(大丈夫だよ)

 一歳しか違わない、こちらもまた幼いジークフリート王子は、大人びた落ち着き方で、イディアーテを小道から茂みの脇へと導き、迂回させた。

「蛇だって、生きてるんだ。好きでぼくたちを攻撃するわけじゃないんだよ。傷つけられるのが怖くて、威嚇するんだ。近づかなければ、向こうも怖くない。こっちも怖くない。大丈夫だよ」

 いつだって、ジークはあんなふうに穏やかに微笑んでいた。

 声をかけられただけで妹は彼を慕うようになった。自分だって彼に必要とされ、微笑まれ、守られたりもして、嬉しかった。その彼が、蛙になってしまった。

 自分の掌に載せてしまえる。守れる。蛙はイディアーテに命を預けている。――ほんの一握りでつぶせてしまう、小さな命だ。

 それを嬉しいと思ってしまうなんて。

(……何てことを!)

 何ということを考えたのだ、自分は。

 それから、後ろめたさを抱いていた。

 王子の呪いがとけてしまったら、こんなつまらない自分のことなんて、捨ててしまうんじゃないだろうか。

「と、思っていたわけです」

「そんなの、誰にだってある気持ちだと思うけど」

 気負わずにリアが首を傾げると、イディアーテは首を振った。

「それでも、王子の友人とは言えないことを思っていた。そのことは後ろめたいんです」

「思っていた、っていうことは、今は違うの?」

「そうですね。……呪いがとけても、あの方は変わらない。ご自分で何もできなかった蛙時代の反動からものすごく乱暴になったりするのではと、ひやひやしていましたが、あの方は変わらず、我々を思ってくれています。ほっとしました」

「貴方そんなこと考えてたの?」

 ふふ、と、イディアーテは肩の力を抜いて笑った。

「最悪のことを考えていたんです。私がお守りしなくてはならない方。あの方自身からも、……守りたかった。でも、今やお守りしなくても大丈夫になった。それでも私がそばにいることを許してくださる。貴方が呪いをといてくれたから、私も、気が少し楽になりました」

「そこまで感謝されるほどのことはしてないわ。たまたまよ」

「そんなこともないと思いますが。あぁ……では、その偶然に感謝を」

 しばらくの間微笑んで、イディアーテは、再びため息をつく。

「さぁ気を引き締めて。魔王の件が片づいたとはいえ、無事に家に帰るまでが旅行ですからね」

「……、えっ? これ、旅行だったの?」

 リアは目を丸くして、それから、生真面目な顔をするイディアーテに、「そうね、帰るのなら、これは一つの旅だったのね」と笑いかけたのだった。


 人の思いが、リアの胸をいっぱいにする。

「一緒に、無事に家に帰りましょうね」

 今、腕の中にマーサを抱きしめたまま、リアは力一杯笑ってみせた。

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