第10話

 煮炊きのあとを片づけて、馬に乗る。

「王子が人に戻ったときのために、馬は三頭用意していましたが――貴方は乗れますか?」

 イディアーテに問われて、リアは慌てて頷いた。

「一人で乗れます」

「では王子の馬をお使いください」

 それきり、イディアーテは指示する様子もない。

 ただ、リアがどの馬なのか聞く前に、栗毛と、薄い斑のある灰色、黒の三頭のうち、灰色がそろりと近づいてきた。昨夜はいなかったので、朝のうちにアライが連れてきたようだ。アライが栗毛の馬からおりて、リアを灰色の馬の背に押し上げようとした。

「いい、一人で乗れますってば……!」

「遠慮しないー」

 無理矢理押し上げられ、リアは一人でできるのに、と頬を膨らませた。

「殿下どうするんです?」

「どうしようかな」

 リアの不満に気づくことなく、アライが荷物に乗ったジークを運ぶ。

 ジークは瞬きして、首を巡らせた。

「できたら、リアと一緒がいいんだけど」

「その方の腕前次第ですね」

 イディアーテが失礼な発言をしたので、リアは馬のたてがみを撫でながら「遠乗りくらいできますから」と言い返した。

「弟よりも速く馬を駆けさせることもできます。子ども扱いしないでくださいね!」

「……野生児?」

 アライが目を細めて呟き、イディアーテもひっそりと頷いた。

「ちょっと! その言い方はないと思うわ。乗馬も淑女の嗜みですもの」

「待って待って!」

 顎を上げて顔をしかめたリアの前に、蛙が慌てて、跳ねて割り込む。

「ごめんね、リア。私達は、一応、姫君達のために騎士であれと、育てられてきた。つい、貴方を助け、守ろうとしてしまうんだ」

「でも、自分で乗れるのよ。それをアライがばかにするんだもの。何もできないみたいに、扱わないでほしいの。乗れたら乗れたでばかにするし」

 子どもみたいな声になる。リアはそれがいたたまれなくて、でも不満はあって、唇を曲げた。

 ジークは取りなすように、手を伸ばして、従者とリアに語りかけた。

「マーサも自分で馬に乗れるし、そのこと自体はいいことだよ。ただ、自分で靴を履くことができる人でも、貴族や王族の中には従者に靴を履かせて貰う、そういう権威のありようもある……」

「そうね。私がただの王女様だったら、馬に乗るのを手伝ってもらうわ。でも、私は自分で運命を変えるために、いろんなことができるようにしてるの」

「そうだね。君はずっと、頑張ってきた」

「そうよ」

「どこまでを助けて、どこからを自分でやってもらったらいいか、まだ分からないんだ。出会ってから日が浅くて。つい、リア自身の考えとは別のことをしてしまった。アライとイディアーテが失礼なことをして、ごめんね」

「……どうして」

(どうして貴方が謝るのよ)

 むくれながら、リアはそれでも、ジークがそうする理由を知っている。

 従者の無礼を、主人がかぶって謝罪しているのだ。

(ほんっとに……悪い人じゃないのね。蛙だけど)

「いいわ」

 ふうっと息を吐いて、リアは力を抜く。そわそわと足踏みしていた馬が、ようやく足を落ち着けた。

「いつか絶対、泣かせてやる」

「えっ」

「大丈夫よ、その後、撫でるから」

「えっ?」

「かわいすぎていじめたい。その気持ち分からないでもないけどお姫様って超趣味が悪いなぁ」

「貴方もよ」

「えぇー」

 日差しが暑いほど鋭く輝いている。森の中を、三頭の馬が歩み始めた。ジークは結局イディアーテの馬に乗っている。

 話すことも特になくて、リアはぼんやりと周囲の緑や、土の様子を眺めていた。馬も機嫌がよく、足並みも乱れない。

 進んでゆき、ある程度の距離になると休憩した。

 その日のうちには森を抜けられそうだとイディアーテに言われ、リアは頭の中で地図を広げる。

 ストラから西に行けば、リンデンの城のあるナグーの森。その北には大国ノルンド、その西の端がかかる。リンデンより南西にあるのが、ジーク達の祖国エバロウだ。

 ノルンドの西端は、楕円形の木の実に似て、とがっている。首都や大きな町は東の方へ偏っていて、西の端は原野と森林が占め、小さな町が点在していた。リンデンからうまく北側にノルンドを突っ切れば、五日もあれば魔王のいる北の荒野へたどり着けるだろう。

 幸い、しばらく魔物に出くわさなかった。平和なせいか、ときおりがたがたと音を立てて馬車が接近して来た。馬車の扉にある小窓のカーテンを開けて、マーサがお茶だのお菓子だのを勧めてきた。最初は断っていたリアだが、マーサがしゅんとするし、ジークやイディアーテらもときどき貰っていたので、やがてありがたくいただくようになった。

「おいしい……」

 温められたお茶は、うっすらと品のよい甘みが含まれていた。休憩中、リアは木の下に座り込んでお茶を飲み、クッキーをかじった。一方の手で、馬に乗り続け鐙を踏みしめて疲れた足をほぐしておく。

「貴方の国のお茶とお菓子、おいしいのね」

「……と、当然ですわ」

 木陰で、使用人に日傘を差しかけられながら、マーサが楚々として頷いた。

 リアはその近くで、膝を抱えて眉根を寄せる。

「ストラは、大国の隙を見てかっぱらった国で、資源も少ないし産業も特にないのよね」

「かっぱらう……」

 庶民的すぎる単語に、マーサがぼんやりしている。リアは、湖で魚を釣っているのんきな連れ(そのうち一人は蛙)を横目で見やった。そろそろナグーの森を抜けるのだろう。湖には魚がおり、小鳥のさえずりも聞こえてくる。

 お茶の湯気が、穏やかな風景を横切っていった。

 リアはしみじみと呟いた。

「菓子職人さんも皆、大国に行っちゃうから、家庭料理しかなくって。久しぶりに、こんな飾りつきのクッキーを食べた気がするわ」

「特産と言えば、ストラには、花があるじゃありませんの?」

「薬草のこと? 国と同じ名前の、ストラ。確かに国内に生えてるけど、数が少なくって。処理も難しいし、量産したらしたで原価が下がっちゃうし悩ましいなぁ」

「そうですね。数が少ないから貴重、高価、とも言えますし……どうしたらいいのかしら」

「ねー」

 大変ですねえという気軽な同意を求めてリアは呟いたのだが、マーサが真剣な顔をして考え始めた。

 そうこうしているうちに釣りをしていた主従達が、小枝と蔦を使って魚を捕り、串刺しにして焼き始めた。

「アライ思うんですけど持ってる保存食より、やっぱり採ったものが一番おいしいですよねっ」

「アライはいつも、上手に毒草と食べ物を見分けるよねぇ」

 イディアーテが咳払いする。

「最終的に調べてより分けて毒物を捨てているのは私です」

「あれっ、そういえばそうだね」

(何か、王族とも思えない食生活を耳にしたわ。……まぁ野宿して一人でリンデンまで来た私も王族らしくないんだけど)

 主従達は楽しげに騒いでいるが、遠方から見ていると、蛙が食材なのか食べる側なのか分かりにくい。

「あれ、うっかり食べられちゃったりしないのかしら」

 リアが茫洋と呟いたとき、

「あれ?」

 翼の広い、茶の鳥が滑空してきて、蛙の体を鷲掴みにして飛び去った。

 図らずも、食材という単語にふさわしい出来事だった。

「……え?」

 全員の反応が遅れる。

「っ」

 最初に我に返ったのはリアだった。

 とっさに小石を掴んで投げたが、当たるわけもない。鳥は羽ばたいて、ひょいと上空へかわしてしまった。

「いやっ、どうしたらっ、」

「殿下!」

 マーシが指示して使用人に追わせるが、弓矢でも鳥に届かない。

 リアも湖畔を駆け抜ける。

「待って! 待って!」

 待ってくれるわけもない。願わくは、この蛙はおいしくないと思って鳥が手放してくれますように。

「その蛙はおいしくないわ! さっきの魚をあげるから! 返して!」

 清々しすぎるほど空が青い。鳥がどんどん高度を上げる。

 諦めそうになったその時、思いが通じたのか、ぽーんと蛙が落ちてきた。両手を伸ばして、リアは叫ぶ。

「こっち! こっちよ!」

 緑色の小さな蛙は、一部がきらっと輝いていた。落っこちなかった王冠が、蛙と一緒に宙を舞う。

 ぽとんと、蛙が茂みに落ちた。リアが遅れてそこへ突っ込む。

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