第9話

 朝食を採りながら、今日の予定を話し合う。

「私は、リアがキスしてくれる気になるまで、一緒に行動しようと思うよ。一目惚れしたし……せっかく、リンデンまで来てくれた勇気ある人なんだ。その勇気に報いて、彼女の願いも叶えたいし」

「願い?」

「魔王の花嫁になるという予言を、実現させないために、君はここへ来たんでしょう? 私達は、君の願いを叶えたい」

 ジークのつぶらな瞳が、リアを見上げた。

「魔王の花嫁について、その予言を覆そうといろいろ、頑張ったのかな? 何をしたのか、参考までに教えてもらえないかな」

 君が試した以外の手を打ってみたいから、と、ジークは真面目に問いかける。

 リアはジークを見下ろした。まじまじと見ると、やっぱり蛙は気持ち悪い。幼少時の記憶を振り払いながら、リアは蛙全体は見ないようにして、つぶらな目だけを見ることにした。

「魔女は高齢だったし、取り違えじゃないかって散々、お父様もごねたんだけど、予言は覆らなかった。最後には魔女にかんしゃくを起こされたし。魔王について、お父様達は北の大国や近隣諸国で聞いて回ったわ。予言の効力はないって証明するため、専門家の意見を聞いた。でも、誕生日の予言は、基本的には祝福だから変えられないし、否定することはできないって分かっただけだった」

 鼻を鳴らして、リアは呟く。

「北の大国の偉い人と仲良くなっても、「魔王の弱点とか教えられないし、さすがに直接紹介したりもできないなーごめんね」って言われて」

「まぁ、そうだろうねぇ。私も、呪われたときにあっちこっちへ連れて行かれたし、調べてももらったけれど。魔王には会えなかったな。呪いについて詳しそうだから会ってみたかったのに」

「いっそ魔王って実在するのかな!? って思うんです」

「いなかったら、きわめて抽象的な予言、ということになるね」

 他にもある? とジークに促され、リアはぽつぽつ、思い出した。

「……弟が、あちこちで情報を集めてくれてはいるんだけど……魔王に嫌われる草を食べる、とか、益体もないネタばっかりで」

「知恵を売り買いする、と言われている弟さんだね。リアのことが心配で、一生懸命調べてるんだね」

 よしよし、と撫でるふうに優しく言われて、リアは鼻の奥が痛くなる。

 何でだろう。

 どうして、優しくされて、泣きたくなるんだろう。

「……弟なんて、庭でティーパーティーをしているときに、木の下でもめてたお嬢様がたを、喧嘩両成敗にした上に、両方を取引先同士にしちゃったりして。何か、うっすらせこいんです」

「賢いんだよ。ちゃんと、国益になるよう働いてる」

「そうかなぁ」

 風が透明に、肩口をかすめていく。森の匂いが涼やかに広がり、気分が穏やかになった。

「たぶんあの子は、結構、へんなんですよ。私の予言がひどすぎて、私が一人ぼっちになるから、ちっちゃい頃はわりとくっついて暮らしてました。あの子のことはよく分かるんです」

「それを、家族って言うんだ」

 楽しげに、ジークはいいなと呟いて、空を仰いだ。

「うちも平和だし、仲はいいけれど、私が蛙になってからというもの魔物が出るから、家族は最後にはノイローゼになりかけていてね」

「……、王子も、大変だったんですね」

「そうでもないよ。友人もついてきてくれたし、好きな本ももらえるし。衣食住にも困らない。でも確かに、本来ならやれるはずのことができなくて、寂しかったことはあったね。かけっこも、剣の稽古も、途中でできなくなった――何せ、蛙だからね」

「殿下がそういうこと言うからアライ達が頑張って、殿下専用剣セットとか作ってさしあげたんじゃないですかー」

「あれはほとんど裁縫針みたいなものじゃないか。昨日は役に立ったけれど……魔物相手にしか使えない」

「でも、昔は勇ましく振り回して遊んでらしたくせに」

「いいじゃないか、子どもだったんだから」

 ジークはちょっとむくれたようだが、気を取り直してリアを見上げた。

「他には何かある?」

「最終的には、「形だけ魔王と結婚して、即座に離婚して帰ってくれば問題ない」っていう話になりました。それでついに、嫁入りさせられそうになって。家出してここへ来たの」

 一度は嫁がないとならないのだったら――すぐに引き返してくればいいのだ。リアの両親はそう考えた。

 もちろん、リアにとっては冗談でも許せないことだった。

「予言ってめんどくさいわ……」

「まぁ、貴族はたいてい、生まれたときにお祝いとして、魔女を呼んでやってもらうものだからね」

「本来はただの祝福っていうのは、分かるわ。でも、これはひどいと思うんです」

「一度嫁いで引き返す、というのは、最終手段として考えよう」

「魔王を倒すっていう選択肢も考えるけど、どの魔女も倒せないって言うし、戦うにしても負け戦……あっ」

 リアは目をぎらつかせ、アライの手を鷲掴んだ。

「えぇっ!? アライ、ちょっとこういう強引なのはいまいち好きじゃないっていうか」

「そうじゃなくて! これ、魔物を斬れるのよね!?」

 アライが「あぁこれか」と自分の剣を見下ろす。

「斬れたり斬れなかったりしますけど」

「魔王も、コレで斬れるかしら」

 ごくり、と唾を飲むリアに、アライは恬淡と言い返した。

「いやぁ魔王に会ったことがないのでいっさいまったくひとっかけらも分かりませんけど。殺しちゃまずくないですかね。ってか、それなら、貴方自分で魔法使いになっちゃえばよかったのに。魔王を殺せる魔女になれたかもしれないし」

「子どもの頃に、魔女に弟子入りしようとしたんだけど、魔法の才はないって言われたの……!」

「既に試した後でしたか!」

「あぁでも、魔王を倒したところで、次の魔王が現れそうだね」

 ジークがのんびりとした口調で、提案した。

「それより、私が魔王になってしまえばいいんじゃないかな?」

「――はい?」

「魔王という役職に」

「却下です」

 イディアーテがさすがに険しい顔になった。

「呪いどころの騒ぎではない。今の蛙よりも悲惨な物体になったり、動く木になったり人間らしい思考ができなくなったりしそうで、得体が知れなくてたまりません」

「魔王になってからリアと結婚して、魔王じゃなくなればいいと思うんだけど」

「そんな危険なこと、許しませんよ」

「私もさすがに、そこまでされるいわれがないわ。やめてください」

「どうして?」

「どうして、って」

 ほとんど、初対面みたいなものだ。

 それなのに、どうしてこんなに心をかけてくれるんだろう。ジークがリアを見て、くすりと笑った。

「最初に言ったよ。君は勇気を出して、怪しげな城にやってきた。その勇気に、私は答えたいんだ。それに、一目惚れしたし」

「でも」

「じゃあ、そのへんはとりあえず置いておいて」

 アライが面倒くさそうに手を振りながら、割って入った。

「お姫様は、魔王と結婚したくないけど一度はしないといけない「らしい」。殿下は、そんなお姫様を助けたい、と。それだけで良いじゃないですか。バカップルの会話してないで、本題を進めましょうよ」

「――らしい?」

 アライを見上げ、イディアーテに拾い上げられながら、ジークが首を傾げる。王冠に陽光が触れて、まばゆい光を跳ね返していた。

「そうか」

 ジークは呟く。イディアーテの掌の上で、彼はぴょん、と軽く飛んだ。

「魔王に会いにゆけばいいんだ」

「はい?」「え?」「は?」

 ジーク以外の三者の声が、バター生地のように軽やかに重なる。

「だって、魔王が本当にリアと結婚したいとは限らないじゃないか」

「えっ」

「誰も魔王に会ったことがない、っていうことは――魔王に、誰も、予言の真偽を確かめていないかもしれない、ってことだ」

「……え」

「リアの受けた予言があろうとも、魔王に結婚の意志がないのなら、一生、予言通りにはならずにすむのかもしれないよ」

「でもっ、魔王がもし予言のことを知らなくっても、……会いに行ってしまったら、知ってしまったら、じゃあ結婚しましょうかって言うかも」

 かといって、そこまで重要な魅力が自分にあるとも思えない。「魔王は当初その気がなかったが、気が変わってリアに結婚を申し込んでくる」という状況は考えられなかった。

「王子、無茶ですよ。魔王に会ったことがないのに、何を言っているんです」

 イディアーテが顔をしかめた。

「そもそも、これまでどうやっても連絡を取れなかったんでしょう? 魔王になんて、会えませんよ」

「大丈夫だよ。魔王が住んでいる場所は、噂に聞いている。カエサリアという荒野だろう。たとえ人が近づけなくても、私は何と言っても蛙だし、何とかなるよ」

「蛙って! 王子、自分のことしか考えていませんね!?」

「あれ?」

 ジークは片手で頬をかく。少し照れ笑いした。

「私一人なら、魔王に会いにゆけるよ。蛙一匹くらい、魔王の住みかに向かっていっても、付近を見張っている北の大国も見逃してくれると思うなぁ」

「人間は見逃してくれても、魔物は見逃してくれませんよ! お忘れですか。王子、貴方はまだ呪われているんです」

「でも、呪われてなかったら、人の姿だから隠れて行けないよ」

「そりゃあそうです」

「……魔王の住みかは北の大国に守られていて、他の人は入れないんだよね?」

 ジークが、ちょっと上目遣いになる。下手に出られて、イディアーテが警戒してさらに顔をしかめた。これ以上しかめると、乾燥した茶葉並みにしわしわになってしまう。

 対照的につやつやした蛙が、軽やかに口を開いた。

「じゃあ、住みかの側に近づくのは?」

「無理ですよ」

「そうよ。昔、近づくために弟があの手この手を使ったけど、無理だったもの」

 リアもイディアーテに賛同して頷いた。

「そうかぁ。魔王に人間を一人二人会わせても、問題なんてなさそうなのに。それとも、魔王に会いたい人がたくさんいすぎて切りがないのかな」

「あれ、殿下悪いこと考えてますね? アライには分かりますけど、いけませんよ民衆蜂起させちゃ」

 ジークの言葉に、アライが不審な相づちを打った。

「えっ蜂起させるの!?」

「アライは物騒だなぁ。確かに、一目会うだけなら、集団で行って騒ぐのは有効だろうね。魔王といえども、北の大国が見張り小屋付近で物騒な動きをしたら、不安に思って、様子を見に出てくるかも。十中八九、先に魔王の部下が来るだろうけど」

 それよりも。蛙は浮かび上がりそうな軽さで、飛び跳ねた。

「みんなで行くのなら。方法は、なくはないよ。あまりいい手ではないけれど」

(あ)

 ジークと目が合って、リアには意味が分かった。

「私が、花嫁だって言えばいいの……?」

 蛙は翡翠色の首を左右に振った。リアの想像は、ジークの考えとは別物だったらしい。

「それはどうかな。言っても、本人かどうか証明できる?」

 そういえば、この人達は、リアが名乗ったとおり、ストラの王女だと信じてくれているのだ。今のリアは黒い軍服を着て、薄汚れているのだから、偽物だと疑われてもおかしくないのに。

「じゃあ、私、国に戻って正装して来るわ」

「魔王は、もしかしたら花嫁の件を知らないのかも。今まで連絡を取ってきたこともないのだろうし」

「あんなに、いろんな国でいろんな人に聞き回ってもらっていたのに? その噂一つ届かなかったの?」

 リアが眉をひそめると、ジークはわずかに首を振った。

「あるいは、知っていても気にしていない。まぁそれを確かめるために行こうとしてるんだから、この件については置いておこう。で、こうしようかなと思うんだ。「魔王について、重要なことを知っている。真実かどうか分からないが、当人に確認しなくてはならない」とか何とか」

「そう簡単に行きますかね。ノルンドに連れて行かれて拷問されたりして」

「うまくいかなくてもさ。もう、十何年もリアは待っていたんだ。この上、準備に何年もかけるより、一か八か、行ってみればいいんじゃないかな。その場しのぎでいくつか、嘘は考えてみるから」

 特にいい案があるわけでもないのに、ジークは魔王の住まいに乗り込むつもりなのだ。あまりいい手ではないというのは、行ってから考えるつもりだったからのようだ。

「殿下適当だなもう。ついてくアライ達の身にもなってくださいよ」

「ごめんね。ここまで同行してもらっておいてなんだけれど、アライ達は国に戻っても構わない。私はリアについていくよ」

「ちょっとぉ、殿下。我々そこまでひどくないですよ。っていうか、殿下のこと大事にしてんのに殿下がそういうこと言いますか。アライ心外」

「ごめんね」

「謝り方が軽すぎるし、そもそも、お姫様の覚悟も決まってないんだから、一緒に行くったって魔王んちか、それとも大陸中逃げ回るのか、どっちにするんです」

 再び急に話を振られ、全員の視線を受けてリアは硬直する。

(どうしよう)

 魔王のことは、怖い。

 でも。

 黙りこくったイディアーテ。面倒そうながら、ジークに同行するらしいアライ。

(変なの……)

 リアは誰かの手を借りるつもりもあって、リンデンまで来た。

 でも以前、リアが予言を変えようとして必死で動いていた時は、いろんな人の心が引いていった。今回だって相手にしてもらえないとも、思っていた。

 それなのに、この人達はリアについていくという。

「リアだって、私達が急ごしらえのことを言うから、今すぐ決められなくても仕方ないよ」

 ジークが喋る言葉を聞きながら、リアはうっすらと思い出す。

 夢の中で、リアを慰めてくれた声。

 ――この蛙だった気がする。

(額にキスしてくれたのもこの人……この、蛙)

 蛙にキスされたんだと思うと、ぞわりとしてしまうので考えるのをやめにする。

(どのみち、他の方法は思いつかないんだし)

 リアは息を吐いて、吸い直した。

「私、逃げ続けるのは、もう嫌」

「魔王になんて、本気で会いに行くんですの? ばっかじゃないかしら」

 木立の向こうから、若い娘の罵倒が聞こえる。姿は見えないが、どうやらイディアーテの妹マーサのようだ。

「アライは報告しなかったけれど、昨夜はずいぶん魔物が暴れたらしくって、森の木々がなぎ倒されていましてよ」

「せっかく黙っといたのに」

「主にも黙るだなんて、アライ。いけないよ」

 子どもを叱るふうに、ジークが言う。アライが軽く肩をすくめた。

「てへっ。森を突っ切って逃亡するのか、国に帰るのか、城に戻るのかも分かんないので、いたずらに怯えさせまいと思って黙ってました! 森を突っ切るのはそーいうわけでお勧めできませんっ」

「やれやれ。困った子だね。それを判断するのは私の仕事だよ」

 蛙の姿をしていても、最終的な判断権を持つ辺り、ジークはきちんと、上に立つ者でもあった。

「魔物を引き連れた旅になりそうだけれど……、せめて、君の、気持ちの上で力になりたい。一緒に、魔王に会いに行ってみませんか?」

「ひとごとだと思って」

 思ったよりもすねた口調になってしまった。リアは内心慌てながら、急いで言葉を付け足した。

「でっ、でも、一緒に行ってくれる人がいて嬉しいです。直前になったらやっぱり怖くなって逃げ出すかもしれないけど、魔王の住みかの近くまで、自分で行ってみる……本当に、一緒に来てくれる?」

 危ないのに。本当に、彼らはリアについてきてくれるんだろうか。不安で胸がつぶれそうだ。

 ジークは笑って、

「ありがとう。一度くらい、魔王に会ってみたかったんだ」

 なぜか礼を言いながら、変な冗談を混ぜ込んでくれた。

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