第11話
「大丈夫? 大丈夫? 怪我はない?」
リアは手当たり次第に茂みをかき回した。ようやく蛙を引っ張り出す。ジークはきょとんとしていたが、やがてあははと笑いだした。
「どこか打ったの?」
心配になったリアは、蛙をひっくり返して外傷を探した。鳥の鋭い爪に傷つけられた箇所はない。どうやら皮膚を突き破られずに、うまいこと掴まれていたようだ。
「あっちこっち打ちつけたけど、頭は大丈夫だよ。ただ、ものすごく怖かった。リアが助けようとしてくれていたのが、嬉しくて。あぁ。驚いた」
茂みをかき分けて、マーサの使用人達が現れる。マーサの指示する声がして、リアは木切れのついた頭を払われ、立ち上がらされた。
元の湖畔に戻ると、イディアーテが苛立ちながら待っていた。よく見ると、アライが羽交い締めにして止めている。
「あーよかった。アライ、今追いかけても追いつかないし、あの鳥の種類と風向きから、巣を探そうと思ってぼんやり見てましたけど、よく考えたら殿下は獲物としても小さいから、巣に持って帰る前に食べられちゃいますよね! 危なかったー。見つかってよかったですね!」
「っ、だから! だからお前は信用ならないんだ!」
「だって闇雲に走ったって、イディアーテ転んで怪我でもしたら足手まといになりかねないし」
「うるさい!」
「心配をかけて、すまないね」
リアの掌の上で、ジークが謝る。彼が手に握りしめていたのは、魔物をやっつけるための剣――小さな針、だ。
「これを振り回したら刺さったみたいで、離してくれたよ。あの鳥には、悪いことをしたけれど」
青い顔をしていたマーサにも、ジークは落ち着いて微笑みかけた。
「だから。大丈夫だよ。……ところでリア」
「何?」
「蛙が嫌いなのに、私を捜して、つかまえてくれてありがとう」
「……あっ」
言われたとたん、蛙の触感が脳に届いた。
掌に、しっとりとした蛙の肌がある。息をして動く腹。
「っ」
反射的に握りしめてぶん投げそうになったリアは、必死でそれを我慢した。何しろ、せっかく見つけた蛙である。あまりに小さいので、捨ててしまったら、もう一度探せと言われても難しそうだった。
その後、おおむね平和に移動できた。
夜は、マーサが使用人にテントを立てさせようとしたが、何かあったときすぐに逃げたいからとジークは断った。リアはマーサに、馬車の方へ誘われたが断った。初日と同様、リアはたき火の側で、布にくるまって休息をとる。マーサのことはいい子だとは思っている。けれどお嬢様という種類の生き物は、リアにとって、まだ怖い。
(何を考えてるか、分からないし)
それを言うと、この男どももよく分からない。
常に陽気に生きているようなアライ。
しかめっ面で蛙の世話を焼くイディアーテ。
(強いて言えば、イディアーテとマーサは、兄妹だけあって似てるわね)
一生懸命に、蛙を見ている。蛙、もとい、小さな王子ジークを。
今日も星が明るかった。
眠るとき、リアは深呼吸する。
どうか。苦しくありませんように。魔王に会うための旅の、恐怖を、必死で鎮める。
ジークがアライに話しかける声を聞きながら、どうにか落ち着いて眠りに落ちた。
*
「姉さんはいったいどこへ消えたんだ」
ぶつくさ言いながら、茶のくるりとした短髪を指先でいじる。
頬杖を突いていた片手をずらし、するりと、テーブル上の書面をめくった。
ストラの城の窓は高い。広々とした窓から、明るい日光が差し込んでいる。
「こっちはこっちで、大変なのに」
姉の行方を、部下達に探させてはいる。けれど、自分はまだ若く、十代で、部下といっても数が少ない。なかなか、すべてが思い通りにはならないのだった。
はぁ、と重苦しいため息をつくと、集中が途切れたタイミングを見計らうように、正面のドアがノックされた。
「入れ」
一瞥もせずに言うと、黒い軍服姿の、大柄な男が入ってきた。毛足の長い絨毯を、音も立てずに歩いて来ると、少年の近くで一礼をした。
「殿下。お知らせしたい件がございます」
「何だ?」
最近、少年は自ら指示し、ストラのわずかな兵士達を動かしていた。男は静かな口調で、最新の経緯を報告する。
「……ということで、順調に進んでおります」
「そうか。順調ね……」
少年は憂いを帯びた顔を上げて、男の目を真っ直ぐに見た。男はいささかもたじろがない。彼の目の裏にあるものを見透かすように、少年はゆっくりと呟いた。
「私は若く、実戦経験が足りない。多くの者に見くびられるであろうことは分かっていた。それをここまで実行してくれたアルヴィン卿。卿には感謝している。私の指示で動くことには、不安や不満もあっただろう」
「滅相もございません」
敬礼する男に、少年はいくつかの礼を伝える。彼は、おそらく相手方が次に打つ手を並べて言い、対処の案を述べてからアルヴィン卿を下がらせた。
「そういえば、殿下」
男は部屋を出る前に、思い出したように、報告を継ぎ足した。
「何だって?」
少年は、丸くて大きな目を、きゅうっと細めた。
「姉上が、魔王の住むという、カエサリアの地へ?」
あれほど魔王を嫌っていた姉が、自ら向かうものだろうか。
けれど「リンデンの森の方角へ走っていく、軍服姿の怪しい者がいた」という情報と、「何人かがリンデンの森を抜けて北へ向かうのを見た」という話が届いている。
何があったのか分からないが、何かが起こっていることは確かだった。
「同行者がいるっていうのも、解せないな。脅されたのか? 魔王への手土産代わりにされてるとか……」
それもあるかもしれない。そうでもなければ、自分から魔王になんて近づくわけがないだろう。
男が退室し、他に人のいない部屋の中で、少年は苛立ちを抑えて窓を見た。
「魔王なんて僕が倒すよ。もしくは配下におさめる。形だけでも、魔王職を他の者に与えてもいいし。それくらいしか予言の「逃げ道」はないって、姉さんには言っておいたんだけど……」
「イバラ、イバラ。さっきアルヴィン卿がいらしていたようだけれど」
ノックもなしにドアが開いた。風のように人が滑り込む。白いドレス姿の、少女みたいな女が、少年にするりと近づいた。経年の皺さえ美しく、品はよい。少年にとってはとても面倒な相手だった。
「母上」
「まぁイバラ。母上だなんてよそよそしい」
「よそよそしくもなりますよ。姉さんが家出したのは、貴方達のせいなんですから」
「あら! リアが家出したのは、私のせい?」
「母さん達が、追いつめるからですよ」
「だって、もう時期だったから」
むくれながら、母は自分の頬に手を当てた。
「リアが生まれたときに、高名な魔女にお願いして祝福をいただいたのよ。祝福をむげにもできないし、一瞬だけ、結婚したらすむ話なんですもの。一瞬だけ、リアの予言を実現させるために、あの子を魔王のところへ送る決心をしたやっとしたのに」
「いらない決心だし、そもそもどうして耄碌した老魔女なんかの祝福を受けさせたんです。僕のときは、三人も魔女がいたじゃないか」
基本的に、ストラの国付近では、子どもの誕生の際に、魔女の祝福を受けさせる。それを、王族などは複数の魔女にさせるのだ。
「イバラのときは、三人とも、とてもよい言祝ぎをしてくださいましたよ」
「知ってますよ。何回も聞いてますから。姉さんのときはひどかったみたいですけど」
「だって、ストラはおじいさまが建てた若い国で、その頃魔女も国にはいなかったし、遠くから呼んで、わざわざ来てもらったんですよ。一人しか来られないというから、残りの二人分は、手紙を送ってもらいましたし」
「手紙?」
それは初耳だ。
イバラは、しかめていた顔を、少しだけ和らげた。もしかしたら、手紙の方はとてもいいものかもしれない。
「内容は、何です?」
「祝福よ。その一つはね、蛙みたいな、おとぎ話のようなものと恋に落ちることはあっても、きっと自分で幸せになれる、と」
「それはろくでもない予言ですね」
イバラが切って捨てた予言は、既に、図らずも現実のものとなりかけていたが、この場ではまだ誰も知らない。
「そうねえ」
母もまた、変な予言ねぇ、と笑うだけにとどまった。
「それで、イバラ。アルヴィン卿が来たということは、何か報告があったんでしょう。リアは見つかった?」
「報告はありましたよ、本人かどうかは分かりませんが、姉さんの足取りがうっすらと掴めたので、私も一度、城を出ます」
「イバラ、どこへゆくの?」
のんびりとした母の問いに、イバラはため息混じりにひっそりと答えた。
「魔王の家に、遊びに行きます」
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