第25話

 部屋を決めるのに、どこが一番安全なのかアライが点検すると言うので、リアはいったん外へ出た。


 星がさざめきあう中、リアは深呼吸した。冷たい空気が喉を通り、肺に流れる。伸びやかに手足も伸びる。

 ストレッチをしていると、建物からジークが現れた。淡い色の髪が風にそよいだ。

「リア。大丈夫?」

「ふふ」

 おかしくなって、リアは微笑む。

「貴方っていつも、「大丈夫?」って聞くのね」

「そう? そうかな。聞いてみないと分からないこともあるからね」

 荒野の、茶色の地面。そこに生えている小さな草を避けながら、砂利を踏んでジークが近づいてきた。

「イディアーテなんか、子どもの頃から弱音を言わない癖があるし。大丈夫、って言い返されても、その調子から、本当の具合は推し量れるものだから。聞かないよりはいいかなと思って。つい」

「そうね」

 気を張って、無理をして大丈夫と言っても、この人には見透かされてしまいそうだ。

 指先が冷えているのにも気づかれたらしく、「手を握ってもいい?」と自然に問われた。

「ありがとう。私、ちょっと寒くて。冷たいからびっくりするかも」

「あぁ、それでかな? ちょっと寂しそうに見えたから。一人でいる方が、心がしんとして楽なこともあるけれど、人のぬくもりがある方がいいことも、あるし。声をかけたくなって、来たんだ」

 するりと、リアよりも広い掌が、リアの手と繋がった。

「ふふっ」

 リアは笑う。

「どうしたの?」

「何だか、おかしいなぁって思って」

「どうしてかな?」

「最近私、弟とも手を繋がないのに。どうして貴方と繋いでるのかなって、思って」

「今、距離が近いからじゃないかな」

 ふわりと手を引かれて、肩が触れる。

「他の誰かにこの場所を譲るつもりも、ないし」

「え?」

「――あれっ?」

 ジークが何かに気づいたようで、こちらを見下ろした。

 リアは後ずさる。耳が、頬が、手指が熱い。

「えっ、あのっ、私っ」

 気恥ずかしさが、今更のようにあふれ出す。

 ジークのことを考えてみると、大事にしたい人だ。確かに。

(キスだって、したけど……!)

 改めて我に返ると、これは、まさか。

「こっ……」

(恋人みたいじゃない!?)

 冷や汗まで出てくる。赤くなったり青ざめたりするリアに、指の力を入れ直してジークが聞いた。

「で、大丈夫?」

「な、ななな何が?」

「ここに来て、嫌な思いはしなかった?」

「あ」

(私、自分のことばっかりだ)

 反省とともに、苦い思いが胸に広がる。

(ジークは一緒に、ここまで来てくれた。魔王と、話してもくれた。イバラだって、私のために、人を集めてあんなことをしたのに)

 まぁ、イバラの場合は、他にも政治的な思惑がある。ただ、動機の一部にリアのことがあるのは、分かる。

「ジーク。大事にしてくれて、ありがとう」

「どうしたの?」

「お礼をね、言いたくなったの。貴方が一緒に来てくれなかったら、きっと私、いつまでも逃げ回っていたような気がする」

「大丈夫だよ、君ならきっと」

 掌が暖かくて、目の奥がじわりと痛む。

「どんな運命であろうとも、君ならきっと大丈夫」

 ジークの言葉に、リアは不意に崖に向かって突き放された心地がした。

 運命。

 リアは当初、運命を変えるつもりで、リンデンの城に向かい、扉を開けた。

 蛙の王子と、従者達とともに、魔王の元にたどり着いて、魔物のことや、花嫁が不要であることを知ったけれど。

 そもそも、リアは、リンデンの城で、運命を誤った可能性があるのだ。

 運命。

 ジークに、運命と言われるたびに、ぎゅうっと心と体が縮こまる。

「私、ね。貴方に謝らなくてはいけないの」

 言わなくては。

 嫌われたくないけれど、言わなくては。

 繋いでいる手を離しそうになって、ジークから握り返されて引き戻される。

「何? どうしたの?」

「貴方は、これを運命だと言うけれど」

 星が瞬く。あれは何の星座だろう。

「以前、ちょっと話したかもしれないけれど、リンデンで、私、マーサに突き飛ばされて、たまたま、あのドアを開けたの」

「たまたまでも、君が選んで開けたものだったら、別に構わないよ」

「違うの。他のドアを開けるって決めた直後だったの」

 ジークは空色の瞳を細めて、白く息を吐き出した。考え込んでから、あぁ、と笑みを含んで、目を上げる。

「ドアを開ける前に、一度ドアノブに触って、離さなかったかい?」

「えっ?」

 そういえば。

 リアはリンデンの城の中で、ドアノブを掴み、開けようとしたとたん突き飛ばされて――そして、あのドアを開けたのだった。

 おかしそうに、ジークが笑う。

「あのときにね。ドアが鳴ったんだ。ドアノブに、誰かが触れた。期待で胸が張り裂けそうになった。でも、開けられなくて、がっかりして。イディアーテに慰められていたら、もう一度。今度こそ、ドアが開いて、君が入ってきたんだ」

 嬉しかったなぁと、彼は目をきらきらさせて言う。

「だから、君は、選んだんだよ。ちゃんと。自分の選んだ運命の扉を、開いたんだ」


 呆然として、リアは星空を見上げていた。黙ったまま、どれくらい並んで立っていただろう。

 ふとジークが、こちらを見下ろして囁きかけた。

「眠たそうだね」

「そう? そんなことない……」

 言葉を裏切って、ふわ、とあくびが出る。ほっとしたせいで、一気に疲れが来たようだ。

「足下がふわふわしてる……私、確かに眠いみたいね」

 靄を食むようにして、リアは数度あくびをこらえた。

「本当に眠そうだ。自分で歩ける?」

「たぶん、大丈夫」

 星々が降るような中、ジークが身をかがめ、背中を見せた。

「乗って」

「えっ」

 先日まで蛙で、リアが元に戻した相手だとはいえ、ジークは他国の王子なのだ。リアだって子どもではないのだから、気軽に背負われるわけにもいかない。

「子どもの頃以来だし、私ちょっと、あの……」

 初めは断ろうとしたけれど、何となく、触れてみたくなって、リアはためらう。

「どうぞ」

「ッ」

 何だろう。ものすごく恥ずかしくなってきた。

 どうしたの、と不思議そうに見上げてくる相手の様子に、恥じらっているのが自分だけだと気がついて、リアの心臓は坂を登ったり下ったりした。

(何なのかしら!)

 思い返すと、イディアーテの妹、マーサの怒りは、もっともだ。

 ――こっちばっかりどきどきして、でも、相手はどこ吹く風なのだから。

 ちょっとぐらい困ればいい。リアは、幼い頃父親にしてみたように、思い切りぶつかった。突き飛ばすくらいの勢いだったけれど、ジークは軽くいなして、リアを背負いあげてしまう。

「何なのかしら……」

「え? 何が?」

 リアが呟くと、耳元がくすぐったかったのだろう、笑いながらジークが首を傾げる。

 ちょっと腹が立って、わざと首筋に顎をうずめた。

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