第2話
*
「ようこそ四百九十九番目のお客様」
石壁の廊下とは違う、広々とした場所で、執事姿の男が礼をした。
声はぎしぎしと不自然にゆがみ、心なしか体の動きまでところどころつっかえ気味だった。
「このお城に入れてくれて、ありがとう。……ここは、リンデンのお城よね?」
「そうでございます、四百九十九番目のお客様」
「貴方、いちいちお客様の数を数えているの?」
「もちろんです」
したり顔で執事は頷く。外見からは年齢が分からない。執事はぎしぎしと音を立てながらリアに近づいてくると、一枚のボードを手渡した。
「こちらが、メニューとなっております」
ボードを受け取る。まるで晩餐会の案内状のように優雅な装飾が施されていた。
(不思議ね)
リアは、森の中を徒歩で抜けてここまで来た。
今、緋色の絨毯は柔らかくてふかふかだし、飴色の木でできた階段と手すりは優美な曲線を描いて目の前に広がっている。
着ているのはぐちゃぐちゃになった軍服だし、髪は結い上げているし、ぼろぼろの格好だったけれど、何だか懐かしいような光景だった。
「あ、そうか」
(道理で見たことがあると思ったら)
お母様に読んでもらった絵本のお城に似ているのだ。
でも、ここはまともな場所じゃない。
おとぎ話の世界ではあるけれど。
執事が恭しく唇を曲げる。
「お客様は新しい運命を手に入れるためにこの城リンデンにやってこられた、四百九十九番目の人物です」
新しい運命。その言葉に、リアはごくりと喉を鳴らす。
「この城には運命の扉が隠されています。すべての扉は別々の小部屋へと通じ、お客様が望む運命を掴むことができます」
「抽象的に聞こえるんだけれど。……私に与えられた「予言」を、塗り変えるような運命を、手に入れられる?」
「はい。貴方の望むままに」
ナグーの森には、人や獣が立ち入らない。それでいて木々は芽吹き、木の実は落ちて、小川は流れ、豊かな土地のようにも見える。リンデンは、そんな不思議な場所にたたずんでいる。その城は、魔女などに呪われた者達が集う場所である。彼らは呪いをといてくれる人を待ち、来る者に恩を返すと言う。
(運命を掴めると言ったって、予言を否定できるほどの相手がいるとは、限らないんだけれど)
リアは胸の前でボードを握りしめた。
十六の歳に魔王に嫁にやられる予定だったが、海外留学をするとか言ってごねているうちに延び、何とか十七歳になった。
留学中もあちこちの書庫をあさったけれど、魔王のやっつけ方も、魔王のいなし方も、運命の変え方も見つからなかった。
結局、リアは追いつめられて、一番ばかばかしい、新しい「運命」を掴める城だなんていう噂話に頼ってしまった。
リアはため息をつき、頭を振る。
暗い顔をしたって、何にも変わらないのだ。
「お客様」
執事がぎこちない動きで近づいてきた。背筋がぞわりとして、リアは思わず一歩下がる。近くで見ると、執事は生き物ではなくて、ほぼ完全に人形のようだった。
(息してない気がするし)
「運命を変えたいと願う子女は、一つだけ扉を開けることが許されています。三つくらい開ける剛の者もおられましたが、一番最初以外は無効になりますので、お忘れなく」
「その子女は、一つ目が気に入らなかったの?」
「さぁ。分かりかねます。人形には心がありませんから」
「え」
「私どもは城の魔法の一部でできております。人の心など分かりません。ですがどの扉の方も、ご自分で従者をお連れですので、こちらに文句をおつけになることもありません」
「扉の方……」
「くれぐれも、よい運命を」
小首を傾げて、執事がボードを返すように迫ってくる。
リアは慌てて、ボードの文字に目を通した。
(一日で軍略図丸暗記、とかやらされたのが役に立ったわ!)
ボードには、城の見取り図と、部屋の名前が記されている。だが、「扉の中身」については書かれていない。寄ってきた執事と、頭がぶつかる。
(仕方ないわ!)
「私と一緒に運命をぶったおしに行ってくれる人を、見つけましょうか」
覚悟を決めて、リアはボードを執事に返却した。階段を登り、足音を立てて廊下を進む。
廊下の左右には、びっしりと扉が取り付けられていた。どれも同じ形をしている。ただし、材質が少しずつ異なっていた。
ある区域はすべて木でできていた。飴色、あるいは肌色に近い硬質な木、またはどっしりと重たげな茶色の木。指先で軽く叩くと、楽しげな音が響く。
ある区域はすべて金属でできていた。甲高い音が立つ黄金の壁。金色だけれど金よりはもっと軽い感じの、不思議な金属の壁。あるいは銀色。銀といっても艶消し、艶あり、細かくさざ波めいた模様が打ち出してあるものなど、多種多様だ。
「よくもまぁ、これだけ内装を変えたものよね」
呟いて、リアは赤茶の銅板めいた壁をこつこつと指の背で叩く。
細長い廊下はぐるぐると円形に曲がっており、どこまで行っても終わりがなかった。
「遠近感とか、現実っていうものを、まるで無視しているわよね」
しかしまぁ、減ったとはいえ魔法使いもいる世の中なのだ。実際に、噂通りにこんな城があっても、おかしくは、ない。
「ここは魔法の城。魔女や神殿の神様なんかを怒らせた迂闊な人達が、その呪いをといてもらうために集まっている。呪いをとくのは、運命の人のキス」
そして、キスを与える者にも、新しい運命が付与されるのだ、と、言う。が。
(改めて考えてみると……魔女に呪われるような人が、どう役に立つのかしら)
少なくとも戦力にはならない気がする。
だんだんと足が鈍ってきた。
数々の宝石でできた壁とドアの前を通り過ぎて、リアは小さくため息をつく。
蔦が茂る区域を越えて、こぢんまりした感のある、花の区域にやってきた。
派手ではないし、威圧的でもない。
迷ったけれど、歩き疲れて投げやりになっていたリアは、おもむろに右側のドアを開けようとした。
そのとき、後ろから誰かに突き飛ばされた。
「えぇ!?」
考えごとをしていたとはいえ、まさか自分の他に誰かいるだなんて思いもしなかった。
「真ん中に立つなんて、なんて邪魔な人なんでしょう!」
美少女が豪奢な金髪を振り乱し、居丈高に叫びをあげる。リアをもう一回突き飛ばしてから、廊下を全速力で進んでいった。
「誰あれ!? 何なの!? 何で私が怒られるの!?」
混乱しながら、リアは、突き飛ばされた勢いで、右だか左だか分からないドアを思い切り開けてしまった。
「あぁ!」
頭を抱える。
思えば、生まれたときから人に翻弄されてきた。
(偉い魔女のお祝いだか何だか知らないけれど、妙な予言を貰ってるし!)
今、またしても他人に運命をいいようにもてあそばれてしまった。
リアは部屋の入り口付近にうずくまった。
「やだ、もうやだ、私なんでいっつもこうなんだろう!? 人の都合ばっかり!」
もう嫌だわー、とごろごろ転がる。ドアにぶつかったところでようやく止まった。
「もうほんとに嫌ー!」
「その、……大丈夫かい?」
いたわる言葉が、柔らかく耳に響いた。
頭を抱えていたリアは、その声で我に返る。
ドアが開いていた。
(そうか。私、開けちゃったんだわ)
室内はベージュの優しい色合いでまとめられていた。思ったよりも狭苦しくて、一部屋しかないようだ。
机のところにいた人物が、瞬きをしてこちらを見ている。
「あの……貴方が?」
「いえ。違います」
彼は、先程労ってくれたのとは別の声で、にべもなく言い切った。彼は立ち上がり、リアの方へ近づいてくる。
その両手が、平たく、何かを捧げ持つように掲げられていた。
「何、それ」
嫌な予感が、背筋を伝う。
「何なのそれ……!」
声がかすれる。
平たくなっていたそれは、きれいな緑色をしていた。
頭に、小さな王冠をかぶっている。
「蛙にされていますが、立派に、うちの王子でいらっしゃいます」
何となく失礼なことを言いながら、その男は手を――正確には手の上の蛙を、リアに向かって差し出した。
「この部屋の主。ジークフリート・エバロウ様です。運命の人」
「いっ」
嫌、と叫んでひっぱたきそうになったが、それよりも先に、蛙がつやつやした目で、心配そうに口を開いた。
「大丈夫かい? 顔色が悪いようだ。こんなところまで、よく一人で来たね。大変だったろう、お茶とお菓子があるから、どうかこちらに来てほしい」
「そうですね、王子。では運命の人は中へどうぞ」
リアは既に室内に倒れ込んでいたが、足ががくがくして立ち上がれない。どうにか、自由になる口で言い返した。
「だ、だだだ、誰が運命よ」
「失礼。私の、ではなくて、私の主の運命の人、とお呼びすべきでした」
「貴方人間よね? さっきの、執事みたいな感じがするけど」
「さっきの? あぁ、城の玄関係のことですか。あんなメカロボと一緒にされると、不愉快ですね」
微笑んでいるが、男の灰色の目が笑っていない。
(ななななな、なに、こいつ)
「大丈夫かい? 愛しい人。私の運命」
蛙が、ぴょん、と前へ跳ねる。
その動きを見て、リアの中で何かが切れた。
「きゃああぁああああ!」
大音量で悲鳴をあげると、足が動かなかったのが嘘のように、全速力で走り出した。
(あぁ、そっか……さっきの金髪の女の子も、もしかしたら、もっと悲惨なものを引き当てたのかもしれない)
今なら、あの子の文句が分かる。
「小さい頃に弟とかに靴の中に蛙入れられて踏んづけてぐにゃってやっちゃって以来蛙っていう生き物がほんと嫌いなのよおぉおおおおお!」
リアは、叫びながら逃走する。
取り残された王子は、小さな肩を震わせた。
「きらいって、言われた……」
しょんぼりした声に、王子を手の上に載せていた男が、チッと短い舌打ちをする。
「ちょっと。王子。しっかりしてください」
「やっぱり、蛙になんて誰も心を開かないんだ……」
「いいから。落ち込むのは後にしてください。せっかくの運命が逃げますよ。アライ、あの子を捕まえてきてください」
男が部屋の奥に声をかけると、あくびをしながらもう一人、従者が現れる。
「ってか殿下も持っていった方がよくない?」
「持っていくなどと言うな。お連れしろ」
「はーい」
蛙を受け取り、従者は面倒くさそうに廊下を走り出した。
リアは叫ぶ。
やっぱりこんな運命、間違ってる。
現実なんて受け止めきれない。
半泣きで、適当なドアを、仕切り直して開けてみた。
「おや、私の運命。いらっしゃい」
つやつやした頭皮、ふくよかを通り越して肉の塊となりはてた、油ギッシュな肉体。半裸の、王冠をかぶった王様(推定)が、ワインを片手にこちらに向かってウインクした。
「きゃあああ!」
「アレっ? 私の運命ー?」
リアは走る。数秒をおいて、開けっ放しのドアの前を、ジークフリートと従者が駆け抜けた。
「アレはうちの王子のモノですから!」
従者は、釘を差すのを忘れなかった。
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