第8話 そして船はまた走り出す (3)

 地球に帰ってきた「しきしま」の帰還報告会は、日本宇宙輸送株式会社の会議室ではなく、わざわざ社外の大ホールを借りて盛大に開催される。会場に集まったのは社員のほか、株主、証券アナリスト、報道関係者など三百名以上。

 持ち帰った水素の金額が小国の国家予算ほどの額におよぶステラ・バルカー級輸送船の帰還というのは、それだけで為替や日経平均株価にも影響を及ぼすほどの一大イベントなのであった。


「以上で、ステラ・バルカー級水素輸送船『しきしま』の第四次木星往還の事業報告を終えさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました」


 演台に立ち、巨大スクリーンに映し出された資料の説明と質疑応答を終えた鍋島艦長が深々と頭を下げると、まるでクラシックコンサートの演奏後のように大きな拍手が延々と続き、その間、鍋島艦長は観客席の色々な方向に向かって何度も何度も頭を下げた。

 まぶしいスポットライトの光の中で鍋島艦長は、これで俺の艦長としての四年間の仕事は無事に終わったんだな、一件も死亡事故がなく帰ってこられて本当によかった、という感慨がこみ上げて来て、多数の人前だというのに柄にもなく目頭が熱くなってくるのを必死で押さえ込んだ。


 いや、まだだ。まだ気を抜くな。


 俺の艦長としての仕事はまだ終わっていない。最後の最後に、一番難しい大仕事がこれから待っているじゃないか。泣くのはそれが終わってからだ。

 そう考えると、すぐに鍋島艦長は頭を切り替えた。熱かった目頭は嘘のようにひいていた。


 帰還報告会の翌日、鍋島艦長は日本宇宙輸送株式会社の菅原会長の部屋にいた。


「おお、ナベちゃんおかえり。四年は長かったろう?」


 会長と常務取締役という、大企業のトップの重責を背負った者同士の会話とは思えないほど、菅原会長の口調は軽い。というのも鍋島艦長と菅原会長は、かつて菅原会長が運行企画部長、鍋島艦長がその部下の課長として、三年ほど上司部下の関係だった事があるからだった。


 時を経てお互いに肩書きは重くなっても、一人の人間として当時と感覚は全く変わっていない。菅原会長は未だに、鍋島艦長の事をナベちゃんと呼ぶ。自分をそう呼んでくれる事を鍋島艦長は嬉しく思っていたが、おそらく、呼んでいる菅原会長のほうも嬉しかったに違いない。

 もはや、会長と苦楽を共にした昔の仲間は半分近くがこの世におらず、生きている人でも会社に残っているのは数えるほどしかいない。会長という企業の頂点を極めた地位にいながら、菅原会長はどこか孤独だった。そんな菅原会長にとって、四年ぶりに帰ってきた鍋島艦長は貴重な「友人」なのである。


 しかし、その日の鍋島艦長にとって菅原会長は「友人」ではなかった。いつもと違って、堅い口調を一向に崩そうとしない「ナベちゃん」の様子に、例の件かと菅原会長もすぐ悟った。


「お前の後任なら、悪いけど話は終わってるよ、ナベちゃん」

「それじゃぁ会長は、これで良いと思っておられるので」

「思っちゃいないさ。でもバランスってもんがある」


 すでに菅原会長も、完全に仕事の顔である。菅原会長は苦々しい表情で鍋島艦長を睨みつけた。

「俺はナベちゃんの専務と、栗原の取締役を通してもらった。これは俺のワガママだ。社長はこのワガママを受ける代わりに、長尾に実地経験を積ませてくれと言ってきたんだ。もうその件は何度も説明したじゃないか」


 菅原会長は懇々と諭すような穏やかな口調だが、その鋭い目線は鍋島艦長をこの場で刺し殺してもおかしくないような、ごまかしのない真っすぐな殺気を放っている。

「長尾はああだけど、それはそれで有能な奴ではある。橋本を社長に選んだのは私だが、その橋本が長尾の奴に何かを見出して、奴の可能性を伸ばしてやりたいと真剣に言ってきたんだぜ。

 曲がりなりにも社長という重い地位を背負ってる人間が、不退転の決意で要求してきたんだ。それを会長だからといって頭ごなしに否定するわけにはいかんだろうて。

それに等価交換が成り立って、この件はもう決着したんだ。今さらもう崩せないよ、ナベちゃん」


 だが鍋島艦長も一歩も退かない。そんじょそこらの極道では到底太刀打ちできないような菅原会長の殺気を至近距離で真正面から受けながらも、ビクともしない強い眼差しでキッパリとこう言いきった。


「実地経験なんてものは若いうちに積むもので、役員にもなって、経験がないから務まらないなんて甘えは許されないです。

 一万人以上の生命を背負う艦長という責務を、経験を積ませるなどといった程度の生半可な理由で背負って欲しくはありません」


 菅原会長はしばらく無言のまま、目玉だけをらんらんと光らせていたが、大きくため息をつくと反対の方を向いた。こうなってしまった時の鍋島艦長は説得が非常に面倒くさいという事を、菅原会長はとてもよく知っている。


「あのなぁナベちゃん。昔からずっと変わらず、心は生粋の船乗りだったお前の気持ちを俺は分かってるよ。でもな、ナベちゃん、俺の気持ちは分かってくれないのかな。俺は会長なんだぜ。

 アンタは一万人の乗組員を背負ってたかもしれないが、俺は三万人の社員とその家族を背負ってるんだ。

 俺だってお前の後任は木下だと思ってるさ。でも、一万人の『しきしま』の乗組員の幸せと、三万人の社員の幸せを天秤にかけて、俺は三万人にとって最適な道の方を選んだんだ」

「最適な道とは思えません」

 ぴしゃりと、鍋島艦長は言い捨てた。


 そもそも、三年前に菅原会長が自らの後任として、自分とは全くタイプの違う橋本社長を指名した事自体が、鍋島艦長にとってはずっと不満だった。

 橋本社長体制になってから、会社はどんどん官僚的になり、うわべだけで内容の伴わない口の達者な人間だけが得をするケースが増えてきていると鍋島艦長は思う。当然、菅原会長なりの深い考えがあっての後任選びであったとは思うし、事実、橋本社長の就任後、日本宇宙輸送の業績はずっと好調を続けていて、橋本社長は優秀な経営者であるという評価が一般的には確立されつつあったが、それでも鍋島艦長の目にはどうしても彼の悪い面しか見えないのだった。


 そして、自分の後任にほぼ内定している長尾取締役は、その橋本社長に引き立てられて異例の大抜擢を続けている、まさに橋本コピーといった雰囲気の人間なのである。

 そんな人間に実地経験を積ませる事が、一体会社にとってどんな形で最適な道になるのか。鍋島艦長にはさっぱり理解できなかった。いや、正確に言うと理解したくなかった。理解したいという意志が最初から無いのに、理解できるわけがなかった。


 実は、鍋島艦長の後任の件は、「しきしま」がまだ木星に停泊していた約二年前頃からずっと議論になっている厄介な問題だった。


 ただ、議論ひとつ取っても宇宙船と地球の間ではそうそう簡単ではない。地球から一番遠い木星付近からだと、光の速度で情報を送る光速度通信を使っても、メッセージを送信してから相手に届くまで三十分近くかかってしまうからである。

 だから話し合いは、お互いがカメラの前で自分の思いのたけを熱弁し、その撮影した動画を相手に送るというやり方にならざるを得ない。

 どちらか一方が動画を送ると、数十分後にそれが相手に届き、それを見た相手は返事を考えて、返答を語る動画を撮影する。その返答はまた数十分かけて相手に届けられ―――と、非常に待ち時間が長く、まだるっこしいやり方で議論をしなければならないのである。


 それでも二人は今までに何度も何度も激論を戦わせて、最終的に、全く納得はしていなかったが鍋島艦長はこの人事をしぶしぶ承服している。

 ところが、いざ地球に着いて直接会ってみたら、鍋島艦長は以前に了承してもう決着がついたはずの話を、再び蒸し返してきたのである。今回の鍋島艦長のやっている事は強引なちゃぶ台返し以外の何物でもなく、仕事の進め方としては明白なルール違反だった。


 だから、会長としては鍋島艦長を叱りつけてこの話を終わりにしてもよかったのだが、彼らがこの件について直接面と向かって話したのはこれが初めてである。

 直接会って話してみると、いかにリアルな立体映像とはいえ、光速度通信越しでやり取りした時とはやはり受ける印象が全く違って、とっくに結論が出て終わったはずだった話なのに、菅原会長は黙って考え込んでしまうのだった。


 しばらく下を向いて黙っていたかと思えば、はあと深く息を吐いて姿勢を変えて目を閉じ、腕を組んで空を仰ぐ。苛立ちと苦悶をこれ以上なく分かりやすく示した菅原会長の様子を、鍋島艦長は微動だにせず凝視していたが、ボソリと低い声でつぶやいた。


「私は役員を自主的に辞めますよ。これで解決でしょう」


 突然何を言い出すんだ?と、菅原会長は振り向いて鍋島艦長の顔を不審そうに見つめた。


「こないだ長尾が視察に来たでしょう。そこで役員の方々の生臭いお話を色々聞いて、それと長尾の立ち居振る舞いを見ていたら、だんだんと醒めてきましてね」


 バカな事を言うな、と菅原会長は言いかけたが、それを遮るように鍋島艦長は言葉をかぶせた。

「取締役会なんてバケモノの集まりです。私は船乗りでいたい。」


 オイオイ、それは俺の事もバケモノだと思ってるのか?と菅原会長は苦笑しながら言ったが、鍋島艦長はくそまじめな顔で、ずけずけと「はい」と答えた。

 いくら仲が良いとはいえ、会長にこんな事を平然と言ってのける鍋島艦長も鍋島艦長だが、そんな言われ方をされても全く腹を立てず、むしろ満足げな様子にすら見える菅原会長は、確かにバケモノかもしれなかった。


「まあ否定はせんよ。毎日毎日、足の引っ張り合いと意地の張り合いで、バケモノと魔物がお互いを喰い合う鉄火場だからな、ここは」

「私はただ宇宙船に乗っていたいだけ。生粋の船乗りなんです会長。それはもう昔からよくご存知じゃないですか」


 鍋島艦長はヤドカリのような人だ。

 一度たりとも、自分の体よりも大きな貝殻を背負いたいと思った事はない。単に、体が大きくなると窮屈になってくるので、仕方なく前よりも大きな貝殻に引越しをしているだけだ。それでまた体が大きくなると、さらに大きな貝殻に引っ越して……を何度も繰り返していたら、気が付くとステラ・バルカーの艦長という貝殻に住んでいた。ただそれだけの事だった。

 

 世界最大級の宇宙船の艦長になる。それは宇宙船乗りとして無上の名誉であり魂の震える仕事だった。自らの船乗り人生の集大成だと喜び勇んで、鍋島艦長は「しきしま」に乗り込んだ。

 しかし実情は、ステラ・バルカー級の艦長なんて船の運航に関係する仕事などほとんどなく、密閉された艦内社会のいざこざを解決する政治家のような仕事ばかりで、早い段階で鍋島艦長はすっかり退屈することになる。


 さらに、他の役員たちが聞いたら発狂するような話だが、鍋島艦長にとって余計だったのは常務取締役の肩書きだった。

 ステラ・バルカー級の艦長ともなると、何しろ約一万人の乗員の命を預かり、社内では二隻しかない巨大な船の命運を握るだけあって、肩書きも非常に重いものになる。日本宇宙輸送㈱の場合、艦長は常務取締役を兼務するのが通例だ。


 でも、船乗りである事だけが仕事をする理由である鍋島艦長にとっては、艦長就任と同時に自動的に付与されたこの常務取締役のポストなど、「艦長をやる以上、仕方なく付いてくる邪魔なもの」なのである。それを捨てることに、何のためらいもなかった。


「私が専務への昇格を辞退して役員を退任して、空いた専務の席に誰か社長派の人間を上げてやればいいんです。何だったら長尾を一足飛びに専務にしてもいい。その代わり『しきしま』の艦長は木下。この交換条件なら誰一人文句は言わないですよ」


 どさっと椅子の背もたれに背中を預けた菅原会長が、「アホか」と苦笑しながら言った。「俺が文句言うわ」


 俺は細心の注意を払って役員全体のバランスを取ってるのに、お前完全に無視しやがって、と菅原会長は苦笑しつつ毒づくと、しばらく無言で眼を閉じた。そしてしばらく熟考した後、「ま、わかった」とだけ静かに答えて、それでこの話を終えた。

「ありがとうございます」と、鍋島艦長は深々と頭を下げた。


 その後、全く関係のない雑談をしばらくした後、それではこれで、と会長室の出口に向かいドアノブに手をかけた鍋島艦長の背中に、菅原会長が大きな声で呼びかけた。


「おう。お前が部下になってから、俺は損してばっかりだ」


 鍋島艦長は振り向きざま、くしゃっと五歳児のような笑顔を浮かべながら楽しそうに言った。

「不器用なんですよ。これしかできない」


 菅原会長も五歳児のような笑顔になった。

「バカヤロウ。自分は不器用ですって平然と言える奴くらい、器用な奴はいねえよ。さっさと行けこの野郎」


 もう一度、鍋島艦長は深々と会長に頭を下げて、そして部屋を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る