第5話 職人と弟子 (3)

 西山係長の日頃の口癖は

「担当者が船を動かしてるんだから、プライドを持て」

である。若い担当者がミスをして叱る時に、彼は必ずこの口癖が出る。


 今回の木星往復では、直接の後任者である将棋トリオの角田主任、金本君、香川君の三人は些細な事で西山係長から怒られる事が多かった。どうやら西山係長も、彼なりに若手の育成と引継ぎを意識してはいるらしい。

 ただ、将棋トリオにしてみると、「そこで怒るの?」という、彼らにしてみたらポイントがずれているとしか思えない事で怒られてばかりで、一向に噛み合わないのである。

 そしてついに、木星出発まであと二週間を切った大詰めのある日、忙しさと焦りから最年少の香川君が辛抱の限界に達した。

 西山係長がいつものように「担当者が船を動かしてるんだから、プライドを持て」と言ったところで、香川君が言い返してしまったのである。


「いや、私だって担当者としてのプライド持ってやってますよ。でも、これはプライド関係ないじゃないですか。上司との情報共有なんてのは新入社員が最初に教わるようなことであって、仕事をやる上での基本中の基本だと思ったから私は連絡しただけです」


 そこで、不穏な空気を察知した隣の席の角田主任がスッと立ち上がって自然と話に割り込んだ。金本君もいつの間にか立ち上がって話の輪の中に加わっていた。


 そこから先の議論の内容については、参加した誰もよく覚えていない。ただ、角田主任と金本君が何度も何度も「いいから、いいから」と連呼していた事だけがやけに印象的だった。

 これ以上議論を続けてしてしまうと、間違いなく西山係長と香川君は以後口も利かなくなるような関係になり、引継ぎが崩壊する事は目に見えていた。とにかく話を終わらせる事が必要だった。


 そしてその日の晩、角田主任と金本君は香川君を居酒屋に連れ出して、木星出発を目前に控え、今までの激務の日々の慰労会と愚痴大会を開催した。


「もうわけわかんないっスよNさん」

その日の香川君はビール一杯目から全開だった。


 昼のケンカについて角田主任と金本君が聞き出した経緯によると、ある設備でごく些細なトラブルが起こったので、香川君は関係者宛にその発生状況を簡単に書いて報告を送ったのだが、その写の宛先に川端課長が入っていた事を西山係長に咎められたらしい。


「課長を写に入れるのなんて報連相の基本じゃないですか。それをNさん、『こんな些細な事までいちいち課長に報告していたらキリが無い、お前はこんな事も自分で判断して自力で解決できないのか』とか言うんですよ。で、例のあれです」


 三人は口を揃えて言った。

「担当者が船を動かしてるんだから、プライドを持て」


「なーにがプライドだぁ。一人で船動かしてる気になりやがって」

 そこから始まった香川君による西山係長のモノマネ劇場は、金本君が後日「あの日の香川は神が乗り移っていた」と飲み会のたびに笑ってからかうほどの冴えを見せた。


 角田主任は、香川君の怒りがモノマネで多少発散されて、酔いも回ってどうでも良くなってきた頃にポツリポツリと言った。

「でもまぁNさんの管理職嫌いもさ、仕方ないといえば仕方ないんだよ。あの人高卒だろ?」

「高卒であの歳であそこまで行ったって凄いですよね」

「そうなんだよ。でも、本人はどうしても管理職になりたいらしくて、だから彼にとっては今の立場でも全くもって不本意なんだわ。それに、どうやら今回の出発の前に、課長になるって話もあったらしいのよ」

「うえぇ。Nさん課長ですか。部下みんな鬱になりますよ」

「そう。そうなんだよ。結局、担当者として優秀である事は誰もが認めてたんだけど、上司の受けが良くないのと、後輩からの評判がいまいちだったんでその話は流れた」


金本君が意外そうな顔をして聞いた。

「西山係長、上司の受け悪いんですか?あんなに優秀なのに」

 角田主任は日本酒のグラスをすすりながら答えた。

「香川が怒ってたのと同じだよ。報告が無い、連絡が無い、相談が無い。経緯をすっ飛ばして最終結果だけ報告が来て、それを見るとちゃんと素晴らしい成果は出してるけど、でも何やってるかがちっとも分からない。そういう部下って、上司にしてみたらどんなに優秀でも怖いんだろうね。

 だから香川、今日の件に関してはお前の方が正しいよ。自信持っていい」


 と、そこで角田主任は芝居がかった大きな大きなため息をついた。

「ただまぁ、俺達はNさんとケンカするわけにはいかないからなぁ」


 そしてチラッと香川君の表情を伺うと、妙に明るい声でさも些細な事であるかのような口調でこう言った。

「とりあえず、今後は課長をメールの宛先に入れるのは止めて、Nさんの居ないところでこっそり課長に口頭で報告上げるようにしたらいいんじゃないかな」

 香川君は不満げだ

「なんで俺そこまでNさんに義理立てしなきゃいけないんすか」


 角田主任はニコリともせず答えた。

「会社ってそんなもんだよ」


 そして、香川君に今日一番言いたかった事をポツポツと語りはじめた。

「確かに、上司を無視して何でも自分一人でやっちゃうNさんのやり方って、組織という面では大きな問題がある。

 ただ、Nさんの心境も考えてみろ。この船の機関について一番詳しいのはどう考えても自分なのに、高卒のハンデもあって最後まで自分が課長にはなれず、一周ごとにコロコロと変わる課長は最近じゃみんな年下。

 あの人の目から見たら、来る課長来る課長、どいつもこいつも初乗船の素人で、しかも一往復したらすぐ次に行っちゃうのに、そんな奴らに上司として頭下げなきゃいけないんだぜ。


――腹立つだろ?


 そりゃ管理職嫌いにもなるし、素人の上司にいちいち報告なんて上げてられるかって気持ちにはなるよ、人間だもん」


 香川君は一瞬意外そうな顔をした。角田さんは一体誰の味方なのか。

「そんな。そんなの全部私情じゃないですか。そんなNさんの個人的な好き嫌いに振り回される俺達は一体何なんですか?」

「ああ。貧乏くじ引いたよな俺ら」

「そんな簡単に諦めないでくださいよ角田さん。何か考えましょうよ三人で。Nさんに一泡吹かせる手を」


 角田主任は酔いで呆けたふりをしてボンヤリとつぶやいた。

「一泡吹かせてどうするの?

引継ぎがスムーズになるとか、何か得になる事ある?」


 香川君は何も答えられず、ただ、「でもこのままじゃ気持ちが収まりません」とうめくように言った。角田主任は答えた。

「まあ、香川の怒りは当然だよな。

 ただ、この問題は本当にどうしようもないわ。一番の理想はNさんが自分で問題に気付いて自分で変わってくれる事だけど、彼のやり方は完成されていて、彼が自分で担当する分には問題は起こらないから、問題に気付きようがない。

 じゃあ、俺達や課長がNさんに問題点を指摘したら効くか?どうせNさん、若造や素人の言う事なんて聞く耳持たないだろ」


 ――じゃあ、どうすりゃいいんですか。

香川君が半分ヤケになって角田主任にからんだ。


「まずは、信頼されることじゃねぇかなぁ。仕事で力を付けて『お、コイツ若いけどやるな?』って思わせないと、そもそも会話も何もできないし。それまではひたすら我慢して、彼に敬意を示して、素直で熱心なところを見せ続けるんだ。話はそこからだよ。腹は立つけどな。

 川端課長はそこんとこよく分かってて、上司だけどいつもNさんにちゃんと気を遣ってるよ。香川も今度よく見てみ?」


 香川君は押し黙って、水割りのグラスをぐっと傾けた。

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