第5話 職人と弟子 (4)

 あいつら甘いんだよな、と西山係長は自分の後任である大卒三人組の事を評していた。何やらよく分からない無駄な事ばかりやっているし、仕事の順序を間違えていたり、仕事の進め方の基本が全然なっていない。


 ただ、熱心ではある。自分が言った事を全部聞きのがすまいとする真面目な姿勢は認めざるを得ないので、たぶん地球に帰る頃までになんとか使い物にはなるだろう。

 技術なんて、どうせ実地で自分が経験しなければ身にはならないんだから、やっきになって口で教えても大して意味は無い。あいつらが一人前になるのに、あと何周かかるかな。


 西山係長が悠長にそんな事を考えている裏で、この一周で絶対に技術を習得して一人前にならなければならない将棋トリオの苦闘は続いていた。

 多くの失敗や回り道をしながら西山係長から技術を盗み取るだけでも一苦労なのだが、さらに彼らが西山係長に見えない所で秘密裏に粛々と取り組んでいたのは、西山係長が持っていた技術の徹底的な数値化とマニュアル化だった。


「こんなマニュアル作ってるのがもし彼にバレたら、間違いなく俺達ぶっ殺されますね」

香川君はつねづね、そう言って笑っていた。


 機関二課の重要な職務のひとつに、「しきしま」の艦体のあらゆる場所に配置された無数の姿勢制御用小型ロケットの出力調整がある。

 このロケットの出力は、基本的にはコンピューターで最適に制御されているものの、ロケットの個体差や部品の熱収縮の偏りなどの微妙なずれが重なり、計算上の出力と実際の出力は一致せず、かならず何らかのズレがごくわずかに発生する。

 それを機関二課が手作業で微調整し、正しい出力に補正するのだが、そのために使用できるロケットには制御系統、燃料系統などに数多くの複雑怪奇な制約がある。これらの制約は相互に複雑に絡み合い、あちらを立てればこちらが立たず、下手に一部をいじると全く別の部分がぐちゃぐちゃになるという非常に難しいものだった。


 機関二課では、担当者の経験と勘でこれらの複合的な要因のバランスを取り、不確定要素で刻一刻と変わってしまう部分も想定しながら、計算とは違った動きを見せる艦体を、本来あるべき動きになるよう補正していくのである。


 西山係長は「この調整は複雑すぎて、一番重要な最後の勘どころは口じゃ説明できないし、数字なんかでは表せないから、実際に作業をしながら時間をかけて体で覚えていくしかない」と常々誇らしげに言っていたが、将棋トリオはそれを数値化してマニュアルを作ろうとしているのである。


 彼らが作っているマニュアルは、たとえそのマニュアルに従って操作したとしても、西山係長が長年の経験と勘に基づき手作業で調整した時と比べれば格段に効率が悪い、非常に稚拙なものだった。

 しかし、少なくともそのデータとマニュアルを見れば、どんな素人でも調整方法の全体像は理解できる。


 今はこの程度の拙い精度しかなく、個人の経験と勘には到底勝てないかもしれない。しかし、データを記録する仕組みと誰でも理解できるマニュアルという枠組みさえ作っておけば、後はその枠組みの中に自然と情報が蓄積されていく。さらに歴代の担当者が少しずつ枠組みに改良を加えていけば、徐々に精度は上がっていくはずだ。

 それがこの方式を考えた川端課長と角田主任の思いであった。


「でも、これって結局、最終的に自分で自分の首を絞めてるんですよね……」

 木星出発を間近に控え、木星到着時と出発時に必要な作業のマニュアルが完成する頃、金本君が角田主任にしみじみと言った。


「だってこのマニュアルが真の意味で完成したら、今まで人間が経験と勘でやってた事が、誰でもすぐにできるようになっちゃう。

 そしたら我々は即、人員合理化でクビですよ」


 角田主任はディスプレイに向けていた目を離すと、ぼんやり遠くの方を見やって答える。

「うん。その通りだよな。この仕事は業が深いわ。

 今までずっと誇りを持って取り組んでいた複雑な自分の仕事を、わざわざそんな難しい事しなくても、こうすればずっと楽に同じ事ができるようになるよ、ってその価値を自分自身の手で否定していく仕事だからなぁ。こんなの冷静に考えたらただの自殺行為だよ」


 そう自嘲する角田主任の目は、連日の激務の疲れでぼんやりと眠そうで、しかしその奥に鋭い眼光を秘めていた。

「でもさ、そうやってどんどん仕事を単純化して無駄を削っていかないと、いつかこの船は世界の競争から取り残されるんだよ。

 西山さんなんかにしてみたら、俺達のこのやり方なんて単なるサボりにしか見えないだろうし、こんな甘いやり方が続けば担当者の質がどんどん低下して、いずれこの船はダメになるなんて風に思うんだろうけど。

 でもさ、たとえ誰かにそういう事を言われても、『長い目で見た時に真にこの船の将来を考えているのは絶対に俺達の方なんだ!』って無理矢理にでも思い込んで、これが良い事だと信じてやってくしかないよね」


 そこで角田主任は「でも俺、西山さん嫌いじゃないんだぜ実は」と言って笑った。むしろ人間としては好きなタイプだし、偉大な先輩としてすごい尊敬もしてる、と言いだしたので、金本君はどう反応していいのか分からず、はぁ、と気のない返事をした。


「西山さんみたいに、『俺の仕事は俺にしかできない匠の技なんだ。俺がこの船を支えているんだ』っていう強い責任感とプライドを持ってさ、いまの自分の技術に満足したりせずに、もう一段上の技術を目指して常にストイックに自分を高めていくのって、それはそれで確かに一つの理想的な美しい仕事のあり方だと思うんだよ。

 でも俺はさ、『自分のやっている仕事なんて大したことないんだ、もっと楽に効率よく、誰でも簡単にできるようになる方法があるはずなんだ』って冷たく自分の仕事を切り捨てられる人の方が、むしろ自分の役割に対して高いプライドと責任感を持っていると思うんだわ。

 そういうやり方だって立派な、理想的な美しい仕事のあり方の一つであるはずなんだ」


 スイッチが入ったように熱のこもった口調で語っていた角田主任は、そこでふと我に帰ったかのように少し黙って、そして静かに続けた。

「――いや。これはもう個人の考え方だから、どっちが正しいってもんじゃないか。

どっちも美しく、どっちも真剣で、どっちも正しい。ただ、俺個人にとっては後者の方がしっくりくるってだけの話」


「私は角田さんと同じ考えですよ」

 金本君はぼそっと言った。

 角田主任はありがとうと言った後、でなきゃこんなしんどい仕事、ここまで一緒にやってこれなかったよな、と言って笑った。



 ある日、西山係長は工務課の笹本主任と打ち合わせをした後、笹本主任にこう言われた。

「そういえばお宅の金本と香川、最近あいつら頑張ってるね」

「そうですか?それはありがとうございます」

「依頼が分かりやすいし説明も丁寧だし、まだ若いけどしっかりしてて、なかなか大したもんだよ」

「私が居なくなった後は彼らが機関二課を支えますんで、よろしくお願いします」


 何気ない笹本主任の一言だったが、西山係長もこれは嬉しかったようだ。


 あぁ、あいつらに対する俺の指導は間違っていなかった。決して見捨てずに遠くから優しく見守ってさえいれば、ちゃんと人間は育つんだなぁと、西山係長はこの言葉によって自らの仕事に対する自信をさらに深めたのであった。

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