第5話 職人と弟子 (2)

「これなんですけど金本さん、この資料、西山さんってどこに保管しているか分かります?」

 将棋トリオで最年少の香川君が、三年先輩になる金本君に質問したが、質問された金本君も浮かぬ顔だ。

「うーん。俺も分かんないわこれは。逆に聞きたいんだけどさ香川、お前この資料の置き場所知ってたりしないよね」

「いや知らないっす」


 そこに最年長の角田主任が入ってきた。

「西山さんどこ行ったか知らない?」

「三十分くらい見てないですね。工務の和田さんところじゃないですか?」

「俺もそう思って和田さんのとこに電話してみたんだけど居ないんだよ。ホラ、例の百二十三番コンプレッサーのトラブルの件、何とかしなきゃと思ってんだけどさ、西山さんさっき、誰かに電話したと思ったら、スッと一人で出てっちゃったんだよ。

 聞こえた電話の内容からいって、多分そのコンプレッサーの話だと思うんだけどさ、電話の相手が誰だか分かんないし何も言わずに出てっちゃったから、行き先全然分からなくてさ」


 金本君が眉をひそめて言った。

「またですか」

「ああ。まただよ」


 西山係長がメールを送る時、宛先はいつも直接的に関与している数人だけであり、それ以外の関係者には写しを入れない事がほとんどだった。

 そのため課長も他の課員も、彼が一体何をやっているのかはっきりと知る由もないのである。それでも西山係長は、毎回ごとに状況が大きく異なり、パターンが全く読めないトラブルをどういうわけか微妙な兆候の段階で鋭く察知し、この場合は誰に相談するのが最適なのかを極めて的確な判断で選択し、素早くその人と個別に話をつけてトラブルの発生前に解決してしまうので、今までは全く問題にはならなかった。


 だが、今は引き継ぎと後任の育成を行っている時期である。

 せめて、自分が誰と連絡を取って何を話しているのかくらいは後任の将棋トリオに教えてやらなければ彼らは全く育たないのであるが、西山係長は十年以上続けてきた自分の仕事のペースを変えるつもりは全く無いようだった。


 香川君もいまいましそうに吐き捨てた。

「ホント、教える気ゼロですからねあの人。Nさんって内心では、私達が成長すると自分の立場が危うくなると思ってて、それで自分の立場を守るためにわざと教えないようにしてるんじゃないかと感じる時ありますよ」


 角田主任は最年長なだけに多少冷静で、若い後輩達をたしなめた。

「いくらなんでも、さすがにそこまで悪質ではないよ香川。

彼は別に悪意があるわけじゃなくて、単に『技術は教わるんじゃなくて見て盗め』っていう精神なだけなんだ。

 忙しい先輩達が、自分に親切にものを教えてくれるなんて事を期待するな。知りたければ自分で考えろ、そして先輩の仕事ぶりを真剣に見て、そこから必要な事を勝手に学び取れ、って世界だよ」

「そんなの、ただの教育放棄じゃないですか。引継ぎをサボるための言い訳ですよ」

 若い香川君はバッサリと切り捨てた。


 角田主任は微笑んで言った。

「まぁ、見方を変えればそう言えなくもないな。

 でも、このやり方って完全にバカバカしいかと言われると、必ずしもそうでもないよ。『見て盗んでやろう』くらいの貪欲さを持ってじっくりと徹底的に観察していたら、それで初めて気付けるような事もあるし。

 それに多分、西山さん自身も若い頃、きっと先輩から何も教えてもらえない中で、自力で先輩の技術を見て盗んで育ってきたんだよ。

 だから、彼の性格が悪いとかそういうんじゃなくて、きっと彼はそれ以外のやり方を知らないだけなんだ」


 もちろん、将棋トリオも地球を出発して二年間、何も教えてくれない西山係長に対して何もしてこなかったわけではない。

 熱意を持ってあきらめずに何度も質問をぶつけているし、業務をやりながら不明な事があった時にその都度教わっていたのでは全体像がつかみにくいので、定例の講習会を週一回設定して、情報を体系的に整理してまとめて勉強できるようにした。上司の川端課長から、もう少し親切に引継ぎをするよう言ってもらったりもした。


 しかし、そうやって何とか情報を引き出しても、西山係長の説明はいつも断片的で、思い出した事を思い出した順番に話すので、話を聞く側に一定の知識が無いと、ただの無意味な情報の羅列にしかならない。

 また「これくらい」「だいたいこの程度」といった感覚や目分量での説明が多いので、言葉で説明を受けても全くイメージが湧かない。結局は説明の後、実地へ行って自分の手で同じ作業をやって、目で結果を確かめないと理解はできないのであった。


 ただ、教わった事をそうやって手間と時間を掛けて理解すると「あぁなるほど、確かに西山係長の言う通りだ」と感心させられる事ばかりであり、将棋トリオとしては、腹は立つけど尊敬せざるを得ないという複雑な心境だった。

 水素の積み込み作業が終わって「しきしま」が木星を出発するまで、残り一ヶ月弱。木星にいる間に行う作業を身につけようとしたら今この瞬間しかなく、彼らに残された時間はわずかである。


 さて、試行錯誤の結果、西山係長から直接情報を聞き出す事が困難と見た将棋トリオが、次善の策としていま最も熱心に取り組んでいるのが、関係者への聞き込みである。


 西山係長には、彼しか知らない独自の人脈がある。何か問題が起こると西山係長はどこかに電話をして、少しだけメールを打って、フラッと出かけて誰かと打ち合わせをして帰ってくる。

 するとどういう手品を使ったのか、いずれ大問題になるとしか思えない深刻なトラブルが、嘘のようにスルスルと未然に解決していくのである。

 西山係長はその後で、そのトラブルのおおまかな経過と、解決したという結果だけを淡々と報告書に書いて提出するだけなので、過去の報告書をいくら読んでも問題解決の一番のキーポイントが分からない。そして、将棋トリオがその辺りの詳細を聞こうとしても、なぜか容易に口を割らないし、あれこれ理由を付けて、その打ち合わせに同席すらさせてもらえないのである。

 香川君が「自分の立場を守るためにわざと教えないようにしている」という印象を持つのも無理はなかった。


 しかし、西山係長が誰と連絡を取っているのかさえ分かれば、トラブルが起こったらまずその人に相談すればいい。解決には至らないまでも、少なくとも何をしたらいいのかという手がかりはつかめる。解決法をただ覚える事が大事なのではなく、解決法にたどりつくためのルートを何系統も自分の中にストックしておく事が大事なのだ。


 かくして、西山係長が電話をかけていると、将棋トリオは全力で聞き耳を立てるようになった。そして電話が終わると、誰と話していたのかを三人でこっそり相談しあい、この人だと思われる人に後日直接連絡を取るのである。

 もちろん、全く見当違いの人物に問い合わせしてしまう事も多かったが、三人のこの地道な秘密の努力のかいあって、広大な西山人脈のおよそ半分近くはおぼろげながら解明されつつあった。

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