第3話 サザエ絶滅事件 (2)

 輸送船「しきしま」の食料供給は、船の運営スタッフである糧食部が全ての管理監督責任を負うが、「しきしま」側が直轄で管理しているのは食糧生産全体の二割程度で、残りの八割は専門の食糧生産ノウハウを持った一般の食品会社に委託している。

 「しきしま」はそれらの外注委託業者に船内の設備を有償でレンタルし、外注業者はそれを使って自由に食糧を生産して艦内で販売する。


 一社独占による価格の硬直化と、トラブル発生時の食材絶滅を防ぐために、「しきしま」艦内で委託を受ける食品会社は各分野に常に二社以上と艦内規定で定められている。

 現在、輸送船「しきしま」内で営業している食品会社は、穀物と野菜が「アグリしきしま」と「しきしまフードサービス」、水産物が「しきしま水産」と「敷島丸武」、畜産が「敷島畜産」と「アストロファーマーズ」である。

 これらの食品会社は、毎月の食糧生産計画と販売量、在庫量を糧食部に提出して認可を得る必要はあるものの、一部の禁止事項さえ破らなければ、基本的に自由な生産と販売が認められていた。


 今回、トラブルが起こった第十七水槽は、民間への委託水槽ではなく、輸送船「しきしま」が直轄管理していた水槽であった。

 そこで飯田部長はまず、「しきしま水産」と「敷島丸武」の管理する水槽でサザエが生産されていたかどうかを再確認させたのだが、やはり両社とも、サザエのような品は養殖の手間の割にあまり売れず採算が取れないとして船に積んではいなかった。


 つまり、「しきしま」の艦内でサザエは絶滅したのである。


 「しきしま」の乗組員達はこの時点で、木星に行って地球に帰ってくるまでの残り約三年、どんなに食べたくてもサザエを食べることは不可能になったのであった。


「山脇君。水温計の管理責任は工務だよな。だって我々に機械の不調は分からないわけだから」

「いえ、そこを工務だけが全部悪いと言い切るのはさすがに無理がありますよ部長。もちろん規定上は、機械の設置・管理責任は工務部にあるって事にはなっていますけど、日々の点検をして、異常を見つけたら工務に知らせて修理を依頼するのはうちの業務範囲ですからね。

 それにうちの部だって、夜十二時の巡回の時点で異常に気付けなかったわけですし。まぁそれも、その時点では別に魚が浮いていたりしていた訳ではないから、目視だけで水温上昇に気付くのは至難の業で、異常に気付けなかった担当者を責めるのは酷です」


 山脇課長の必死のフォローにも関わらず、何とかして工務部に全責任をかぶせようとする飯田部長の確固たる意志は揺るがない。

「そりゃ我々だって、日々の点検は責任を持ってしっかりやるさ。

 でも、俺達はしょせん機械は素人なんだぞ。そこは機械のプロである工務部が、外からでは見えない機械の異常も検査でしっかり発見して、問題が顕在化する前に処置するのが工務のあるべき姿じゃないのか?」


 そんな言いがかりみたいな理屈を真顔で工務に言ったら、次から絶対に相手してもらえなくなるわ。アホか、と山脇課長は頭の中で毒づいた。でもそれを態度に出すわけにはいかない。


「いや、理想を言えばそうかもしれませんが、検査で異常を発見するのだって限界があるんですよ。百%完璧じゃない。

 だからこそ、我々の日々の点検がセットになっていて、工務の検査と我々の日常点検、その両方があって初めて機械の保守ってのは成立するんです。

 それに、今回は工務だってちゃんと故障の責任は認めてるんです。事故報告書も連名で出すって言ってるんだから、それでいいじゃないですか」


 飯田部長は全然納得していない。そこで山脇課長は説明の方向を変えてみた。

「そもそも、今回の異常はとても特殊で不運な偶然が重なって起きたものなんです。工務部の検査体制にも我々の日常管理にも問題はなくて、敢えて言うなら機器の設計に問題があったと言えますが、それだって、まさかこんな事が起こるなんて誰も予想できないレベルの偶然がなければ、何のトラブルにもならない程度のものなんです。

 もし、責任がどうこうとか文句を言ってくる人がいても、これだけ材料が揃っていれば十分反論できますよ。

 それに、今回のトラブルの後に、急遽全部の水槽の構造をくまなくチェックして、問題箇所は変更しました。だからもう二度と問題は起こりません。

 発生原因は不可抗力で、再発防止も完璧に済ませている。もうそれでこの件は十分じゃないですか」


 だが、そんな山脇課長の抗弁を、飯田部長は全く噛み合わない一言で切り捨てた。

「しかし損害は二千万円で絶滅もあった。誰も全く責任無しという事にはならないだろう」


「だから何度も言ってますが、これは不可抗力ですし、サザエは食糧管理区分Ⅲの嗜好品であって絶滅は責任に問われませんよ」

「いや、そうは言っても報告書には絶滅と書かなければならないし、絶滅という事実は残る」


 山脇水産課長は、さっきから延々と終わらない飯田部長との水掛け論に、忍耐はもはや限界に近かった。

 飯田糧食部長は日頃から、ほんのわずかでも自らの責任を問われるようなトラブルに対しては病的なまでに嫌がるタイプだった。

 まして今回のように、報告書だけを読むと「損害額二千万円、サザエ絶滅」と明確な失敗に見えてしまうようなケースでは、「不可抗力だったから責任は問われない」などというお気楽な説明で納得するはずがなかった。

 そこで、何か少しでも他部署の責任に転嫁できるような事は無いかと、飯田部長はこの二日間ずっと血眼になって探し回っているのだが、山脇課長にしてみるとその姿は「そんな醜い足の引っ張り合いをしている暇があったら仕事しろ」としか思えず、怒りと不満はどんどん蓄積していくのであった。


 糧食部長が責任の所在についてあれこれ不毛な画策を続けているその間にも、水産課の現場では黙々と今回のトラブルの事後処理が進んでいった。

 死滅した魚介類の量が計測され、正確な損害額が算出されて各部署に報告され、それによる魚介類の在庫減を補うための出荷調整と増産計画が組まれた。

 そしてその結果、およそ半年後には問題なく従来の在庫状態に戻すことができる目処が立った。これで、今回のトラブルによる「しきしま」全体への影響は、関係者の必死の努力により回避されたという事になる。

 ――唯一、絶滅してしまったサザエを除いては。


 それで山脇課長もようやく二週間ぶりに、罵倒されながら連日、夜遅くまで事後対応に追われていた苦しい日々からそろそろ解放されるかなと安心しかけていた。

 しかしその日、山脇課長は飯田部長に突然個室に呼び出された。


 山脇課長の会社員としての長年の勘が、嫌な予感で警報を鳴らしていた。頭皮の毛穴が全て引き締まるような感覚を覚えつつ、山脇課長は個室に向かった。


「山脇君、どうやら艦長の大好物らしいんだよ」

「は?何がですか」

「サザエ」

「はぁ、それで?」

「それで?じゃないよ。何とかするんだよ、サザエを」

「いや、でも、サザエはもう絶滅しています」

「本当にそうか?本当にやれる事を全部やりきった上でそう言うのか君は?それは管理職として仕事への意識が足りないんじゃないのか?」

「いえ、この件に関してそこまでの……」

「それじゃいかんのだよ。糧食部は『しきしま』の食料を管理する重要な部署なんだ。もっと責任感持ってやってもらわないと」


 個室での長い叱責を耐え抜き自分の席に戻った山脇課長は、椅子に座ると背もたれにドサッと背中を預けて、まず大きく不機嫌なため息を強く吐き出した。その後目を閉じて一分ほど微動だにせず、自分の精神状態を落ち着けると、パッと目を開き、何事も無かったように机のディスプレイに向き直った。


 そして机の電話の受話器を取り、航法部航法課の菅原課長に電話をかけた。


「あ。もしもし菅原課長でいらっしゃいますか?

 私、糧食部水産課の山脇と申します。お忙しいところ本当に恐縮なんですが、ちょっとつかぬ事をお伺いしたくてお電話した次第でして。あの、今の『しきしま』近辺を航行中の日本船籍の船を教えて頂けませんでしょうか。

 ――はい。ええ。お手数をお掛けしてホント申し訳ないです。ええ、一覧表の形で頂けると助かります」


 その日、糧食部水産課の課員四人が小会議室に集められた。電子ボードの前に山脇課長が立ち、状況を説明し指示事項を伝えていく。電子ボードに映し出された資料の一番上には「サザエ調達対策について」というタイトルが書かれていた。


「これが航法課に出してもらった『しきしま』近辺を航行中の日本船籍の輸送船リストだ。これからこの船に片っ端から連絡を取って、サザエを積んでないかどうかを確認する」

 四人の課員から失笑が漏れた。山脇課長もニヤリと笑った。


「あぁ。そうだよ。分かってるよな皆。

 まぁしゃーない。仕方ない。仕方ないんだよこれは」

 皮肉な笑みでそう言う山脇課長に、課員の一人が「大変ですね課長も」と笑いながら言った。


「いいか。くれぐれも言っておくがこの仕事は、サザエを見つけるのが目的じゃないからな。『サザエが存在する可能性を全て調査しました』という実績を作るための仕事だからな。

 だから、別にそこまで突っ込んで聞く必要はない。聞いたけどダメでした、という×印がリストに付けられればそれでいい。サザエ有無の確認リストを作る事だけが目的の仕事だから、無駄な手間は極力省くように。

 みんな連日ずっと働きづめで大変なところ、ホント申し訳ない」


 そして最後に、山脇課長は申し訳なさそうな笑顔で言った。

「だから今日は飲みに行くぞ。というか行かせてくれ、頼む。このままじゃもう俺は、Iさんを刺し殺してしまいそうだ」


会議室は明るい笑いに包まれた。

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