第5話 職人と弟子 (1)

 赤茶色した木星表面の巨大な縞模様が一面に広がる観測窓の傍に立ったテレビ局のリポーターが、じわりじわりと近づいてくる木星の姿を興奮気味に中継していた。そしてその瞬間まで十秒を切ると、リポーターは上気した声でカウントダウンを始めた。


「三、二、一、……ヒアー、カムズァ、ジュピター!」


 カウントゼロと同時に、リポーターが元気よく世界中の宇宙船でお決まりとなっている木星到着の掛け声をかけると、それを合図にたくさんの無火薬花火が次々と空中で炸裂した。照明を消した真っ暗なスタジアム内に閃光が煌き、ドドドンと威勢のいい轟音が響き渡ると、木星到着カウントダウンイベントに集まった観客たちの間でわっと歓声が湧き起こり、誰もが口々に「ヒアー、カムズザ、ジュピター!」と朗らかに掛け声をかけ、見知らぬ人であろうと構わず周囲の人達と一斉に元気にハイタッチをし始めた。

 木星往還の宇宙船にとって、旅の半分を終えた事を示す一大イベントである木星到着は、地球の年越しのカウントダウンにとてもよく似た形式で、どこか晴れ晴れとした雰囲気の中、盛大に祝われるのがいつしか世界の通例となっていた。


 そんな賑やかなイベントで木星到着を楽しむ一般人もいれば、艦橋オフィスで宇宙船の運航業務に携わりながら、しみじみとその瞬間を静かに迎える乗務員もいる。機関部機関二課の西山係長もその一人だった。


 木星よ、お前に会うのもこれで四回目だな。そしてこれで最後だ。


 観測窓の外いっぱいに広がる赤茶色の木星の姿を無言で眺めつつ、心の中で独りそう呟いた西山係長が着るシャツの胸元には、星型の真鍮色の「周回章」が三つ横に並んで鈍く輝いている。「しきしま」に乗って木星~地球航路を一往復した者に与えられるこの周回章は、最も分かりやすいベテランの証であり、これが一つでも胸元に輝いているだけで相手の対応が少し変わるのが常だ。


 まして周回章を三つも付けているという事は、つまり西山係長は「しきしま」が新造船として就航した西暦二一三九年から十四年間もの間、ずっとこの船に乗り続けているという事である。

 三つの周回章を付けた乗務員は、千人以上いるこの「しきしま」の乗務員の中でも数人しかいない。それだけにこの三つの星は、たとえ西山係長よりも役職が上の管理職であっても、この人には敬意を持って接しなければならないと思わせる無言のプレッシャーを与えるものであった。


 西山係長は、自身にとって四周目となる木星往還の旅の出発時点から、今回が最後の旅になると周囲にはっきりと宣言していた。

 一周目の旅の往路で生まれた彼の息子が、今年で中学一年生になる。地球に到着する頃には中学三年生になるので、高校は地球の学校に通わせたいという考えからの決断だった。


 もちろん「しきしま」の船内にも高校はあるし、遠隔通信教育システムを使う事で、宇宙船に居ながら地球の高校・大学と同じ授業を受けて卒業する事もできる。

 しかし、「しきしま」がいかに巨大とはいえ、船内人口はたかだか一万二千人である。高校の数が少なく私立高校は一校しかないため、地球で進学した方がはるかに学校選択の幅は広い。遠隔通信教育システムは友達を作るのに制約があるため人気が無く、ほとんど選択する人はいなかった。

 そのような事情から、子供の高校入学を機に船を降りたり、家族だけ船を降りて四年間の単身赴任を決意したりする乗組員は非常に多かった。

 子供の高校入学は「しきしま」の乗組員にとって、人生の選択を迫られる一つの大きな区切りの時期なのである。


 となると、問題は西山係長の後継者育成だが、彼の上司にあたる機関二課の川端課長にとって、これはきわめて深刻な問題であった。

 西山係長は、一周目の木星往復では四年間ずっと工務部に所属し、二周目の往路で運行管理部を二年経験した後、二周目の復路の途中で機関部に異動している。

 それ以降は八年間ずっと機関部に在籍していて、部内の異動で機関一課・機関二課・動力課の三つの課を何度か行き来している。


 機関部内の三つの課全てを経験した事があり、しかも機関部の業務に関連の深い工務部、運行管理部で勤務した経験まであるという幅広い貴重なキャリアを持つ人間は、この「しきしま」船内に西山係長以外誰もいない。

 まさに「余人を持って代え難い人物」であって、後継者育成と言われてもそうそう簡単にはいかないのであった。


 川端課長は、西山係長の完全な後任者を育成する事は早々に断念し、今まで西山係長がやっていた仕事を三つに分割し、若手と中堅の課員三人に引き継がせる事にした。

 業務としては、西山係長一人が全体を見わたして総合的に動いた方がずっとスムーズなのだが、彼のような幅広い経験と人脈を持たない後任者にそれを期待するのはあまりに酷であり、引継ぎ自体が破綻する可能性がある。

 それよりは三人に分けて引き継いで、多少効率が悪くとも、三人がお互いをフォローしあっていく方が安全で確実であろうという川端課長の苦肉の策であった。


 後任者として選ばれたのは、入社十一年目の角田主任、八年目の金本君、五年目の香川君の三人。若手中堅社員として周囲の期待も大きい精鋭たちで、今回の木星往復が終わって地球に帰った後も船を降りず、次の旅に参加する意志がある事はすでに確認している。

 たまたま三人の苗字が将棋の駒のようであったため、三人は機関部内で「将棋トリオ」というあだ名で呼ばれるようになった。


 船が地球から木星の間を巡航している間は、船の速度も針路も毎日変わらないので、将棋トリオたちも落ち着いて西山係長のやり方を勉強する事ができる。

 しかし問題は木星に到着・再出発する時と、地球に到着・再出発する時だ。この時期は仕事量が一気に増えて極限まで忙しくなる上に、四年間の旅の中でそれぞれ一回ずつしか機会が来ないため、今ここで仕事を覚えなければ、もう二度と同じ事を実地で西山係長から教わる事はできない。

 この一発勝負の限られた期間で、どれだけ西山係長の知識と経験を継承できるか。船が木星の軌道上を周回している今は、将棋トリオにとって最も重要な、まさに正念場とも言える時期であった。

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