第1話 たった一度の憂鬱 (5)

 日本船籍のステラ・バルカー級輸送船「しきしま」と、ロシア船籍のLHC級輸送船「アナスタシエフカ」は、軌道計算の結果、六四日と三時間二十四分十六秒後に進路が交錯することが判明した。そのため、どちらかの船がロケットを噴射して進路ないし速度を変更する必要がある。


 進路変更するといっても、変更する幅は実は角度にしたらせいぜい一度以内でしかなく、中の乗組員も誰一人気づかないレベルである。しかし、巨大な質量を持つ輸送船の進行方向を一度動かすというのは、それだけで莫大なロケットの推進剤を必要とするだけでなく、その後に予定している惑星スイングバイの日程変更など、以後の航海計画全体を大きく組み直さなければならない事を意味する。だからこそ、双方ともそう簡単に了解できるものではないのである。


 通常、このようなケースではより大型の船が小型の船に「軌道変更補償金」という名目で少々のお金を払う事で早々に決着させるのが通例である。

 輸送船「しきしま」でも、実は四年間の旅程の途中でそのような補償金を払う事態はもともと想定に入っていて、補償金の枠を予算上でちゃんと確保している。だから、補償金を支払ったからといって「しきしま」の最高責任者である艦長は、地球にいる会社の上層部に責められるものでもなく、コンプライアンス上の問題があるわけでもない。


 しかし今回は、鍋島艦長が補償金の支払いを妙に渋っているため、極めて異例な事ながらロシア船の艦長と「しきしま」の鍋島艦長の直接会談が設定される事となった。

 会談場所は両方の船のほぼ中間地点にあたる空間の座標が指定され、そこに小型舟艇で両艦の代表者が集合するという事で合意した。


 ロシア船との連絡は運行管理部の通信課が担当している。しかし通信課が自らの判断で勝手に連絡を取り合っているわけではない。

 通信課の担当者は単なる窓口役で、様々な船や地球の管制センターから受信する膨大な通知文書の中から雑多な事務連絡を取り除いて、重要な物だけを通信課長に報告する。

 通信課長はそれを運行管理部長に連絡して、運行管理部長と相談しながら回答の文面案を作成し、外国船の場合は英語に翻訳する。最後にその文面を運行管理部長の了解を得て相手船に返信するのである。


 二隻で合計一万人以上の人命を乗せた巨大な船と船が行き交う時、二つの船が交信し話し合いをするという、ただそれだけの事でさえ、間に何人もの人間が介在し、まだるっこしい幾つもの手続きが必要なのであった。


「課長。先方がボストチヌイ式のフランジでなきゃ受けられないと言ってきてますが。」


 通信課の小松崎君が、いまいましそうな顔で米田通信課長にそう報告した。宇宙船同士をドッキングさせる際に、そのドッキングさせる部分をフランジと呼ぶが、このフランジにはロシア発祥のボストチヌイ式と、アメリカ発祥のフロリダ式の二種類の規格がある。

 通常、どの船も両方のフランジを船内倉庫に保管していて、どちらかのフランジを必要に応じて宇宙船に付け替えているのだが、このロシア船は、自分達はボストチヌイ式のフランジしか持っていないので、「しきしま」側もボストチヌイ式のフランジを舟艇に装着した上で会談場所まで来て欲しいと言っているのである。

 小型舟艇ならまだしも、LHC級のような輸送船が両方のフランジを持っていないというのは到底ありえない話で、これは「しきしま」に対する、ロシア船の地味ながら露骨な嫌がらせといえた。


 米田課長は「正直、こんなのは別にどっちでもいいんだが、この件に関しては艦長がやたらご執心だから、一応念のため艦長に報告して指示を仰いでおこう」と言うと、阿部運管部長を通じて鍋島艦長のご意向を確認した。

 鍋島艦長からの指示は、「どっちでもいい。ただ、せいぜい無理してなんとか調整した風を装って少しでも恩を売っておけ」だった。


 その指示が阿部運管部長から米田課長に降りて来ると、米田課長から指示を受けた小松崎君は英文で回答文を作り、米田課長の添削を受けた後にロシア船向けに発信した。

 そのような鈍重なやり取りの末に、会談の時間と場所が最終確定するまでに約半日を要し、面談はその翌日となった。


 もちろん、こうしているその瞬間瞬間にもロシア船と輸送船「しきしま」の距離は秒速二○kmの超高速で着々と縮まっている。そして両船の距離が近づけば近づくほど、衝突を回避するために必要な軌道変更の角度は大きくなり、その変更に必要な推進剤の費用は加速度的に増加していく。花木航法部長の焦りも、より一層加速していくのであった。



 会談当日、小型の連絡艇に乗りこんだ鍋島艦長と「しきしま」一行は、待ち合わせの宙域で予定通りロシアの連絡艇とランデブーした。連絡艇のドッキングが完了し、ロシア船側で用意する段取りになっていた会談場所の応接室に通されると、そこは応接室というよりは大会議室といった風情の大きな部屋だった。

 楕円形に並べられた机には五人の幹部が並んで座り、その後ろに十人の兵士が自動小銃を肩から下げて壁沿いに並んで立っている。


 もともと「しきしま」側からは、今回の会談にはお互いに面談参加者三人と、面談には同席しない護衛十人だけを連れて来るようにしようと提案して、ロシア船側も了承していた。だから、参加者が五人になっているのはロシア船側の明確な約束違反であった。


「何だこれは・・・話が違う。今すぐ帰りましょう艦長。」

 部屋の外から覗き込んで中の人数を見るなり、経理部の細川部長がそう鍋島艦長にきっぱりと意見した。

 しかし鍋島艦長は「護衛の人数がちゃんと十人だよ細川君。思ってたより誠実じゃないか」と自分からひょいと進んで、袋の鼠となりかねない部屋の中にあっさりと入っていってしまった。

 そしてずかずかと部屋の中央に進むと、横並びに座っていた五人の幹部のうち、中央に座っていた最も年上と思われる人物にスッと手を出した。

「よろしく。『しきしま』艦長の鍋島です。お会いできて光栄です。」


 何の前置きもなく、いきなり鍋島艦長が一直線に部屋に入っていって相手幹部五人に笑顔で握手を求めたため、会談は唐突に口火を切る形となった。


 全員が立ったままの状態で一通り握手と挨拶が終わったところで、ロシア船の幹部五人は席に座ろうとしたが、鍋島艦長は椅子の前で直立したまま、笑顔で言った。

「それで、艦長はどちらで?」


ロシア船側のメンバーは瞬時にやや表情を堅くし、五人の中央にいる最も年上の男の方を一斉にチラリと見た。誰も答えないので、鍋島艦長は全く笑顔を崩さずもう一度言った。


「それで、艦長はどちらで?」


 中央の男が、ゆっくりと口を開いた。「私、ミロノヴィチが副長で、本日は私がお話をお伺いする。」

 すると鍋島艦長は間髪入れず、もう一度同じ言葉を繰り返した。「それで、艦長はどちらで?」


 じっとりとした沈黙が流れた。

 ロシア船側のメンバーは最初の握手の時に、自分の名前を名乗っただけで肩書きは名乗っていない。しかし鍋島艦長は、五人の服の肩章を見て瞬時に、この場に艦長がいない事を察知したのであった。


 この時ロシア船側が企んでいたのは、ここでさんざん難癖をつけて合意までに無駄な時間と体力を使わせ、それでお互いが母船に帰った後に、実は今回の合意事項は艦長不在のまま副長が勝手に決めた事だったから無効であるという言いがかりを付ける事だった。


 時間が経って両船の距離が近づき、進路変更の角度が増えるほど、それに必要な費用の額が増えて困るのは巨大な「しきしま」の方だけである。小さくて小回りの利く「アナスタシエフカ」は、多少進路変更をしても大して燃料代は変わらない。


 だからこそロシア船側は、どんな汚い手を使ってでも露骨に時間稼ぎをしようとする。このままズルズルと議論を引き伸ばし、「しきしま」が進路変更しようにも、費用が莫大になりすぎて身動きが取れないほど両船が接近してしまえば、後はいくらでも軌道変更補償金を釣り上げる事ができるのである。


 鍋島艦長は過去の自分の経験から、このような手合いがどんな手口で大型船をゆすって来るのかは十分過ぎるほど分かっていた。そして、このような場合にどのような態度で臨めば最適なのかも理解していた。

「友好的でありながら、なおかつ、こいつには絶対に何も通用しないと思わせる威圧的な態度」である。


 鍋島艦長は即座に畳み掛ける。

「艦長は母船ですか?それともこの連絡艇内にいますか?母船におられるのであれば、ドッキングしたこの状態のまま、一緒に母船まで行きましょう。

 本件は両船にとって極めて重要な懸案事項であることはもちろんであるため、艦長にご同席頂く事は必須です。また事態は一刻を争いますので、ご所用でここまでお越し頂けないというご事情がおありでしたら、こちらが貴方の母船にお伺いする事は全く問題ありません。」

 間に一息も入れずに早口で言い切ったのは、ロシア船側のメンバーに口を挟まれる前に先手を取ろうという意図だった。


 副長のミロノヴィチが硬い表情のまま棒読みで答えた。

「貴艦は日本を代表する輝かしいステラ・バルカー級輸送船であり、そのような栄えある艦の艦長にわざわざ我が母船にお越し頂くのは礼・・・」

「艦長は母船ですか?それともこの連絡艇内にいますか?」

「本日は不測の事態がありまして、後日こちらから・・・」

「艦長は母船ですか?それともこの連絡艇内にいますか?」


 そしてもう一度、無表情のまま鍋島艦長は繰り返した。

「艦長は母船ですか?それともこの連絡艇内にいますか?」


 副長のミロノヴィチは鍋島艦長をキッと睨みつけたまましばらく押し黙っていたが、振り返って壁際に立っていた護衛の一人を呼びつけると、ロシア語で何か耳打ちした。そして


「今から艦長のコロレンコをお呼びする。さぁ、お掛けください。」

 そう不機嫌そうにつぶやくと、自分はどっかと椅子に腰を下ろした。他の四人もそれに倣って座った。「しきしま」側の面談者三人もそれを聞いてようやく椅子に座った。


 それからしばらく、ロシア側の五人も「しきしま」側の三人も、双方の護衛の兵士達も一言も発しない異様なまでに無音の時間が続いた後、部屋の奥の扉が開いて小太りの初老の男が入ってきた。

「『アナスタシエフカ』艦長のコロレンコです。本日はお時間を頂きありがとうございます。」


 艦長のコロレンコは、鍋島艦長、阿部運行管理部長、細川経理部長の三人と順に握手すると席に着いた。そして開口一番、こう鍋島艦長に問いかけた。

「鍋島さん、あなた『しきしま』に乗る前はどのような船に?」


 鍋島艦長はそれを聞くと表情を崩し、「国連宇宙保安庁の巡視船に八年乗っていました」と答えるとニコニコと笑った。

「東アジア第十七管区の『うらが』です。ウラジオストックの『メンジンスキー』とはよく共同で取締りに行きましたよ」


 するとコロレンコ艦長も、何やら納得した様子であぁと深くうなずくと一転して笑顔になった。そして「なるほど、巡視船でしたか」とだけつぶやくと、やんちゃ坊主のような目で鍋島艦長をのぞきこんだ。鍋島艦長も笑顔で「そうです」とだけ答えた。


 そのまま、双方笑顔ながら互いに一言も発しないという、奇妙な時間が三十秒ほど続いた。すると鍋島艦長が唐突に

「・・・で、どうします?」

と口火を切った。

「お互いに護衛は十人ずつという取り決めでしたが、確か面談に護衛は同席させないんですよね。これだけ人が多いと、ちょっとね。」


 コロレンコ艦長は「あぁ、取り決めはそうでしたな。ですが鍋島さん、ここはどうですか。いっその事、あなたと私、艦長同士二人で別室で話し合いませんか?」と提案した。


 鍋島艦長は一瞬意外そうな顔をしたが、コロレンコ艦長の両脇に並んだミロノヴィチ副長以下五名の幹部が、いまいましげな表情を全く隠そうともせずにコロレンコ艦長の横顔をずっと睨んでいるのを見て、あぁ彼も色々大変なんだなと悟り、その提案に同意した。

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