第4話 艦長決裁・部長決裁 (2)

「構えて!」


 工務部の内藤部長の張りのある太い声が、百五十人収容の大会議室に鋭く響いた。すると、会議室を埋め尽くした白い作業着の男達が一斉に右手を前に突き出し左手を腰に当てたポーズを取り、スクリーンに大きく映し出された安全標語を指差す。


「地球に帰るその日まで 基本を徹底・安全作業 ヨシッ!」


 内藤部長が大きな声で安全標語を読み上げると、百五十人が後に続いて一斉にそれを唱和する。


「地球に帰るその日まで 基本を徹底・安全作業 ヨシッ!」


 ほとんどが男性で占められた百五十人が発するかけ声は、重低音のうねりとなって大会議室の壁を突き抜け、会場の外までどよめいた。


 この日は、木星到着を四ヵ月後に控えた輸送船「しきしま」が、到着に向けた準備作業を開始する日であり、その冒頭の行事として恒例の「安全決起集会」が開催された。

 決起集会では最初に鍋島艦長が訓辞を述べた後、各部署が五分ずつ自部署での安全の取り組みを紹介する。その後、若手のリーダー層の中から選ばれた代表者が艦長の前で「安全の誓い」を読み上げ、最後は工務部長の先導で、全員で安全標語を指差呼称で唱和して終了となる。


 輸送船「しきしま」の四年間の旅で、乗務員たちが最も忙しくなるのが、地球を出発してからの四ヶ月間と木星到着前の四ヶ月間である。

 この合計八ヶ月の期間中に行われる最大の作業は、太陽帆を広げる/畳む作業である。しかし、単に帆を広げるといっても、その帆の面積はアメリカ合衆国の国土に匹敵する。それはもはや作業というよりは、一大土木工事と言ってよい規模のものだった。


 その他にも、乗務員がこなさなければいけない作業は山ほどある。

 地球を出発する時には、加速のためにロケットで水素を噴射する作業があり、木星に到着した時は減速と木星の周回軌道への突入のためにロケットを逆噴射する作業がある。

 木星の周回軌道に乗ったら水素採取のためのプローブを木星に投下する作業があり、地球に着いたら今度は運んできた重水素を貯蔵タンクに移送する作業がある。さらに地球では、次の木星往復のために膨大な物資を積み込む作業もある。


 このように、地球と木星に到着する前後の期間は、「しきしま」の乗務員達にとって最も慌しく、しかも一つのミスや些細な事故が艦全体の挙動に大きな影響を及ぼしてしまう重要な期間である。

 この難しい期間をゼロ災害で終えるために、「しきしま」では毎回この時期、このような安全決起集会を開催して作業者達の安全意識を高めているのだった。


 決起集会を終えると、工務部工務一課A組のメンバー十八人は、そのまま休む間もなく作業用の小型宇宙艇の乗り場に直行した。

 工務部は工務一、二、三課と動力課の全四つの課で構成されている。工務一課が担当するのは太陽帆の維持管理で、この時期の「しきしま」艦内で最も忙しい部署の一つである。


 彼ら工務一課A組のメンバーはこれから、宇宙艇で太陽帆展開装置まで移動し、三日間の当直勤務に入る。木星到着を前に、太陽帆展開装置は帆を展開した時と逆の動作で帆を巻き取る作業を行うのだが、彼らはその装置の挙動を二十四時間体制で監視するのである。


 太陽帆展開装置には簡易宿泊施設が設置されていて、当直勤務の十八人は六人ずつの三組に分かれ、交代で睡眠と休憩を取りながらモニター上に映し出される装置の稼働状況に異常が無いかどうかをチェックし続ける。

 太陽帆展開装置の信頼性はきわめて高いのだが、それでも幅三十五kmにもおよぶ巨大な装置なだけに多少の不具合はつきものである。当直の工務一課員は、トラブルが発生すると直ちにその現場に急行して対処するのだ。


 装置に備え付けられた簡易宿泊施設には、生活に必要な設備が一通り揃えられている。ただコストとスペースの関係上、人工重力発生装置は設置されていないため、当直の間はずっと無重力状態で暮らさなければならない。

 無重力状態で暮らすことによる筋力低下と、それによる健康被害を防ぐため、無重力状態での勤務は連続最長三日間、月に十二日間までと労働基準法で明確に定められていて、さらに勤務すると通常の給与に加えて所定の無重力手当が支給された。

 この無重力手当は、無重力状態での船外補修業務の多い工務部員達にとっては、ちょっと嬉しい貴重な収入源であった。


 工務一課A組のメンバーを乗せて「しきしま」の居住ブロックを出発した宇宙艇は一気に加速し、ものの一時間ほどで千七百五十km先の傘の小骨の先端に止まっている太陽帆展開装置に到着した。

 今までも小規模補修のために何回かこの装置を使う事はあったが、四ヶ月間にもわたり、交代で何日もこの中で寝泊りするのは、地球を出発した直後に太陽帆の展開作業を行った約二年前以来である。


 A組のメンバーたちは口々に「なつかしいなぁ」「また来たな」などと雑談しつつ、まずは簡易宿泊施設に自分の荷物を運び込む作業に取り掛かった。

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