第4話 艦長決裁・部長決裁 (3)
運行管理部、略して運管部も、木星到着前に非常に忙しくなる部署のひとつである。
運行管理部は、航法部や機関部などの部署から寄せられる「しきしま」の進路・速度・推力といった情報を集約し、全体の運行計画を管理する部署である。
木星到着前のこの時期は、太陽帆が畳まれて毎日少しずつ面積が減っていくので、「しきしま」の加速もわずかながら徐々に鈍っていく。運管部では、その加速の鈍り具合を毎日チェックして計算に入れた上で、水素噴射エンジンを進行方向と正反対の方向に逆噴射させて、木星到着までに所定の速度まで艦を減速させる計画を立てていくのである。
「太陽帆収納の予定遅れは本当に三日で済むの?」
運行管理部の阿部部長が、工務一課の安田課長に尋ねた。
「帆の弛みが酷かった部分の作業は終わりましたので、これ以上遅れる可能性は低いとは思いますが、断言はできません。」
「なるほどね。了解。それじゃ太陽帆はスケジュール三日遅れのまま変更無しで行こう。次の逆噴射は四日後の九時から、八分二十二秒間。それで大丈夫だよね、花木?」
航法部の花木部長は、大丈夫、とうなずいた後で阿部部長に聞き返した。
「うちが算出した軌道と速度にもう変更は無いけど、メインロケット逆噴射の艦長決裁申請書はもう出したのか?」
「太陽帆の収納遅れで少し予定よりも艦速が速まるかもしれないから、決裁申請書は明日の午後まで提出を待ってもらうつもり。
まあ、もうロケット出力のところだけ空欄にして後は全部書いてあるし、事前に艦長に話は通していて、提出がギリギリになる事は了解してもらっているから大丈夫。」
輸送船「しきしま」には四基のメインロケットと八基のサブロケットがある。この計十二基のロケットを一斉に噴射するのは四年間の全行程の中でも、地球と木星を出発する際の加速時と、到着前の減速時だけしかない。
木星に到着する際には、一回あたり五~十分間程度のロケット逆噴射を、四ヶ月間で計六回繰り返す。逆噴射する度に「しきしま」の速度は減少し、最後は木星の周回軌道に乗る事ができる速度まで徐々に減速していく。
十二基のロケットの一斉噴射は一回たった五~十分間程度だが、それでもその、たった五~十分間の噴射には一回あたり実に約二百五十億円もの費用が必要となる。そのため、そうそう簡単には実施できないようになっている。
「輸送船しきしま艦内業務規定」によると、運行管理部長が自らの権限で決定できるロケットの噴射は一回五億円までである。しかも、四基のメインロケットと八基のサブロケットは使用できず、姿勢制御用に艦体のいたる所に設置された小型補助ロケットしか使うことができない。
これら十二基のメイン/サブロケットを噴射させるためには、運行管理部長、航法部長、機関部長の三人が承認印を押した「艦長決裁申請書」を艦長に提出し、申請書に艦長の承認印を得なければならないのだ。
たかがロケットを一回噴射させるというだけの、せいぜい十分間にも満たない出来事のために、一ヶ月くらい前から、運行管理部、航法部、機関部の部署が何度も会議を重ねて調整して計画を作り、所定の申請書類にたくさんの添付資料を付けて提出しなければならない。それがこの「ステラ・バルカー級」という巨大すぎる宇宙船なのであった。
「それよりも、前回の第一回逆噴射では第四メインロケットの出力が想定を下回っていたけれど、今回は本当に大丈夫なのか?」
花木部長が鋭い口調で機関部機関一課の長谷川課長に質問した。
「前回、第四が想定出力の九九・九九%までしか出せなかった理由は、こちらでも色々調査してみたのですが、まだ完全には解明されておりません。おそらく、水素圧縮タービンの経年劣化である可能性が一番高いと思われますので、先月にオーバーホールして、磨耗したブレードを交換しました。おそらくこれで……解決したとは思いますが断言はできません。」
「おそらくじゃ困るんだよ。前回はそれで軌道も姿勢もめちゃくちゃになって、こっちは軌道の再計算にさんざん苦労したんだ。」
長谷川課長を攻撃する姿勢がありありと見える花木部長の態度に、会議の参加メンバー全員に緊張が走った。
阿部運管部長があわてて会話に割って入って仲裁した。この場で花木部長を制止できるのは、同じ部長職で同期でもある阿部部長以外に誰もいない。
「まぁ、それは仕方ないよ花木。ロケットは生き物だ。
あの時は機関部だって全力を尽くして補助ロケットで姿勢を立て直してくれたし、ほんの〇・〇一%の出力の誤差で大きく進路がずれちゃう微妙な世界なんだから。
そりゃ完全にトラブルの理由が突き止められない事だってあるよ。機関部を責めても仕方ない。」
それでも不機嫌そうな顔の花木部長を強引に黙らせるように、阿部部長はなんとなく議論をまとめた。
「まぁ航法も大変だと思うけど、運管も全力でバックアップするからそこは協力してこうや。」
業務の性質上、航法部と機関部は利害が対立する事が多く、あまり仲が良くないのが常だった。そして、そのようなギクシャクした部署同士がケンカにならないようにするのも、運行管理部の隠れた重要な仕事の一つである。
「それじゃ整理しよう。太陽帆の収納は三日遅れのまま変更なし、ただ、万が一に備えて、念のため噴射の艦長決裁申請書は明日の午後まで様子を見て提出する。
逆噴射は四日後の十一日九時ちょうどから八分二十二秒間。これも変更なし。居住区への噴射警報は、運管から総務部に依頼しておくわ。
ただ、口頭での連絡だと間違いもあるので、正式には艦長決裁申請書の写しを関係者に送ります。ここでの連絡内容とは別に、念のため各部署それを必ず確認しといてな。あと何かある?」
こうして第二回目の一斉ロケット逆噴射の日程が決まった。
ここに至るまでに実施された打ち合わせは、担当者ベースで二十二回、運管部・航法部・機関部の各部長が集合しての全体会議が五回だった。
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