第6話 地に縛られしもの (4)

「『しきしま』の本郷さーん?聞こえますかぁ?」

「はい、こちら本郷です。こちらが、事故死した作業員の霊が出ると言われている空き家の前でございます。

 現在、時刻は夜の十一時。この辺りは何やら空気が不自然に湿って生暖かく、悪霊の霊魂が周囲に漂っているような気配を感じます」

「本郷さん、気をつけてくださいね」


 「しきしま」の艦内は空調で毎日一定の温度と湿度に保たれているので、空気うんぬんの話は本郷の気のせいである。


「この一角、宇宙船の居住区としては大変珍しく、空き家が非常に多いんですね。そのためこの時間帯になると人通りも全く無くなり、ご覧のように非常に静かです」

 地球スタジオにいる二階堂ヘンリー翠雲が、両こめかみの辺りに両手を当て、奇妙な片言の日本語で語気鋭く言った。

「来テマス。非常ニ強イ霊気、カンジマス。危険デスネ」

「分かりますか二階堂先生?」

「ハイ。私ノ五感ハ今、ヨリシロヲ通ジテ『シキシマ』ノ中ニイマス」

「依り代というのはこれですね二階堂先生」


 艦内から中継をしている本郷は、その胸元に大事そうに抱えている白木の位牌をカメラの方に向けた。二階堂ヘンリー翠雲はこの位牌を「依り代」として、ここに自らの五感を飛ばして憑依させているのだという。

 これにより、地球から一億数千万km離れた場所にある「しきしま」の中の様子や、周囲に充満する地縛霊の霊気も、実際にその場にいるかのように感じられるという事らしい。


「二階堂先生、今周囲に漂っているのはどのような霊気ですか?」

「コウゲキテキ。我々二来ルナ言ッテマス」

 そこで、スタジオの女性アナウンサーが本郷に呼びかけた。

「本郷さーん。そちらに何か変わった様子はありませんか?」


 と、そこで本郷の顔がみるみる緊迫していく。

「……あれ?艦内の空調は常に管理されていて、基本的にいつも無風のはずなのですが……今、何やら生暖かい風を感じました。これは何でしょうか。わたくし今、間違いなく生暖かい謎の風が、空き家となっている家の方から吹いてきたのを感じました」


 二階堂の隣に立って、終始彼の話にウンウンと相槌を打っていた女性アナウンサーが、不安そうに本郷に呼びかけた。

「それ以上近づかないようにしてくださいね本郷さん。大変危険だと二階堂先生が言っておられます」


 その警告を言い終わるか終わらないかというタイミングで、本郷が突如「うわぁ!」と大声を上げて走り出した。

 走り出したはずみで、撮影していたカメラマンと本郷が接触し、画面が激しく揺れて宇宙船の天井を一瞬映し出す。

 すぐにカメラマンも走ってその場から逃げ出しはじめ、その間も回り続けているカメラの映像は、真っ黒な空やら白い街灯の光やら、もはや一体何が映っているのか分からないほど、目まぐるしく揺れ動いた。

「大丈夫ですか?本郷さん。何が起こりましたか本郷さん。答えてください。大丈夫ですか?」


 するとスタジオの二階堂ヘンリー翠雲が突然大きな数珠を手に合掌し、混乱を断ち切るかのように「喝ァツ!」と芯のある低い声で叫んだ。そして、さっきまでの片言の日本語が嘘のように流暢に

「無限の宇宙空間をさまよう邪悪なる魂よ、人に害なす事を止めて、本来あるべき所に帰るがよいッ!」

と一気に言い放った。そのまま意味不明な呪文を唱え始める。

 スタジオは急に暗転し、スポットライトが二階堂ヘンリー翠雲の姿だけを照らし出した。


 唐突に態度が豹変して、目を伏せたままウロウロと歩き回りながら一心不乱に謎の呪文を唱える二階堂ヘンリー翠雲の姿を、スタジオ中の誰もが不安そうに眺めていた。真剣な表情で除霊を見つめるゲストのアイドル歌手の顔を、スタジオのカメラがワイプで映し出していく。


「ああ……信じられません……いま、今ですが、確かに居ました。間違いなく私には見えました。地縛霊です……。先ほど一瞬、全身の毛穴から得体の知れない何かが流れ込んでくるような感覚がしまして……それで反射的に逃げ出しまして……危なかった……」


 何十メートルか全力疾走で逃げた後で、ようやく本郷とカメラマンは立ち止まった。本郷は肩で息をしながら地面にへたりこみ、そのまま虚ろな目で息も絶え絶えにレポートする。


「本郷さん、その地縛霊はどのような姿をしていましたか?」

「背中に、鉄の棒のようなものが……二、三本……うつむいたような姿勢で、あの家の中に……」


 そうやって本郷と女性アナウンサーのやり取りが続いている間にも、二階堂ヘンリー翠雲は休むことなく、同じ場所をぐるぐると何周も歩き回りながら、何を言っているのかうまく聞き取れない謎の呪文を大声で唱え続けている。額には汗が幾筋も流れ、スポットライトの光を反射してキラキラと光っていた。


「今はその位置から地縛霊は見えますか?」

「分かりません。我々は得体の知れない危険を感じまして、とっさに先ほどの場所から五十メートルほど走って逃げてきました。

 地縛霊のいる空き家はまだあちらの遠くの方に小さく見えますが、この場所から、あの家の中に地縛霊がまだいるかどうかは全く見ることができません」


 徐々に落ち着きを取り戻してきた本郷が、状況の説明を一通り済ませて一段落ついたまさにそのタイミングで、二階堂ヘンリー翠雲は除霊の仕上げに取り掛かった。

 それまで同じ場所をぐるぐると歩き回っていたのが、カメラの真正面に向き直ると肩幅に足を開いて立った。そのまま、大きな数珠をたぐりながら素早く指と腕で何種類かの印を組んでいく。

 そして最後に「喝!喝!喝ァツ!」と大音声で叫ぶと、静かに合掌してそのまましばらく微動だにしなかった。


 暗転したスタジオの中央、合掌したまま直立不動の二階堂ヘンリー翠雲の姿だけがスポットライトに照らされている。スタジオの観客達はその異様な雰囲気に誰一人として音を立てられないまま、無音の状態が十秒ほど続いた。


 と、そこで二階堂ヘンリー翠雲は「ふう」と軽くため息をつくと、険しかった眉間の皺を開き、穏やかな表情に戻った。

 そのままおごそかに合掌を解き、「オワリマシタ」とたどたどしい日本語発音で告げた。スタジオの暗転が解かれ明るくなる。


 司会の女性アナウンサーが、「しきしま」艦内にいる本郷に呼びかけた。

「本郷さーん。そちらの様子はいかがですか?」


 本郷は真剣な表情で答えた。

「はい。二階堂先生が『喝』と三回唱えた瞬間、強い風が空き家から吹き出して来るのを私は確かに感じました。

 そして今、先ほどまでずっと感じていた生暖かい湿った空気が、心なしか弱まったような気がします。」

スタジオの二階堂ヘンリー翠雲が答えた。


「アクリョウハ、ウチュウニカエリマシタ。モウダイジョブデス」

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