第6話 地に縛られしもの (2)

 目の前に座った茶髪の男の突然の申し入れを前に、晃天寺の片山住職はまず絶句し、そして「言うだけタダ」という考え方は人間を実に醜くするものだなぁ、などという事をとりとめもなく考えていた。


 あまりのバカバカしさと失礼さに、怒りやら軽蔑やら諸々の感情が脳内にワッと一瞬で渦巻き、片山住職は思考の整理にしばらく時間がかかった。

 最終的に住職は、よし、この腹立たしい話は今週末の檀家向けの法話のネタとして使わせてもらおうじゃないか、という方向にこの出来事を転化させ、それによってようやくこの失礼な茶髪の男に対する怒りを前向きな気持ちに変換することができた。


「こちらのお寺さんにとってもいい宣伝になるし、決して悪い話じゃないとは思うんですがねぇ」

 本郷と名乗ったその茶髪の男は、自分は素敵な提案をしているのに、なぜこんな怪訝な顔で対応されなければいけないのか、さっぱり分からないといった様子で、しれっとそう言い放った。

 本心からこの男はそう思っているのか。あるいはわざとそう思い込むことで、議論の際の押しの強さを出そうという交渉術なのか。


 片山住職は、敢えて本郷の言葉に素直に回答するのを避けて、少し話題を変えることにした。

「ちなみに本郷さん、他のお寺さんは行かれました?」

「久遠寺さんには行きましたね」

「いかがでした?反応は同じでしょう?」

「いや、久遠寺さんは少し考えさせてくれという話だったので、それでこちらにもお伺いする事にしたんです。何しろ悪霊は一刻も早く退治しないと、この船の安全にも関わりますからね」


 そんなわけあるかよ、と片山住職は思った。「しきしま」の宗教法人連絡会を通じて、実は艦内の全ての寺・神社・教会の責任者達はお互いに頻繁に連絡を取り合っているのを、この男はきっと知らないのだろう。

 男が帰ったら、まず久遠寺の坪井住職に電話して実際の話を聞いてみて、その後は他の宗教施設の方々にもこの情報を共有して、この男を一斉に締め出さないといけないな、と片山住職は考えていた。


「本郷さん、あなたね。我々住職はこの『しきしま』の中にたった四つしかない寺を、それぞれ預かっているんです。『しきしま』の中で暮らす人達がもし仏におすがりしたいと思ったら、我々の所以外には行く先がないという、とても責任の重い立場なんです。

 これは敷島神社さんも教会さんたちも、宗教は違えど、みな思いは一緒ですよ。それを、テレビの除霊特番なんてものに我々が加担してしまったら、真剣に仏様にお会いしに来られた方々を失望させる事になりますのでね。申し訳ないけど、絶対にお断りさせて頂きます」


 本郷は、片山住職のきっぱりとした拒絶に遭っても全く意に介した様子はなく、この程度の拒否反応など想定内の出来事で、こっちはもう慣れっこだと言わんばかりにヘラヘラと薄笑いを続けていた。


「そっすか。除霊特番で話題になれば、より一層多くの方が仏教の凄さを知る事ができるし、今まで仏教なんかに全然興味の無かった人も新しく興味を持つきっかけになるんじゃないかなぁと思ってたんですがね。

 いやぁ、お分かり頂けなくて実に残念ですわ」


 本郷が帰るとすぐ片山住職は電話を取り、久遠寺の坪井住職に電話をかけた。すると、やはり坪井住職もこの男の失礼な申し入れに憤慨していたとの事で、「少し考えさせてくれ」と回答を保留するどころか、即座に怒鳴りつけて追い出したという。

 これであの本郷という男の素性は分かった。片山住職はすぐに情報端末を取り出すと、しきしま宗教法人連絡会のコミュニティにアクセスし、今日起こった出来事と注意喚起を詳しく書いてメンバーに一斉送信した。


 ステラ・バルカー級の宇宙船の船内にどのような宗教施設が存在するかは、その国のお国柄が非常によく現れる。日本の宇宙船「しきしま」の場合、艦内には四つの寺、一つの神社、二つの教会があって、結婚式、葬式、初詣など、様々な人生の行事の舞台として艦内で暮らす人々に親しまれている。


 これがアメリカやEUの船だと大部分がカトリックかプロテスタントの教会になるし、イスラム教徒の多いインドやロシアの船だと、日本の船にはないモスクが設置されている。そこではちゃんと宇宙空間から地球のメッカの方向を算出して、メッカに向けて日々礼拝を行っている。

 中国の船の場合、船が公式に設置する宗教施設はない。しかし住人達がお金を出し合ったり、資産家が自らの道楽でお金を出したりして、居住区画を勝手に改造しては孔子廟や道観、寺やパゴタなど、様々な私設の宗教施設を作っている。派手派手しく装飾された、雑多な宗教施設がひしめく独特の居住区の町並みは、中国の宇宙船ならではの光景としてつとに有名だ。


 ただ、お寺が設置されていても、「しきしま」艦内で葬式が行われる機会は実はあまり多くはない。

 というのも、乗員数が際限なく増えすぎる事は艦のコスト負担増につながるので、世帯主が無職だと「しきしま」が地球に到着した際に定住資格が剥奪され、強制的に船から下ろされてしまうためである。

 必然的に、七十歳以上の人は、定年のない自営業であるか、子供が世帯主となって子供の家で一緒に住むようなケースでもない限り船を降りてしまう。その結果「しきしま」に暮らす高齢者の数は非常に少なく、自然と葬式の機会も非常に少なくなるのである。


 なお余談だが、「しきしま」艦内で人が亡くなった場合、寺や教会で葬式は挙げるものの、遺体は地球に到着するまで冷凍保存され、絶対に艦内での火葬はしない。

 艦内は一つの巨大な閉鎖環境である。艦内の大気も水も、全て回収・再生装置で浄化されながら終わりなく循環を続けていて、総量が増える事も減る事もない。

 当然、火葬された人体も二酸化炭素や窒素に分解されて艦内を循環し続ける。もしそれが光合成により栽培中の野菜や飼料作物に取り込まれれば、我々は死体由来の二酸化炭素や窒素を食物として食べる事になる。そんな事は地球上ではごく当たり前に発生している自然の摂理なのであるが、宇宙船内という狭い循環系の中でそれが起こる事を生理的に嫌悪する人の数が少なくなかったため、火葬は地球に着いてから行うというルールが一般化したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る