第1話 たった一度の憂鬱 (2)

 会議後、無言でスタスタと早歩きで帰ろうとする花木航法部長に、阿部運行管理部長が声をかけた。


「大変だったな。」

「・・・まぁね。」


 阿部部長は花木部長と同期入社で、あまり人付き合いが幅広いとはいえない花木部長が心を許して雑談できる数少ない人物の一人である。

「まぁ、花木の言う事の方が正しいよ。普通に考えたら。」


 阿部部長の一言で心のストッパーが外れたのか、花木部長は堰を切ったように一気にまくしたてた。


「そりゃそうだよ。だって図体のでかいこっちが進路変更しようと思ったら、そのために噴射するロケットの燃料だけで角度〇・五度あたり千四百万円かかるんだぞ?

しかも今だから千四百万円で済むけど、お互いが近づけば近づくほど進路変更の角度も大きくなるから、明日になれば二百万、明後日まで引っ張っちゃったらさらに二百万追加だ。

 もしこれで強気で交渉して、最終的に本当にこっちが進路変える羽目になったら、どうするつもりなんだ艦長。」


 あぁ、花木の変なスイッチ入れちゃったなと、阿部部長はこの話を振った事を少し後悔した。

「でもまぁ、あれだけのメンバーが揃った会議の場ではっきり言い切ったんだから、艦長も責任は取るでしょ、さすがに。」

「責任は取るだろうよ、どうせ予算は艦長が決めてるんだし。それに、たかだか千四百万円ぽっちの話でしょ。予算に占める割合で言ったら〇・一%にも満たない話なんだから、我々にとっては大きな違いでも艦長にとっては誤差みたいなもんだしね。

僕が腹立ってるのは、誰が責任を取るかといった事じゃなくて、彼の判断の非常識さなんだよ。」


 阿部部長は素早く周囲を見回した。大丈夫、近くには誰もいない。

 頼むから花木、もう少し声の音量落としてくれないかな、と阿部部長は気が気でなかった。

「相手のロシア船はLHC級なんだろ?そんな小さな船だったら、進路変更なんてせいぜい一回数十万円で済むんだからさ。

それなら、どう考えてもその数十万円の燃料代を『軌道変更補償金』として今すぐ先方に支払って、とっとと解決しちゃったほうが、どう考えても賢いに決まってるって。」

「まぁまぁ。そりゃあの会議にいたメンバー全員そう思ってたよ。

・・・なんなんだろうなぁ鍋島さん。俺、あの人ってあんなに意固地な人だとは思ってなかったんだけどな。」


 阿部部長は早いところ花木部長の怒りをなだめて、この危険な会話を早々に切り上げたかったが、花木部長は一向に収まらない。


「そもそもこんな数十万円程度のちっぽけな話、いちいち艦長まで上げる程の事じゃないんだよ。艦長はもっとさ、こういう細かい話にいちいち口出すんじゃなくて艦全体を見ててもらわないと。」

「まぁ、今回は運が悪かったって。たまたま艦長に情報が上がっちゃって、なんか艦長に変に火が点いちゃったけど、次からは絶対に上には上げないようにするさ。こっちで内々に処理する。」

「そうしてくれ、頼むわ。でもうまくやんないと、一度注目が集まっちゃってるから、今度からは何で報告上げなかったんだって怒られるぜ。」

「大丈夫、大丈夫。だってそもそもこれ、ホント全然大騒ぎするほどの事じゃないんだから。」

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