輸送船「しきしま」【第11回小説現代長編新人賞 二次選考通過作品】

白蔵 盈太(Nirone)

第1話 たった一度の憂鬱 (1)

――宇宙が一握りの勇者達のための輝かしい冒険の世界であった時代は終わった。

いまや、宇宙輸送も経済性を追究する新たなる時代に入ったと言っていい。


西暦二一一二年一月二七日 アメリカ合衆国大統領

F・シモンズの一般教書演説より




「じゃあ花木よ、お前は相手の言われた通りに、軌道変更補償金を素直に支払うつもりなのか?」

そう低い声で言うと、鍋島艦長は航法部の花木部長を睨みつけた。


「い、いえ。別に素直に支払うつもりはありません。当然ちゃんと交渉をして、一般的に見て妥当な額まで金額を削った上の話です。」

 花木部長は精一杯の勇気を奮い立たせて答えたが、目は怯え、あきらかに鍋島艦長の迫力に気圧されている。


 花木部長の隣に座っていた運行管理部の阿部部長は、「ほとんどヤクザだな艦長」と心の中で苦笑した。うちの艦長、この船に乗っている人員の数と積み荷の金額を考えたら、そんじょそこらの一部上場企業の社長なんか目じゃないくらい偉い人のはずなんだが。これじゃ、ただの場末のチンピラと変わらないじゃねえか。


「で、交渉すれば『一般的に見て妥当な額』まで削れると思うのか?」

「・・・は、はい。思います。大丈夫です。」

「相手はロシア船だぞ?そう簡単にうまく行くか?」


 鍋島艦長は花木部長を小馬鹿にするような表情で、ふふんと鼻を鳴らした。

「ロシア船の野郎は、こういう件に関しては百戦錬磨だからな。うちみたいな図体のでかい船で、しかもお人好しの日本船籍ときたら、そりゃ絶好のカモだぜ。やつら、小銭稼ぎのつもりでわざとうちの進路の中に入ってきてるんだぜ。そんな奴ら相手に、なめられたりしねえだろうな?」


 そんな事は艦長に言われなくとも私も十分理解していて、なめられないよう毅然とした態度で交渉するつもりでした、と花木部長は言いたいのをぐっとこらえた。


 ロシア船からの恫喝という不愉快極まりない案件の話だというのに、鍋島艦長はなぜか愉快そうだ。

「あいつらに対して、今お前が説明したみたいに、金払う準備があるって姿勢を簡単に見せちゃうと、しめしめ食いついてきたと思って調子に乗ってくるからな。

あのな花木。こういう時は、最初は絶対に譲っちゃいかんぜ。『一般的に見て妥当な額』どころの騒ぎじゃなくなってくる。」


 それも知ってます、そんなの宇宙船乗りの間では常識です。簡潔に説明しようと思って便宜上細かい説明を省略したせいで、あなたは私が安易に譲歩しようとしていると勘違いされていますが、私はお金を払おうとする姿勢なんてまだ全く相手に見せてはいません。可能な限り相手をじらした末に、最後の切り札として少しだけ譲歩して決着させるするつもりでした、と花木部長は言いたかったが、これもぐっとこらえた。


「君ぁこういう経験した事ないから分からないかもしらんが、私は昔からこの手のロシア船はしょっちゅう相手にしてたから、扱い方はよく分かってんだ。大丈夫、私のやり方を見てなさい。」


 馬鹿にしないでください。私だってロシア船とのトラブルくらい何度も遭遇した事ありますよ。でもそんな時、私が今までお仕えした艦長はみんな、事を荒立てずに賢くお金で解決していました。

 そもそも、こんな些細な案件は部下に一任してさっさと片付けてしまうのが普通であって、わざわざ艦長自ら首を突っ込んであれこれ文句付けてくるような方は一人もいらっしゃいませんでしたよ、と言いたいのを、花木部長は下腹に力を込めてぐっとこらえた。


 なにしろ、輸送船「しきしま」の木星までの往復四年の長い旅はまだ始まったばかりなのだ。出発して半年、ようやく全行程の八分の一を消化した程度なのに、今から上司とケンカしていたら到底、この先残り三年半もやっていけるわけがない。

 すでに地球を出発して約二億km、火星軌道の外側まで来てしまっている以上、ここまで来てもう嫌だから自分だけ地球に帰るというわけにはいかない。泣いても笑ってもこの輸送船「しきしま」の中の人間達と、うまくやっていくしかないのだ。


「――で、本社法務部からの見解は来たのか?」

 鍋島艦長の突然の問いに、会議室の末席に座っていた運行管理部の芝田君が雷に打たれたようにビクッと背筋を伸ばして、「ハイッ!」と必要以上に元気な声で答えた。


「あ、あいつ油断してやがったな」とその場にいた全員が思い、ちょっとだけ場の空気が和んだ。芝田君の上司にあたる阿部部長は「やれやれ」と苦笑しながら緊張する若い部下を見た。


「法務部の武本課長に確認したのですが、やはり法務の見解としても、今回はまず間違いなく我々の方が進路の優先権を主張できるだろうとの事です。」

「・・・ま、当然だぁな。」


 鍋島艦長は満足げにうなずくと、自らの決意を力強く宣言した。

「ロシア船がいるのはウチの船の左舷方向なんだろ?スターボード艇優先なんてのは、海の船の時代からの常識だぜ。国際宇宙航空法を持ち出すまでもない。

しかもウチの予定航路は二ヶ月前から国際航空宇宙局に提出してて、そこに後から割り込んできたのはあちら側なんだ。

 花木君が言うように、そりゃお金で簡単に解決するのも一つの手だし、俺だって、毎回何が何でも絶対に金払うなと言ってるわけじゃねぇんだ。でも今回は勝てる。何だったら一円も払わずに決着できる可能性もある。だったらそれを目指すのが当然だろう。」


 そして一旦腹を決めると、テキパキと一同に向けて指示を出していった。

「よし、それじゃ運管部は今すぐロシア船に向けて、『本船には国際宇宙航空法に基づく進路優先権があり、貴艦からの進路変更要請には応じられない』という旨を法務の見解を付けてメールしといて。

 で、そのメールには、面談が必要であれば艦長がそちらにお伺いして話をお聞きしたい、という点と、進路変更が遅くなる事は双方にとって不利益なので明日の十時までに回答するように、って回答期限を加えといてくれ。」


 と、そこで思い出したように鍋島艦長は木下副長に指示した。

「あ、あと今回のロシア船。『アナスタシエフカ』だっけ?この船の詳細と艦長の略歴を本社から取り寄せといて。よろしく」

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