第2条第11項 限定動画

 14時30分。ツトムの業務が始まって1時間30分。

 髪をかわかしたキッカが向かったのは、衣装室だ。

「はい、ツトムくん、ピース」

「へ? あ、ピース……?」

 入るなり、スマートフォンを掲げるキッカに寄り添われて、緊張した表情。そのツトムを巻き込んだ自撮り画像を、キッカは手早くウェイカーへアップロードした。ルアへの業務報告も兼ねている。

 拳二つぶんの距離で並ぶ二人を見て、ルアが「近づきすぎ」などと毒づいていることは、二人には知るよしもない。


「今日ね、ふたりでのシーンを撮影する予定なんだ」

「ふたりって、もう一人の主演のひとと?」

 並ぶ衣装の中を進みながら、少女の言葉に少年が問いを返す。別の撮影も同時に進んでいるのだろう。さまざまな衣装がハンガーにかけられて並んでいる。

「そ。でも、どうしても外せない仕事が入っちゃってて、本番は夜になってから」

「えっ。じゃあ、それまで名々瀬さんは?」

「ヒマ」


 あっさり答えるキッカが、ひとつの衣装の前で立ち止まる。艶のある黒のワンピース。同じものが何着も用意されているから、きっとこれが主演である彼女の衣装なのだろう。

「だから、今日は雑誌のインタビューとか、短いコメント撮りとか……小さな仕事を入れてあるんだけど、それでも時間が埋まらなくて」

 ひょいと肩をすくめたかと思うと、手に持った衣装を自分の胸に当てて見せる。


「似合う?」

 問いかけ。シンプルな黒いワンピースドレスは、スレンダーな体にフィットするように作られているようだ。

「う、うん……名々瀬さんなら、何を着ても似合うんじゃない?」

 お世辞のつもりでもなかったのだけど、キッカは軽く肩をすくめるだけで返事を受け流した。


「あたしはね、百年以上を生きる吸血鬼」

「え、映画の話?」

「そう。時代はね、昭和。ほら、『となりのトトロ』とか『三丁目の夕日』のころ」

 ぴっと指をたてて、キッカはすらすらとあらすじを語って見せる。

「田舎の屋敷で暮らす女の子の元に、正体を隠したあたしが静養のためにやってくるの。ところが、その夜からおかしなことが起こり始める。まわりの家の若い娘が病気になったり、夜ごと暗闇の中に立つ女の姿が目撃されたり……」


「その犯人が、名々瀬さん?」

 ツトムの問いに、口角を釣り上げるキッカ。犬歯こそなかったが、ぞっとするような、獣を思わせる笑顔だ。

「でも、父親や侍従ぐらいしか話し相手のいなかった女の子にとって、あたしははじめてできた友達だった。しかも、彼女は10年前、ずっと幼かった頃にあたしと夢の中で出会ってるの。彼女はあたしが事件の原因じゃないかと疑ってる。でも、その一方でどうしようもなくあたしに惹かれて、毎日、あたしと話を交わして……」


「好きになってる?」

「体も触れ合う」

 不意に、鼻先が触れ合うほどに体を寄せて、キッカがささやく。

「そ、それって……」

 思わず身をそらすツトム。すぐに彼女は身を離し、手に持ったワンピースをラックに戻した。

「そっちが、その女の子……私の相手役の衣装」

 ツトムのすぐそばのラックを示す。そこには、時代がかったセーラー服が並んでいる。それも、主演の衣装だからだろう。同じものが何着か用意されていた。


「でね、話しを戻すんだけど、空いた時間を使って、ウェイクウィンク限定の特別動画を作ろうと思って」

「そ、そうなんだ。どういうの?」

「映画のワンシーンを、別の相手と撮るの。本予告にも使うシーンだから、パロディっぽくなって面白そうでしょ?」

「……い、イヤな予感」

「って、ことでぇー……」

 にんまり笑顔でキッカが後ろに下がる。


「あたしはインタビューを終わらせてくるから、準備よろしくね」

「はいはい。きっちり仕上げてあげる」

 代わりに、スタイリストの正梶が進み出る。

「……やっぱり、ぼく?」

 セーラー服を横目で見て、ひきつった表情。

「ツトムくん、女装キャラで受けてるみたいだし。ちょうどいいと思って。じゃあねー♪」

 ひらりと手をふるキッカ。柑橘の香りだけがその場に残った。


「……ええ、と」

「安心して。撮影に使う衣装とはサイズ違いだから、ちゃんと着れるはずよ」

「そ、そんな心配してないです」

「じゃ、着替えようか?」

 はっきりと言い切るような口調の正梶は、反論を許さない雰囲気だ。

「……は、はい」



   📖



 15時15分。

 ルアは合戸に淹れさせた紅茶を口に運びながら、モニターを見つめていた。

「……付き人、っていう話だったはずだけど」

 画面の中には、名々瀬キッカのアカウント。最新の投稿には、セーラー服を着せられ、黒髪のウィッグを被ったツトムの姿。

「これは……」

 じ、っと翠の瞳でその姿を見つめる。


わね……」

 一見すると野暮ったいセーラー服だが、体のラインを膨らませないように周到に作られた衣装だ。

 ツトムが着ると、広がった裾のおかげで、本来なら薄いはずのくびれを強調し、より女性的なシルエットに見える。

 いつも女装させている時には髪型は多少整える程度だが、撮影用のウィッグを被せられているせいで、さらに女装が効果を増している。

 ボブカットの髪型は性別未分化な印象のツトムの顔立ちによく似合っていて、化粧をおぼえる前の女子にも、線の細い両家の子息のようにも見えた。


「……ほかに撮ってないのかしら」

 リロード。しかし、別の角度やポーズのものは投稿されていない。

 ルアが女装を命じるときには、あえて少年らしく見える部分を残している。

 その方が、ツトムの恥じらいが投影され、「女装している」ことによる背徳感が増すからだ。

 だが、より自然にスタイリングされた今の姿は、より倒錯した美を感じさせる。

 衣装、メイク、ヘアセット……すべてが調和して、カメラの前に新しい人格キャラクターを作り出していた。


「やるわね、名々瀬キッカ……!」

 溢れそうになる唾液をハンカチでぬぐい、ルアは感嘆の声を漏らした。



   📖



 15時30分。

 ツトムは撮影スタジオの、セットの前にいた。

 業務が始まって2時間半。

 キッカの相手役が到着し、撮影が始まるまで2時間。

 この時間を使って、キッカは「限定動画」を撮るつもりらしい。


「なかなか、これは……」

「本物ほどじゃないけど、けっこうかわいいですね」

「さすがマサさん、ここまで仕上げるなんて」

 周囲からささめくように声が聞こえる。セーラー服におかっぱ頭の女子高生に扮したツトムの意外なハマりぶりに、映画製作のプロたちも驚いているようだ。

 遠巻きに視線を浴び、ツトムにできることといえばただ下をむいて時間が過ぎるのを待つことだけだ。


「おつかれさんでーす」

 ただ下を向いているばかりのツトムに、ラフな服装の男性が近づいて手を挙げた。

「お、お疲れ様です」

 反射的に、頭をさげる。いまの自分はエヌオー・クリエイトの代表としてこの場にいるのだ。ルアへの悪評になるようなことはできない。

「本編助監督の加々美です。今回の動画の演出することになっちゃって」

 演出。ということは、彼の指示に従って演技をしろ、ということに違いない。


「よろしくお願いします。ええと、どうすれば……?」

「棒読みでもいいから、とりあえずキッカちゃんに合わせて。こっちは、話題になればなんでもいいからさ」

 正直というか、あけっぴろげというか。キッカがむりやりスケジュールにねじ込んだ仕事だから、彼女以外にとってはあまりやる気がわかなくて当然かもしれない。

「はい、これ脚本ね。セリフも、全部覚えなくたっていいから」

 ツトムに渡されたのは、数枚の紙片だ。明らかに冊子から破り取られたものである。脚本の全貌を見せるわけにはいかないとはいえ、新しく印刷してくれるぐらいいいじゃないか、と思わないでもない。


「キミはカミラ……キッカちゃんの役名ね。そのカミラが吸血鬼ではないかと思って問い詰める。ところが、逆にカミラの幻術にとらわれて自分の想いを告げることになる」

「は、はい」

「とりあえず、脚本ホンを読みながら、何回かリハーサルするから。そのあと、カメラを回すから。本番一発勝負。NGもそのまま使うから」

「そ、そうなんですか?」

「失敗しても、それも味ってことでさ」

 ずいぶん乱暴だが、素人を相手にカメラを回さなければならない専門家の立場を考えれば、むしろ付き合わせるのが悪いような気もする。


 その時。

「お待たせ」

 叫んだわけでもないのに、スタジオの隅々まで届くような、艶やかな声。

 シックな黒いワンピースに身を包んだキッカが、ゆっくりと歩いてくる。

 厚塗りしているわけでもないのに、青白く見える顔。カラーコンタクトだろうか。瞳は大きく、赤い。

 1時間前とはまるで違う、この世ではないどこかから彷徨いこんできたような、そんな存在感を発していた。


 今度は、キッカを中心に緊張感がひろがっていくのがわかった。

「き、気合入ってるね、キッカちゃん」

 本番さながらの役への入り込みように、加々美の声もいくらかひきつっている。

「この撮影にかかってるから」

 告げて、屋敷の内装を模したセットの中へ進んでいく。

「な……何が?」

 助監督の問いに、主演女優は背中を向けたままこたえる。

「役作り」

「えぇ……?」


 加々美をはじめとして、スタッフが不思議そうに首をかしげている。

 だが、ツトムだけは、キッカの言葉を思い出していた。

『私が心から、誰かを好きになった演技ができるようになる工夫』

(もしかして、これのこと……?)

 彼女がなにを考えているのか。後姿から読み取ることはできなかった。


「さあ、はじめるわよ」

 キッカが、ふだんとはまるで違う、腹の底に響くような静かな声で告げた。

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