第2条第4項 クリエイトの秘書貸します
「ダンジョンに入ってすぐ、道は二手に分かれてるで」
テーブルの上に板を立てて、その裏で名取ウメが紙を眺めながら言う。
部室の中央を占めるテーブルを囲み、部員たちは華やかに騒いでいる。
「左右の道に何か違いはあるかい?」
「右のほうが行き来が激しいみたいやね。靴跡が多いよ」
「そっちには敵がいそうね。安全そうな左から行ってみます?」
「あら、どうせ全員倒すんだから、戦闘は早いほうがいいわよ♡」
「……」
その様子を、ツトムは部室の隅に座って眺めていた。
ルアとの契約上、16時以降は業務に従事することになっている。
そして、ルアが「業務のことを忘れて部活を楽しみたい」というのなら、それを叶えるのが秘書の仕事である。
というわけで、ツトムは今、緊急の連絡に備えて待機しながら、来週の「ポカ研」のスケジュールを眺めていた。
彼女らの言葉通り、所属する部員たちは皆、学業とは別の事業に携わっている。
だから、4人全員が部室で顔を合わせるのは、かなり珍しいことだ。
彼女らはスケジューラアプリで互いが部活に顔を出せるかどうかを共有しているらしい。
ルアが月曜日にツトムを紹介したのは、全員が集まることが先にわかっていたからなのだろう。
「これからは、そのスケジュールの確認もあなたの仕事だから」
と、ルアは言い、今後はいつルアが部活に参加できるかを確かめ、アプリで入力しておく仕事を授かることになった。
たった数分の作業なのだが、こういう大量の些事が積もり積もってルアの時間を奪っているのだろう。
「とりあえず、部活から。ほかのスケジュールも、ちょっとずつ任せていくからね」
……と、いうことらしい。
「落とし戸を開けると、中から火を噴く犬が飛び出して来るよ」
「こっちは安全だって言ったの誰よ!?」
「モンスターを封印しているから、ゴブリンはこっちに近づかなったんだね。なるほど」
「とにかく、戦ってから考えましょ♡」
テーブルトーク
ルアはゲーム内の出来事に文句を言いつつも、楽しそうだ。
(……今まで、見たことない顔だな)
考えてみれば、ツトム本人を除けば、ルアは年上の相手と過ごすことが多い。合渡はもちろん、臼井も、彼女の会社の従業員も含めて、彼女と一緒に働いている人はみんな年上だ。
同年代の友人と一緒にはしゃいでいる姿を見ると、今までずっと大人びて見えていた彼女が、確かに16歳の少女なのだと感じさせた。
(24時間仕事のことを考えている、ってルア様は言ってたけど……)
この部活動は、そのための充電期間、というところか。
(でも……学校にいるのに仕事って、ヘンな感じだ)
今までは八頭司邸に移動して、着替えてから(といっても、一般的な着替えではないが)仕事を始めていた。でも、今は学校で、服装も制服のままだ。
ルアのそばにいて、彼女をサポートするのが仕事なのだから、ルアが学校にいるならツトムも学校にいるのは、契約通りだ。
が、ツトムが気にしているのは……
(女装できないのか……)
と、考えてから、はっとして頭を抱えた。
(ぼ、ぼくがほしいのは自給の20%の手当であって、決して着替えたいわけじゃないから! そうだよ、もらえる手当を欲しがるのは権利だし。もちろん、あれはルア様からの指示があった場合の補償だから、ぼくが決めることじゃないけど。でも来月からの僕の生活水準にかかわることだし……)
「……彼が、何か困ってるようだけど」
たまたま、ツトムの姿が見える位置にいた石動ケイが、ルアに向けて言う。
「どうかしたの?」
サイコロを手の中で転がしながら、ルアが翠色の瞳をツトムに向ける。
「……な、なんでもないです」
さすがに、「部活の日は女装できないんですか?」と聞くわけにもいかず、ツトムは視線を伏せた。
📖
「最近、ポカ研に顔出してるって?」
金曜日。休み時間にツトムの席にやってきたシュウトがそう聞いてきた。
「ぼくが顔を出してるんじゃなくて、仕事で呼び出されてるの」
シュウトはあっという間にクラス中と顔見知りになったようだが、それでもツトムによく話しかけてくる。
自分の何を面白がっているのか、ツトムにはよくわかってないのだが、ツトムと一緒にいればキッカに話しかけられることがあるからかもしれない、と考えていた。
「それでもいいじゃないか、美人ぞろいだろ?」
「じゃあ、シュウトも入部してみる?」
たしかに、ルアの部員仲間は、以前のツトムの生活ではとても顔を合わせる機会がないような人ばかりだ。容姿はもちろん、全員の年商を足すととんでもない金額になる。
「……いや、あの中に混じるのは、ちょっと」
「……うん」
だからこそ、かえってほかの生徒からすると近寄りがたいのだろう。
一応、新入生を歓迎するつもりはあるようだが、今のところ、新入部員はいないらしい。
(……まあ、あの中に混じって違和感がない一年生もいるけど)
心の中でつぶやき、視線を教室の隅に向ける。
名々瀬キッカの周囲は、いつでもほかの女子生徒が集まっていた……というのは、せいぜい、最初の数日だった。
キッカはあまりほかの生徒と話そうとせず、放課後になるとすぐに撮影に向かう。
一年先までスケジュールが決まっている、というのは冗談ではないらしい。
(普通に話せばいいのに……)
初日にキッカ自身が言ったように、クラスメイトたちが彼女を映画スターとして扱ってくるから、キッカのほうもそつない対応をするしかないのかもしれない。
そうはいっても、芸能人、どころか、毎週ワイドショーで顔を見るような相手に対して、自然に接しろというのも難しいのだろう。
(そのうち、クラスになじんだらいいけど……)
と、見るでもなく彼女のほうを見ていた時。
「そういえば、これだけど……」
と、意識を引き戻すようにシュウトの声。
「大変だと思うけど、頑張ってくれよ」
取り出したスマホの画面を示すシュウト。ツトムは彼の言おうとしていることがわからず、まじまじとその画面を見つめる。
「……えっ?」
そこに表示されている内容は、ツトムの表情を凍り付かせた。
📖
「ど、どういうことですか、これっ!」
合渡が運転する車に乗るなり、ツトムは声を上げた。
ケータイに表示させた画面を見せながら、ルアへ詰め寄らんばかりだ。
「何って……」
瞬きするルア。その視線の先にある画面には、こう表示されていた。
『クリエイトの秘書貸します』
その隣には、ツトムの女装メイド服姿が大きくあしらわれている。
内容は、こうだ。土曜日に限り、エヌオー・クリエイトの秘書……ツトムを派遣し、別の業務に従事させる。ただし、その内容をウェイクウィンクで配信し、ルアの指示に従うこと。
「……言わなかったかしら?」
「聞いてないですよ!」
「……水面下で進めてたから、言い忘れてたのね」
ルアの言葉尻がすぼむ。
「本人にも見えないくらい水面下で進めないでくださいよ……」
「ご、ごめんね。でも、あなたは今、人気あるから。コンテンツとして放っておくわけにはいかないわ」
「だ、だからって……」
「そ、それに、派遣先は信頼できる相手だから。無茶させられたりはしないわよ」
「ぼくは勝手に配信されたら困りますよ」
後部座席で少年少女が言い争っていても、合渡の運転は静かで着実だ。
「あ、あなたにとってもいい話よ。このあとでちゃんと契約書は作るけど、相手方からの謝礼の一部を、あなたにインセンティブ手当として支払うから……」
「……女装しなくても普段よりお給料がもらえる、ってことですか?」
ぴくり、とツトムの眉がはねた。
なんだかんだ言って、1億2000万の借金はツトムの肩にのしかかり続けている。少しでも多く稼げるなら、多少の無理もやぶさかではない。
「……ちょっと待ってください」
了承を取らずに進めたことが相当気まずいのだろう。珍しくツトムの機嫌を取ろうとしているルアに告げて、ツトムはケータイを取り出し、登録されている数少ない連絡先の一つを呼び出した。
『……はい、アロー法律事務所です』
電話口に聞きなれた声。
「荒生さん、若倉です」
『ツトムくん? 元気そうね。どうかした?」
「実は、相談なんですけど……」
隣でルアが耳をそばだてているのを感じながら、ツトムは事情を説明した。
『ふむ。……八頭司さんは配信するって言ったのね?』
「はい。その分、手当を出すつもり、らしいんですけど……」
『だったら、私もウィンクで見ておくことにするわ』
「な、なんでですかっ。荒生さんまで……」
『楽しみ……は半分だけど、半分は監視。お嬢様が別のだれかのところであなたを働かせるつもりなら、それは労契法上の出向と考えられるわ』
「出向?」
『労働契約法 第十四条
使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において、当該出向の命令が、その必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情に照らして、その権利を濫用したものと認められる場合には、当該命令は、無効とする。』
長めの条文を読み上げて、電話口の荒生はいくらかスタッカート気味の早口で続ける。
『あなたは八頭司さんと出向先、二人の命令を同時に聞くことになるわけだけど、権利が濫用されている……つまり、明らかに無茶をさせている場合には、出向を即座に停止させることができるわ』
「つまり……無茶な命令がされたら、荒生さんがルア様に連絡して、すぐにやめさせてくれる、ってことですか?」
『そう。本人たちが配信して見せてくれてるんだから、証拠もばっちりね』
会話の内容を聞いているルアがいくらか渋い顔になっているのが分かった。気の毒な気もしたが、いやいや、労働者の当然の権利を主張するだけだ、と自分に言い聞かせる。
電話を切る。
「……やります」
少年の返事に、隣の席の使用者は大きな胸を大きくなでおろした。
「よかった。じゃあ……」
「でも、明日までに条件を明示した書類をください」
意思の表明。荒生の監視があるとはいえ、何をしていくらもらえるのかは、先に決めておいたほうがいい、と考えてのことだ。
「……あなた、あの弁護士に少し似てきたわね」
そう言ってから、ルアは大きくうなずいた。
「わかった。今日の業務終了までには、作っておくわ」
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