第2条第3項 ポップカルチャー研究部
床に倒れ込む一瞬のあいだ、ツトムの意識は(こんな時に限って)加速し、部屋の風景をはっきりと認識していた。
教室よりも一回りちいさな部屋(ということは、部室としては相当広い)には、様々なものが置かれていた。
大型のテレビモニタの横には据え置きの最新型ゲーム機。背の高い本棚には本のほかに、色とりどりの箱が敷き詰められている。
が、問題は部屋の中にあるものではなく、いるものだった。
女性……おそらく、女子生徒がふたり。
おそらく、といったのは、彼女らが制服を着ていなかったからだ。
着ていないのは制服だけではない。彼女らが着ているのは下着だけだった。
向かって左……グラマラスな体つき。一本の乱れもないほどに整えられたセミロングヘア。白い肌に赤い唇は、メイクの賜物だろう。
レースの複雑な飾りがついた、緑色、上下そろいの下着。高校生とは思えないほど見事な体型を、よりいっそう蠱惑的に見せていた。
さらには、その胸元……ブラジャーからこぼれ落ちそうな半球に、蝶が踊っていた。白い肌の上に直接、蝶が描かれているのだ。
(う、わ、すご……)
描かれている蝶が吸い込まれてしまいそうな深い谷間に視線が向かってしまうのは、男子としては当然の反応だろう。
その膨らみを凝視しそうになって、ツトムは目を横にそらした。
向かって右……170センチ以上の長身。ルアも背が高いが、それ以上だ。
ショートカットの髪が、うっすらぬれて額に張り付いている。それだけではない。スポーツタイプの下着にも汗染みが浮かび、スリムな体のラインを際立たせていた。
(な、なんていうか。これは、これで……)
健康的な肌に汗が伝い、体脂肪率が低い、はっきりした体を彩っている。
隣の女子とは、様々な意味で対照的だ。下着がアッシュグレーの飾り気のないものであるのもそうだし、隠れていない手足や腹部に筋肉の形が見て取れるほど、鍛えられた体つきもだ。
切れ長の瞳はツトムが飛び込むように部室に入ってきたとたんに見開かれた。
「きゃ、あっ……!」
その次の一瞬で、いくつかのことが起こった。
まず、ツトムは扉の中に引っ張り込まれた勢いそのままに、床の上に倒れ込んだ。
続いて、ツトムを引っ張り込んだ女子生徒も、彼の手首をつかんだままだったから、つられて倒れかけ……結果として、少年の胸の上に尻餅をついた。
それから、長身の女子生徒が、グラマーな女子の後ろに隠れた。
「う、ウメ! 入る前には、ノックくらい……」
背中に隠れて、ショートカットの下の顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「てへへ。入部希望者かと思って、焦ってしもて……」
ツトムの胸にまたがったまま、照れるように小柄な女子生徒が頭をかいた。
(そ、それどころじゃない……)
仰向けになってのしかかられ、ツトムはうめいた。
上に乗っている女子生徒……ウメと呼ばれていた……は小柄で軽い。胸がつぶれる心配はなさそうだ。だが、別の問題が起きていた。
白。
ツトムの胸の上に乗ったスカートがまくれ上がり、その内側がごくわずか、ほんの数センチ覗いている。
いや、見えている大きさは問題ではない。スカートの中の秘せられた場所が、男子生徒の目前に晒されているなんて。
(み、見ちゃだめだ……)
視線をそらそうとすると、その反対方向には、そもそもスカートに隠されてすらいない下着姿がある。逃げ場なしだ。
「私の後ろに隠れてどうするのよ」
胸に蝶を踊らせている女子生徒。普通に話していてもなにかを焦らすような、妖しい魅力のある声だ。
「だ、だって……」
その後ろに隠れた(身長差のせいで隠れきっていないが)生徒は精一杯、長身を縮めている。独特のハスキーボイスが、うわずっていた。
「早く着替えた方が、ええんやないです?」
「キミに言われたくないよ!」
わいわいと騒がしい女子生徒に囲まれて、ツトムは目のやり場を失っていた。ほかに手はなく、目をつぶるしかない。
「と、とにかく、一度部屋から出して……」
「私は、この体を見られる分にはかまわないけど♡」
「キミがかまわなくても、ボクは困るんだ」
「賑やかでごめんなあ。あの二人、いつもあんな感じやから」
「そういうあなたもね……」
「……何してるの?」
目を閉じているツトムの耳に、新しい声が届いた。ツトムにとっては、いちばん聞き慣れた声だった。
📖
数分ののち。一同は部室の中のテーブルに座って、向き合っていた。
「紹介するわ。左、部長の
ツトムと同じ側にいるルアが、部員を左から順番に示す。
「はじめまして♡」
制服を着直した、グラマーな女子生徒がにっこり笑顔で手を振る。驚くべきことに、服を着ても彼女は胸元を開けて、そこに踊っている蝶を見せつけていた。
「フェイクタトゥーよ。その日の気分で変えてるの」
ツトムの視線に気づいたのだろう。リンカが制服でぎりぎり下着が隠れているだけで、深い谷間がくっきり見えている箇所を指さしてみせる。
「い、いえ……」
あきらかに見せつけているその場所をまじまじ見つめるわけにもいかず、ツトムは隣に視線を移した。
「隣が、副部長。
「みんなは、ケイと。よ……よろしく」
長身の女子は、制服に着替えてもなお、
ショートカットがよく似合う、切れ長の目元はまだ赤みが残っているが、多少は冷静さを取り戻したらしい。
リンカと違ってボタンがきっちり閉じられた首元には、ネックレスで下げられた
「さっきのは……忘れてくれ」
その十字架を指でこすりながら、ケイが言う。
ハスキーボイスをいっそう低く抑えているのは、取り乱さないように自分を律しているのだろう。
「小さいのは、私と同じ2年生。
「小さいなんて、ひどいわあ」
いちばん右に座っている、ひときわ小柄な女子生徒が、やはり独特のイントネーションで言う。
「剣道、弓道、柔術あわせて10段……だっけ?」
「居合、薙刀、忍術よ」
「そう、それ」
さらりと常人離れした会話をこなしている。この中でも、ルアとウメは特に親しいようだ。
「で、こっちが若倉ツトム。一年生で、うちの従業員」
「は……初めまして」
非常に気まずい状況だが、紹介を受けて頭を下げる。ルアいわく、「部員」たちの好奇の視線がいっせいにツトムに向けられる。
「ウィンクでメイドになってた子やろ?」
「あ、私も見た。よく似合ってたけど、もっとスタイリングに気を遣ったほうがいいわよ♡」
「メイクアップアーティストが言うと説得力ありますね」
ルアが敬語で話すところを、初めて見た。意外だが、3年生には経緯を持って接しているらしい。
「でも、よかったよ。みんな忙しいから、全員そろっているときで」
ケイの長い指が十字架を離れ、テーブルの上に置かれる。男のツトムでさえ、どきりとするような凜々しい表情だ。
「特に、ルアやけどね」
ウメのいたずらっぽい指摘に、ルアは軽く肩をすくめてみせる。
「あの……この部活動は、いったい?」
一通りの紹介を終えて、ツトムにもようやく余裕が出てきた。部室というよりはシェアハウスの共同空間のような部屋を見回してみる。
「いろいろな文化活動に触れるっていう、ゆるーい部活よ♡」
「ゲームプレイを実況したり……」
「ボードゲームやTRPGで遊んだりするんや」
「それから、映画やアニメを観たりね」
ぴったり息をあわせて、4人が口々に活動内容を紹介してくれた。
「学業と事業で忙しい私たちにとっては、貴重な心のオアシスってわけ」
「私たち?」
聞き返すツトムに、ルアは「当然」というように頷いた。
「リンカさんは化粧品ブランドのプロデュース。ケイさんはエクストリームスポーツでスポンサーを持ってるし、ウメは国際展開してる道場の師範代」
「……な、なんていうか、よくそんな人があつまりましたね」
つまり、ここにいる部員は皆、高校生でありながら経済的に活躍している、ということらしい。ルアは決して、この学院では珍しい立場ではないのだ。
「前の部長の人徳かしらねえ」
くすくすと、リンカが笑った。彼女らの顔が一様にほころぶのを見るに、きっとその人もたいした人物だったのだろう。
「で、今日はどうする?」
「せっかく全員いるんだから、キャンペーンを続けましょ♡」
「ダンジョンに入る前で止まってたんでしたっけ?」
わいわい、華やかに話しながら、4人のポップカルチャー研究部員が、テーブルの上に見慣れない駒や紙を広げていく。
「……ええと、ぼくはどうすれば?」
なにやら自分を無視して話が進んでいく気配を感じて、ツトムは声を上げた。
「……と、そうだ、忘れるところだったわ」
ルアが鞄の中から、タブレットと機器を取り出す……ツトムの指紋を認証する打刻機だ。
「はい、お手」
「……犬じゃないです」
一応、非難の目を向けておく。確かに、ルアが差し出した手の上の打刻機にツトムが手を置くから、似ていると言えば似ている。
「それじゃ、私は今日は部活を楽しむから。その間、本社との連絡とか報告のチェックとか、よろしくね」
「あ、ああ……そういうことですか」
自分を部活に誘うつもりなのか、とも思ったのだけど。どうやら、ルアの目的はそうではないようだ。
ルアが部活……つまり、ゲームをしたり、映画を観たりしている間、彼女の代理として業務に当たれ、という指示だ。
確かに、ツトムには16時からルアの指揮に従う義務があるし、ルアには自分の時間の使い方を決める権利がある。
「ほんまに働いてるんやね」
ウメが感心したようにつぶやく。
「でも、効率的だね。同じ学校に補助してくれる従業員がいれば、時間の確保がしやすい」
「でしょ! 我ながら、天才的なひらめき♪」
上機嫌にいうルア。
「ルアちゃんのわがままを聞いてあげるなんて、タイヘンでしょ?」
「犬の散歩をさせられたり、着替えを手伝わされたりしてるんと違う?」
「それは別の人にやらせてるわよ!」
(……近いことは、あったけど)
一年間、一緒に部活をしてきた彼女らの親しげなやりとりに口を挟むことはできないけど、内心ではぽそりとつぶやいていた。
「いいわね。私も時々マッサージしてくれる秘書が欲しいわー♡」
リンカがなにか言うたび、その顔より下に向きそうになる目を押さえるのに苦労する。
そんなツトムの努力をつゆ知らず、ルアの頭の中で閃光のようにアイデアがひらめいていた。
「……そうだ、いいこと考えたわ」
にたぁり。事業主の口元に笑みが浮かんでいた。
「ゴブリンを煙で燻り出す作戦やったら、無駄やでー」
「違うわよ、仕事のこと!」
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