第2条第12項 吸血鬼カミラ
幾度かのリハーサルを経て、16時45分。
ツトムとキッカは、部屋の中で向かい合っていた。
セーラー服のツトムは、どこか不安げに。ワンピースのキッカは、いっそ不遜に。
窓の外の照明は、夕暮れから黄昏に変わり始めた空の色だ。
「アクション!」
加賀美の威勢のいい声がスタジオに響いた。2人に向けられたカメラの、赤いLEDが灯る。長いワンカットが始まった。
「私が、皆を襲ったと、本気でそう思っているの?」
キッカが、カミラが問う。薄暗い部屋の中で、その瞳は奇妙に赤く輝いて見えた。
「あなたは、夜中、けっして部屋に人を入れようとしなかった。あなたが眠るところを、誰も見ていない。カミラ、あなたはほんとうに私たちと同じ人間なの?」
「前にも言ったわ。近くに人がいると、眠れないの」
「それに、その瞳の色は」
「瞳が赤いのは生まれつき。この歯も」
「10年前、私とあなたは夢の中で会っている。その時、私が見たあなたの姿は、今のあなたと同じ。寸分の狂いもないわ」
「夢の中のことでしょう?」
「とぼけるのはやめて。私はあなたを親友だと思ってた。なのに……」
「私もよ。リエ、あなたは私の、この世でいちばん大事な友達」
「だったら、本当のことを話して。あなたがみんなを、ハナエちゃんやトシコちゃんを殺したの? 私のことも、胸に穴を開けて殺してしまうの?」
ツトムはキッカを見つめていた。
本当の考えを知りたい。
本当の気持ちを聞かせてほしい。
そうだ、同じだ。
心のうちを知りたいと願うのも。自分のことをどう思っているのか知りたいのも。
リエ。脚本に素っ気なく名前を書かれているこの少女が何を恐れているのか、分かる気がした。
「リエ、私を見て」
「カミラ……」
薄暗闇の中で、見つめ合う二人。
カミラの赤い瞳が、リエを映している。その瞳の中の少女が、リエに向けて微笑んだ気がした。
「あっ……」
リエの頭が、とつぜん、大きく
カミラの妖しい魔力に捉えられ、崩れ落ちそうになる少女を、もう1人の少女が抱きとめる。白いセーラー服と黒いワンピースが重なり合った。
「本当のことを話していないのは、あなたも同じ。そうでしょう?」
「私は……」
「退屈な人生に飽きて、誰かが劇的な出来事を起こしてくれるのを待っていた」
「そんなことは……」
「みんな、そうよ。誰もが待っている。強い意思を持った誰かが、生き方を決めてくれることを。自分の意思を踏みにじるほど強い誰かを……」
「あなたが、そうしてくれるの?」
か細い声で、ツトムが聞く。
キッカの細い腕に抱きすくめられながら、しかしその体にはぬくもりがまったく感じられなかった。
カミラの赤い瞳は、リエの髪にほおを埋めながら、しかしどこか遠い場所を見つめていた。
「私は、誰かを愛したことがない」
カミラがどこか遠い場所に語りかけるように呟く。
「身を焦がすような熱い衝動が、血液の代わりにこの体の隅々を駆け巡るのを何度も夢想した。でも、それは叶わなかった。きっと私の心は死んでいるのよ。石でできた彫像のように、私を置いて過ぎ去る時間を眺めるだけ」
「彫像を愛してはいけないの?」
「リエ……」
「あなたが、化け物でも構わない。私を求めてくれるのなら。あの夜から、10年前のあの夜から、きっと私の運命は決まっていたのよ」
「ああ、リエ。ずっとその言葉を聞きたかった。いいえ、聞きたくなかった……」
「あなたが皆を襲ったというなら、私はそれを止めたいんじゃない。どうして、どうして初めに、私を選んでくれなかったの?」
「言わないで、それ以上は」
「あなたのものに、あなたの一部になりたい」
「そんなことはできない。あなたが、あなたがいなくなってしまうなんて……」
「私を壊して。こんな命、どうなっても構わない」
リエが胸のスカーフを解く。襟を広げ、新雪のように白い胸を露わにして、少女が壁にもたれかかる。
カミラの喉が、コクリ、と鳴る。
「美しいあなたの一部になりたい。お願い、カミラ」
赤い瞳が、わずかに揺れる。
「私が、あなたと同じかって聞いたわね?」
カミラが、高らかに笑う。静かな屋敷の中に、その哄笑は、まるで幼い子供が葬列を嘲るかのように響く。
「違うわ、リエ。いま、わかった。あなたが、私と同じなの。そうよ、奪うか、奪われることでしか自分の価値を知ることができない」
リエはその声を、ただ恍惚として聞いていた。
カミラが口を開く。細長い犬歯が赤い唇から突き出すほどに鋭く尖っていた。
壁に手をつき、獲物を捕らえるように顔を寄せる。
数秒。ふたりが間近で視線を絡める。わずかな身じろぎで、唇が触れるほどの距離。
リエの黒い瞳には、黒い
「リエ。美しい娘。あなたを愛したかった」
唇が位置を下げていく。首元から胸へ。牙を剥き、生気に満ちた肌に……
「カーーーット!」
静寂を打ち破るような声。
スタジオにいる誰もが振り返る中を、カツカツと靴音を立て、肩をいからせて歩いてくる。
「る……ルア様?」
セットの壁にもたれ、薄い胸板を突き出したまま、ツトムが声をあげる。
「ちょ、ちょっと。困るよ。いま、本番中で」
息を飲んでふたりの芝居を見つめていた加賀美が、ルアの前に飛び出して静止しようとする。
「私は、そこにいる若倉の雇用主よ」
「だからって、撮影を止める権利はないと思うんですけど?」
答えたのはキッカだ。不機嫌さを隠しもしない。撮影を無断で止められたのだから、当然だろう。
「大アリよ。契約を見直してもらうわ!」
味方などいないこの場においても、ルアは胸を張っていた。
「……もう少しだったのに」
ぽつりと呟いて、キッカがルアに向き直る。
ふたりの視線が交錯する。
火花を散らしかねないにらみ合いから逃れるように、加賀美は身を引き……カメラの横で、囁いた。
「回しとけ。面白くなるかも」
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