第1条第6項 橘花の君
入学式は静粛に進み、そして終わった。
校長や、生徒代表のスピーチはあまり耳に入ってこなかった。
3月まで通っていた中学校とは違って、体育館ではなく、式典を行うためのホールがこの学校にはあった。
(やっぱり、場違いだよね)
制服の着心地には未だに慣れない。
なんなら、まわりの生徒からは浮いて見えてるんじゃないかと気になるぐらいだ。
周囲の晴れやかな表情を見れば見るほど、ツトムは自分がみじめに思えた。
入学式。
背後に視線を向ければ、生徒らの保護者の姿が見える。
ツトムと同じ新入生の、両親たち。
人をうらやむあまりに涙がにじむのは、初めてだった。
自分と同じ新入生たちに囲まれながら、ツトムは涙が溢れないよう、じっと目を閉じて時間が過ぎることだけを感じていた。
(平気だ、きっと)
心の中で、自分に言い聞かせていた。
(これを3年、そして20年続ければいいだけだ)
ツトムの内心にかまわず、入学式は静粛に進み、そして終わった。
📖
白い校舎の中は、明るくて、清潔で、さっぱりした空間だった。
(お金持ちの通う学校、って言っても、別に何かが変わるわけじゃない、よね)
そう、同じ目的の場所なんだから、同じようなものだ。
ただ、ツトムの知っている学校よりも、いくらか広く、天井が高く、陽光が入りやすく、中庭やタイル張りのピロティがあって、清掃業者の姿を見かけるぐらいだ。
「……うん、やっぱり、全然違うな」
自分で自分を説得しようとしてもムダである。
入学式が終わった後、新入生はクラスを伝えられ、各自が教室に移動した。
一堂がそろったころに、若い女性教諭が現れ、
「これから一年、君たちを担任する
そう、名乗ったのち、
「今日のところは顔合わせだけ、だから。みんなの前でひとりずつ自己紹介、っていうのも面倒くさいでしょ? それじゃ、今日はここまで。おっつかれさまー♪」
で、終わりだった。
「……こんなものなのかな」
「いや、これは珍しいパターンなんじゃないかな」
思わずつぶやいた声に、返事があった。
驚いて振り返ったツトムの隣に、男子生徒が立っていた。担任が20秒で出て行ってざわついている教室内で、話し相手を探していたのだろう。
ツーブロックのショートヘア。きっちり整えられた眉とは裏腹に、人なつっこい笑みを浮かべた印象は、大型犬のようだ。
「は……はじめまして」
「かしこまらなくていいって。クラスメイトなんだから」
少年が自分の胸を、指の腹でとんとん、と叩く。
「俺、
「う、うん。ぼくは、若倉ツトム」
「見てたよ、朝。あの八頭司先輩のペットだって?」
からかう、というよりは、純粋に面白がるような口調と表情で、シュウトが笑う。
「だ、だから違うって。単なる雇用関係で……」
「ははっ、初日から有名人だな」
「だから、そんなんじゃないって」
「謙遜しなくてもいいって」
ぽんぽん、と、軽く肩を叩かれた。
「有名人と仲良くなっておこうと思ってさ。せっかく、同じクラスなんだし」
「こういう形で有名にはなりたくなかったよ……」
がく、と肩を落とすツトムに、シュウトは相変わらず肩を揺らしてみせる。
「平気平気。まだ有名さでは2番目だろ」
「それ、一番の有名人はルア様だから?」
「ルア様って呼んでるのか!」
声を上げるシュウトに、クラスの視線が集まる。ますます目立って、思わずツトムは顔を赤くした。
「そ、それはいいでしょ」
「ごめんごめん。キミ、面白いなあ」
からっとした声色で今の話題を過去に追いやる。
「さっきのは、新入生で2番目、って意味」
「2番目って……じゃあ1番は?」
シュウトは答えず、アゴで教室の中を示した。
彼につられたのだろう。クラスメイトたちは思い思いの相手を見つけ、話しをはじめている。年齢以外の共通点を探して、名簿でしか知らない学友と仲良くなろうとしていた。
……のだが、その一角。女子生徒がひとりの席にわっと集まろうとしていた。
「同じクラスになるなんて、信じられない!」
「すごーい、顔ちいさーい」
「ねえ、一緒に写真撮っていい? ウェイカーにアップしたいの」
黄色い声、というやつか。はしゃぎようが、声にすら現れている。
女生徒たちの人だかりに囲まれ、その中心にいる人物の顔は知れない。
「……なんだか、すごいね」
その光景に目を瞬かせ、つぶやく。
「まあ、そりゃあ……みんな、考えることは同じだから」
不思議そうに瞬きするツトム。シュウトは、自分の、襟からのぞく鎖骨のあたりを叩いた。
「有名人と仲良くなりたいってこと」
そして、声を低めた。
「同じクラスに
「名々瀬キッカって、あの名々瀬キッカ!?」
反射的に、ツトムが大声を上げたのも無理からぬことだ。
大御所俳優の娘にして、たった8歳で映画に主演。「親の七光り」という揶揄を、その驚異的な演技力で黙らせて以来、次々に話題作に出演する売れっ子女優だ。
彼女が出演さえすれば、どんな映画でも大ヒットが確約されているとさえ言われる、国民的存在である。
自分と同じ歳でそんな人生もあるんだな、とはるか彼方の世界の住人だと思っていた人が、今この教室の中にいるなんて。
「名簿見てなかったの?」
「いや……な、なんていうか、それどころじゃなくて」
今までの緊張感や劣等感が、驚きに吹き飛んでしまった。それだけの衝撃を受けるツトムが、再び人だかりのほうへ視線を向けると……
ふと、今までの騒ぎがやんでいた。
そして、一つの席に集まっていた女生徒たちが、まるで草をかき分けるように左右に広がった。
立ち上がった彼女と、目が合った。
見つめられれば誰でも恋に落ちる……と書かれたことすらある、明るいブラウンの瞳。
立ち上がって、歩いてくる。トレードマークの巻き毛がそのたびに揺れた。
まるでそこにだけスポットライトが当たってるみたいだ。
これがオーラっていうやつなんだろうか……と、視線を離せなくなっているツトムの眼前に、気づけば彼女が立っていた。
「やっ」
と、短く言って、キッカが手を上げた。
「や……やぁ?」
彼女のまねをして手を上げるツトム。柑橘の香りがして、無性に落ち着かない気分だった。
「あんなに驚かなくてもいいのに」
「あ、いや……ご、ごめん」
落ち着きなく答える。VIPの通う学校といったって、まさか自分ですら名前と顔を知っている相手がいるとは思っていなかったのだ。そんな人と、何を話せばいい?
「いいよ、おかげで助かったし」
「助かった?」
「ああいうの、苦手なの。落ち着かなくて」
肩越しに女生徒らを示しながら、彼女はその名の通り、
「あ……そ、そっか……」
単に彼女が笑っただけなのに、何かとてつもない衝撃に襲われ、何も言えなくなってしまう。
こんな相手が目の前にいて自分と話しているという事実だけで、脈拍が強まる。視界に入れるのももったいなくて、目をそらしてしまいそうだ。
視線でそばにいるシュウトに助けを求めたが、その彼もまた、緊張に固まっている。
有名人と仲良くなろう、といいつつ、彼女ではなくツトムに話しかけるような少年だから、ムリもない。
「もしかして、イメージ違うとか思ってる?」
その反応をどう受け止めたのか。ずい、と顔をのぞき込まれた。
(ち、近い……!)
長い睫毛に縁取られた瞳に、自分の顔が映っているのさえわかりそうだ。髪から漂う柑橘の香りが、ますます濃くなる。
「そ、そんなことないよ。えと……お、思ってたとおり」
「思ってた通り?」
間近にある瞳が、細められる。まさか自分の反応を面白がっているのだとは思わず、ツトムは必死に言葉を探した。
「き、きれいだ……」
「ふふっ、ありがと」
あまりに凡庸な言葉しか見つからなかったけど、とにかくキッカは満足したらしい。返事に、ではなくて、ツトムのリアクションに、だけど。
「そうだ、ちょうどいいから、キミ」
と、ツトムを示して、キッカが咲いている花も恥じらうような笑みを浮かべる。
「校門まで、付き合ってよ」
「へぇ!?」
「また、さっきみたいに話しかけられたら面倒だし。男のコが一緒なら、話しかけづらいでしょ?」
「ぼ、ぼくが?」
「うん。スキャンダルを疑われる雰囲気でもないし」
どういう意味だ、と聞き返す余裕も、ツトムにはない。
国民的女優の隣に立って歩く? ツトムの境遇なら、一生、思い出にできそうな事件だ。
だが、そのとき。
ピリリリリリ!
甲高い着信音が、教室の中に響いた。ツトムの鞄の中からだ。
「わ、ちょ、ちょっと待って!」
鞄を机の上にのせ、開けて、その中から携帯電話を取り出す。たったそれだけのことなのに、緊張でうまく開けられない。教室じゅうの視線が自分に向いているのを感じる。
みんな、きょとんとしているキッカを見ているのだ。もちろん、耳につく着信音のせいもあるけど。
二つ折りのケータイを取り出して、通話ボタンを押した途端。
『遅い! 私が電話をかけたら、コールの前に出なさいよね!』
「人間の能力を超えてますよ!」
ある意味、聞き慣れた声。八頭司ルアに決まっている。彼女しか、このケータイの番号は知らないのだから。
より正確に言えば、このケータイ自体が彼女の「業務」のため、ツトムに貸し与えられているものである。
『ともかく、もう終わったんでしょ? どうせやることもないだろうし、今日は16時からじゃなくて、今から業務を命じるわ。私の家に移動するから、校門前まで来なさい。今すぐ! いいわね!』
息継ぎもせずに言い切ってから、一方的に通話が切られた。
「ご、ごめん。ぼく、急がないと」
鞄をつかんで、キッカに頭を下げる。
千載一遇、一生の思い出がフイになってしまった瞬間である。
「ううん。マナーモードにしといた方がいいよ」
当人はその様子を楽しそうに眺め、ひらひらと手を振った。
「ほ、本当にごめん。じゃあ!」
着信音で驚かせた周りの生徒らにも手を合わせてから、ツトムは教室を飛び出す。
「また、今度ね」
その背中にかけられるキッカの声は、単なる社交辞令だろうと考えることにする。
とりあえず、今は。
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