第1条第9項 ツトム、顔に乗られる

 閑静な住宅街……なんて言葉はよく聞くけど、そこはその言葉がぴったりな場所だった。

 落ち着いたたたずまいの一軒家が規律だって並んでいる。道幅は広く、街路樹と、それよりさらに背が高い街灯が並べられていた。

「早く、こっちへ来なさい」

 そのうちの一軒へ、ルアが向かっていく。車がつけられた、すぐそばの家だ。

 白と茶の壁。ツトムの家(残された数少ない財産だ)よりは大きいが、住宅街に並ぶほかの家と比べて、特別目立つ門構え、というわけではない。


「もっと大豪邸に住んでるかと思った?」

 ツトムの表情を読み取ったのだろう。からかうように、ルアが聞く。

「い、いえ……そんなこと」

「仕方ないでしょ、私の家なんだから」

「私の?」

 一瞬、その言葉の意味をとらえそこね、きょとん、と大きく瞬き。

「ほかの家族はいないから、ヘンに緊張しなくていいからね」

 そういって、『八頭司』と表札が掲げられた門を開く。


 ほぼ同時に、玄関口の、金属製のドアが内側から開いた。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 姿を現した女性が、ゆっくり頭をさげる。ふくよかな体つきを、紺のワンピースと白いエプロンに包んでいる。ついでに、髪をまとめたカチューシャは、控えめながらフリルで飾られている。

「メ……っ!?」

 思わず絶句するツトム。ルアが「にやぁり」と笑った。

「驚いたでしょう。そう、全国民の夢、メイドさんが我が家にはいるのよ!」

 腰に手を当て、大きく胸を張るルア。ドーン!と効果音がついてきそうな勢いである。いつも自信満々だが、今は20%増しだ。


「ほ……本物ですか?」

「偽物のメイドって何よ。きちんと契約した家政婦よ」

「若倉ツトムさんですね。初めまして、臼井うすいアキハといいます」

 30歳に手が届くほどだろうか。のんびりした雰囲気の人だ。腰のあたりでエプロンを結んでいるから、ワンピースの上からでもよくわかる、ボリュームのある胸元に視線が吸い寄せられそうだ。

「は、はじめまして」

 目のやり場に困りながらも、なんとか頭をさげた。


「ツトムさんもここで働くんなら、いらっしゃいませ、じゃないですよねぇ」

 頬に人差し指を当て、臼井が大きく首をかしげる。

 その左手の薬指に、シンプルな銀色の指輪がつけられているのがわかった。

(なんだ、そうか……)

 という思いがツトムの頭をよぎったが、すぐに、

(いやいや、ぼくががっかりする筋合いはどこにもないぞ)

 と、思い直した。

「初対面なのに、お帰りなさい、も変ですし……」


「ようこそ、でいいでしょ。それより、さっさと中に入りましょう」

「ああ、そうですね! それじゃあ、ようこそ、ツトムさん」

 急かされていることがわかっているのかどうか。臼井はにっこり笑みを浮かべて、ドアを開ける。

「お、お邪魔します」

 すたすたと玄関へ入っていくルアに続き、中へ。吹き抜けになったエントランスホールの広さに驚き、何やら高そうな絵画が壁に飾られているのに気づいてさらに驚いた。


「業務時間中よ。ぼうっとしない!」

 周りを見回しているツトムにぴしゃりと言い放ち、ルアはずんずんと先へ進む。

「は、はい!」

 あわてて靴を脱ぎ、そのあとにつづく。

 安物のスニーカーは、臼井が揃えて直してくれた。ルアのローファーの横に並べられるのが申し訳ない気分になった。



   📖



 玄関を入ってすぐの階段を上がり、2階へ。

 すぐ前を歩くルアの短いスカートがちらちら揺れて、腿の間の隙間から照明の明かりがこぼれてくるのまでわかりそうだ。前を見るに見れず、ツトムは手すりを頼りに上がっていった。


「ここで働いてる間は、基本的に2階で仕事をして。1階は生活スペース、3階は私のプライベート空間だから。ぜったいに3階には上がらないこと」

「は、はい」

 眉間に力を込めて告げる雇用主に、こくこくと操り人形のようにうなずく。

 たしかに、このお嬢様のことだ。プライベート空間に何があるか分かったものではない。

「それじゃあ、とりあえず、こっちがあなたのワークスペース、ね」

 そう、告げて、階段を上がって左手の扉を開いた。


「し、失礼します」

 肩を狭めながらその扉をくぐる、と……

「わっふ」

 犬がいた。

 いや、正確には、広い部屋の奥にはデスクがあり、ケーブルのつながったノートパソコンが置かれている。

 ただ、扉とデスクの間に、大型犬が一匹、鎮座していた。

 つやつやの毛並みは金色。ゴールデンレトリバー、だろうか。でも、その割には目もとがやけにぎらぎらしているように見える。


「……ええっと」

 助けを求めて、視線を後ろに向ける。

「マックス。どうしてここにいるの?」

 と、ルアもなんだか困った様子だ。

「指示通り、ケージは1階に移したんですけど、この部屋が気に入ってるみたいで」

 臼井もやっぱり、困り気味に答える。

「私の力では、マックスを動かせなくて」

「あー……」

 髪を指に巻きつけ、くるくるやりながら、お嬢様が声を漏らす。


「とりあえず、紹介するわね。ツトム、マックスよ」

 と、部屋の中央にどっしり構えた犬を示す。それから、今度はツトムを示した。

「マックス、こっちはツトム。今日から、私の手伝いをしてもらうの」

「よ、よろしく……」

 と、挨拶してみるけど、犬……マックスは動かない。灰色がかった目を、じっと向けるだけだ。


「さっきからすごく睨まれてる気がするんですけど」

「怖いのは顔だけよ。シベリアンハスキーの血が入ってるから」

 と、言われても、ぎらぎらした目つきの犬がすぐそばにいる状況は落ち着いていられるものではない。

「そうだ。あなたの部屋なんだから、あなたがやるといいわ」

「は、はい?」

 なにごとかを思いついたらしいルアの言葉に、大きく瞬き。


「合渡、リードを」

「はい、お嬢様」

 当たり前のようにルアが右手を掲げると、これまた当たり前のように、いつの間にかそばに控えていた老人が何かを手渡した。大型犬用だからだろう、縄のように強靭そうな散歩ひもリードである。

「これをマックスの首輪につないで。一階にあるケージの中に入れてあげて」

「いや、でも……」

 思わず振り返る。どっしりとカーペットの上に胸を付けた大型犬は、体重でいえば30キロはありそうだ。


「大丈夫よ、噛んだりしないから。それじゃあ、私はやることがあるから」

 気楽な調子でそう言って、ルアはスカートを翻した。

 とんとん、と機嫌よく階段をいく足音が聞こえる。

(『プライベート空間』で何をする気なんだろう……)

 思わず、心のなかでうめくが。いやいや、悪意的に考えるのはやめよう、と首をふった。

「私はお昼の用意がありますからぁ」

 エプロンの裾をつまんで、ゆっくりと臼井が頭をさげる。


「ちょ、待っ……!」

 ぱたん。メイドが戸を閉めると、部屋の中にはツトムとマックスだけが残される。

「合渡さ……いない!?」

 長身の老人は、現れた時と同じように音もなく消えていた。

「ええっと……」

 向き直る。

 ふたぶてしくカーペットに胸を付けた姿勢のまま、マックスは「ぎろり」とした目をツトムに向けている。


「か、噛んだりしない……よね?」

 無言。犬が無言なのは当たり前だ。

「ルア様の飼い犬なら、頭がいいはず……だ、よ、ね?」

 自分で自分を説得しながら、リードを構える。端のフックを手にして、首輪に手をのばそうと……

「ウゥゥゥ……」

 ツトムが手をのばそうとした瞬間、マックスの太い首からうなり声が響く。

「ひぅ……!」

 思わず手を引くと、うなり声が止まった。


「……怒ってる?」

 無言。

 手を伸ばす。

「ウゥゥゥ……」

「ひぅ……!」

 唸りが止む。


 ツトムは同じことを三度繰り返してから、どうやらあまり歓迎されてないらしいぞ、と確信するに至った。

「こういう時は……目線を合わせて……」

 こめかみを押さえて、必死に考える。敵じゃない、とアピールするのが大事だ、と聞いたことがあることを思い出した。

「ほ、ほら、仲間だよ。マックス♪」

 自分も床に手をついて、四つん這いに。声は高くして、全身で友達をアピールする。


 ぴくり。

 マックスの長い鼻がわずかに上向いた。

 目は相変わらずぎらついているが、少し表情が穏やかになった(気がする)。

「ほ、ほら、仲良くなりたい、なぁっ」

 目の高さを同じに、と言っても、マックスはほとんど床に伏せているから、ツトムも顎を床に着けて上目づかいを向け、じりじり近寄っていく。今度は、うなり声は聞こえない。


「よ、よし、友達になろう」

 警戒を解かせるためだ。この際、恥ずかしがっている場合ではない。

 ごろん、と腹を上に向けて体をころがしたとき。

「そうだ、言い忘れてたけど……」

 がちゃり。

 唐突に、部屋のドアが開いた。

「あ……」

 転がって丸めた手足をばたつかせた格好のまま、視線だけをむける。


 一瞬。

 少年と目があった瞬間、ルアは流れるような動きでスマートフォンを取り出す。

 カシャッ。

 合成されたシャッター音。この一瞬で、カメラアプリを起動し、部屋の中を撮影した。早業である。

「な、なんで撮るんですかっ!?」

 体を起こそうとした瞬間、

「わっふ♪」

マックスが細身の少年の体にのしかかってきた。


「うわっぷ……!」

 柔らかな毛並みに顔を覆われる。飛びついてきたマックスが全身でじゃれついてくる。

「ちょ、ど、どいてっ、うわ……!」

 大型犬の温かいおなかで顔を押さえつけられる。どかそうとしても、手の力だけでは持ちあがらない。

「す、すごいわ。たった数分でこの展開。期待以上の逸材だわ!」

 カシャッ。カシャッ。カシャッ。

「むぐ、むぐぐっ……!」

 ツトムは必死にもがきながら、無慈悲に繰り返される電子音をきいていた。

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