第25話 思ってもいない展開(1)(赤澤さんside)
「よお、赤澤」
「あっ、黒崎さんも来てたんだ」
黒崎さんの手には近くの店で見繕ってもらった花束が握られている。普段の彼女は特に花が好きな訳ではないが、行先を告げると家族から持っていくように言われているとのことである。
一方の私は、待合室で読んでいた本をカバンにしまうところだった。
「それにしても、こんな毎日のように来なくてもいいんじゃないか?」
せっかくの花束を肩に担ぐようにしている黒崎さんだが、普段であれば零れんばかりに太陽の光を反射する綺麗な黒髪も今は色あせたように見えた。
「でも、いつ悠太が思い出すかと思うと……」
私の言葉を聞いた黒崎さんは、チッと舌打ちをして私の横に腰を下ろした。
「あれから1週間か……」
私のこぼしたその小さな呟きに、ビクッと反応する黒崎さん。
その目はどこか虚ろだった。
1週間前。
それは、日比野……悠太が学校の帰りに交通事故に巻き込まれた日。
『お兄ちゃんが、お兄ちゃんが……』
いつもは冷静な悠太の妹、優佳ちゃんからかかってきた電話は焦りと困惑のせいか、まったく要領を得なかった。普段優しく接していた私でもかなりキツい言葉でやりとりをしてようやく聞き出したことは、悠太が事故に遭ったことだった。
私はすぐさま、黒崎さんと緑川さん、そして蒼井さんに連絡しながら、教えられた病院に駆け付けたが、病室には面会謝絶のプレートが掛けられていた。
「そ、そんな……」
扉の前で呆然とする。
連絡してきた優佳の姿は見えないということは、家族だけはこの室内に入っているのだろうか。
廊下のベンチに腰を下ろしていると、だんだんと近づいてくる足音が聞こえた。
「あっ、赤澤さん!」
「おい、日比野は……無事なのか?」
「ゆ、悠くんはどこ?」
「みんな……」
4人が病室の前で集まると、お互いの気持ちが通じ合ったのか、誰からともなく涙が零れてきた。
「悠太には……まだ会えてないの」
「そんなに重症なのか……」
厳しい表情で面会謝絶のプレートを睨みつける黒崎さん。まるでそのプレートが日比野との距離を拡げているかのように。
「お願いです……日比野くんを助けて……」
私の命に代えてもいいですから……緑川さんの発する小さな声に蒼井さんの声が重なる。
「せっかく……せっかく悠くんのそばにいられるようになったのに。こんなのってないよ……」
どのくらい時間が経過しただろうか。
病室の扉が開かれたのは、泣きつかれた緑川さんの肩を抱いていた私がウトウトし始めた頃であった。
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「結論から申し上げれば、あれだけの事故にあってもちょっとした打撲程度で命に別状はありません」
医者がやや疲れた表情で説明を始める。
本来、この説明は家族にだけされるところであるが、優佳ちゃんが強引に私たちにも聞いてほしいと言い出したため、結局、悠太のお母さんと妹の優佳ちゃん、そして私たち4人が揃っていた。
「まだ意識は戻っていませんが脳に損傷はありませんし、じきに目覚めることになるでしょう」
「そうですか……ありがとうございます」
お母さんは安堵のため息を漏らし、優佳ちゃんは真っ赤に腫らした目をこすりながらわずかに微笑んだ。
「よかった……」
緊張が解けたように、私たち4人は床に座り込んでしまった。
「今のところ大きな問題はないと思いますが、彼が目覚めてから詳細な検査をする予定です」
医者の言葉を聞きながら、わたしたちは互いにホッとした表情で見つめ合うのであった。
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『お兄ちゃんが意識を取り戻したらしいよ』
わたしのスマホに優佳ちゃんからメールが届いたのは、悠太が入院した翌日。1学期の最終日の帰りのホームルームのときだった。
すぐさま、他の3人に転送する。
「よしっ!」
いきなり大声でガッツポーズをする黒崎さん。
「日比野くん、よかった……」
愛おしそうにスマホを胸に抱えて喜ぶ緑川さん。
「ああ、悠くんに早く会いたい」
しきりに時計を気にし始めた蒼井さん。
そんな様子を見て、みんなやっぱり悠太を心から心配していたんだと改めて思い知らされたのだった。
ホームルームが終わると同時に、わたしはみんなとともに病院に駆け付けた。
昨日この病院から帰宅して1日も経たないうちに、悠太に会える喜びで満ち溢れていたのだけど。
「優佳ちゃん? どうしたの?」
病室の前でベンチに座り込んでいた優佳ちゃんに気付いた。
何となく、表情に陰がある。
「あ、お姉さん……」
何か嫌な予感がした。まさか容態が急変したのでは……。
「お兄ちゃん、さっき意識を取り戻したんだけど……」
何か引っ掛かりがあるかのように呟く。
その様子に他の3人も顔が青ざめていく。
「何か、記憶を失っているみたいで……誰のことも覚えていないの……」
「「「「ええっ!?」」」」
記憶喪失……。
話には聞いたことがあったけど、まさか、そんなことになるなんて。
「とにかく、悠太……日比野くんに会ってもいいかしら?」
「はい。お願いします」
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「失礼します」
扉の前で声を掛けると、中からお母さんの声でどうぞという返事が聞こえてきた。
ゆっくりと扉を開けると、病院特有の匂いが強くなった。
部屋は個室のようで、入って右側にベッドが置かれていて。
「悠太……」
ベッドには上半身を起こした悠太が、怪訝な顔でこっちに目を向けていた。
「あの……」
わたしたちはベッドの横に移動する。
「悠太……身体の具合はどう?」
努めて笑顔を浮かべて訊いてみる。見た感じ悠太は表情に乏しく、少しやつれているように思えた。
「はい……大丈夫です」
「……悠太……」
悠太の発した言葉はいかにも他人に向けた、平板で感情に乏しいものだった。
「日比野、アタシのこと覚えてるか?」
勢い込んで黒崎さんが問いかける。まるでそうすることで記憶を取り戻せると信じているように。
「ごめん……分からない……」
「「「そんな!?……」」」
よほど驚愕の表情を浮かべていたのだろう。私たちに気を使うように悠太が申し訳ない顔をする。
「くっ……」
悔しそうな顔をした黒崎さんがいきなり悠太に抱き着いた。
「日比野、思い出せ! アタシは、いやアタシたちはお前の恋人なんだぞ!」
「えっ?」
突然の黒崎さんの暴走に悠太だけでなく、私たちも呆然としてしまった。
「この前の勉強会で、お前はアタシたちと約束したんだ。ずっと一緒にいるって!」
黒崎さんの言葉はわたしたちの心にも届く。
そうだ。わたしたちは悠太とずっと、これからも。
「今日はこの辺でよろしいでしょうか」
気が付くと、医者が入口に立って声を掛けてきた。
「彼はまだ目覚めたばかりです。これから徐々に思い出してもらうしか方法はありません」
確かに、悠太の負担にはなりたくない。
そう思ったわたしたちは後ろ髪を引かれる想いのまま、病院を後にするしかなかった。
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