あぶない、あぶない。

 ひかりは敬子の好奇心の強さに危険を感じていた。

 もっとも、大田原をふっとばし、あのチェーンソウ男をぶちのめしたのが、あたしだとはさすがに夢にも思っていないようだ。ましてや、あたしがサイボーグであることに気づくはずもない。

 そうは思っても、今後は用心する必要がある。

 校門から外に出ると、見覚えのある顔があった。全体的にホームレスに認定されないぎりぎりくらいの格好で、今どき、若者ならぜったいに被らないような帽子、にやけた顔だけど目つきだけはみょうに鋭い男。変態男を撃退したときに、声をかけてきた男だ。

「よお、ひかりちゃん」

「え? ええっと……」

 ナンパ?

 もしそうだとすると初体験だ。ちょっと舞い上がってしまったが、よく考えればどうして名前を知っているか? それが問題だった。

「ちょっとつき合わないか?」

「い、いえ。そういうのは、あたしだめなんです」

 警戒しつつ、ひかりはしどろもどろになった。きっと顔だって真っ赤になってるにちがいない。

「だいじょうぶだよ。なにも取って喰おうなんて思っちゃいない。ただちょっとお話がしたいだけさ」

 とっさにいやな予感がした。この男は、ひかりのずばぬけた運動能力を不審に思ってる。なにか秘密の匂いを嗅ぎつけたにちがいないのだ。

「あ、あの、つきまとわないでください」

「じつは君のあの活躍をビデオに撮った」

「え?」

 それはまずい。まずすぎる。見ただけならともかく、映像が残っているなんて。

「つき合ってくれたら、返すよ」

「ほ、ほんとですね?」

「ああ、約束する」

 男はちょっと歪んだ笑みを見せる。

 ぜんぜん信用ならなかったが、無視するわけにはいかない。もしこの男が変なことをしようとするにしろ、こっちも負けない自信がある。

「あなた……誰なんですか?」

「灰枝猟太、私立探偵だ」

 私立探偵? それがなんの用なんだろう? 探偵なんて、かっこいいのはミステリーの世界の中だけで、本来は人捜しや、浮気調査をしてる職業だってことくらいは知っていた。

「わかりました。そのかわり、人がいるところで」

 一応用心した。

「もちろん、じゃあ、そこの喫茶店で」

 そこは学校帰りの生徒がたむろしないように、ときどき生活指導の教師が見回りに来るといわれているところで、おかげで生徒はまずいない。変な噂になることもないだろう。

 ひかりはその男といっしょにその店に入った。

 ひかり自身、そこに入るのは初めてだったが、さして広くはないといえ、先客はひと組のカップルだけだった。ここのオーナーはおそらく学校の生徒を当てにしてオープンしたのだろうが、思惑は外れたようだ。

 灰枝と向かい合って席に着くと、オーダーを聞かれたので、オレンジジュースと答えておいた。灰枝はふつうにコーヒー。運ばれるなりストローでオレンジジュースをひとくち飲むと、ひかりは口を開いた。

「なにが目的なんですか? どうして、あたしのことを調べたりしてるんです?」

 そうなのだ。まずそれがわからない。この男がマスコミ関係なら、記事にしたいとか、もっと詳しく話を聞きたいとか、いろいろ考えられるが、探偵はそんなことをしてもお金にならない。

「君、スチーム娘って知ってる?」

「え?」

 心底驚いた。飲んだジュースをぶうっと噴き出さなかったのが不思議なくらいだった。

「それ、なんですかぁ?」

 ひかりは笑顔で答えた。もっともちょっと引きつってる気もしないではないのだが。

「一年くらい前に、子供が車の下敷きになる事件があってね。たまたまそこを通りかかった女子高生が、車を持ち上げて助けたそうだ。そして近くにいた同じ年頃の男が、彼女のことを『スチーム娘』と呼んだらしい。なにか心当たりは?」

 ありまくりだ。そのふたりは真理と水貴以外にはありえない。

「は? はぁあああ?」

 オーバーリアクション過ぎたかもしれない。灰枝はおもしろそうににやにやしてる。

 もっとも、敬子ならもっと大げさに驚いたあげく罵倒するだろう。

「で、その……、灰枝さんは、スチーム娘を捜すのが仕事なんですか?」

「うん。そうなんだ。その助けられた子供の両親に頼まれて。ぜひともお礼がしたいと」

 灰枝は、いい話だなあ、といわんばかりの表情だ。

 嘘くさすぎっ! そもそもこの人、探偵というのは真っ赤な嘘で、週刊誌の記者かなんかかもしれない。

「そ、そうなんですか? だけど、残念ながら、あたしはぜんぜん知りません」

 気を落ちつけるため、オレンジジュースをひとくち飲む。

「君がスチーム娘なんじゃないの?」

 ぶううううう。

 今度こそ噴いた。オレンジジュース、灰枝の顔、直撃。

「はわわわ。ご、ごめんなさいっ」

「いやいい。っていうか、図星?」

 灰枝は、ペーパーで顔を拭き拭きしつつ、にやりと笑った。

「ぜんぜんちがいます」

 嘘はついてない。まったく、これっぽっちも。

「だって君、この前、二メートルもジャンプしてたし、ひと蹴りで人間が回った。はっきりいって……」

 灰枝はあたりを見まわし、近くに客やウエイトレスがいないことを確認していった。

「あれは人間を超えてる」

 弁解しようにも、この男は、ビデオにまで撮影してるのだ。おそらく、何度もくり返し見たにちがいない。

 ど、どうしよう?

 これはほっておくと、たいへんなことになりそうだった。

「す、すみません。ちょっと、トイレに」

 そういうと、そそくさとトイレの個室に逃げ込んだ。

 便座の上に座ると、すかさず、スマホで真理に電話する。通じなかった。

 つぎに水貴に電話する。やはり通じなかった。

「水貴先輩、緊急事態です。折り返し連絡下さい」

 留守電サービスに吹き込むと、通話を切った。

 とりあえず、時間を稼がなくっちゃ。

 ひかりはすうっと深呼吸すると、心を落ちつかせ、席に戻った。

「あ、あの。じつは灰枝さんの知らないことがあります」

「ほう?」

 目つきが一瞬で鋭くなった。

「じつは、あたし子供のころから空手を習ってて、達人なんです」

「へえ? つまり、あの超人的なパワーは修行のたまものだと?」

「は、はい。だから、あたし強いんです」

 緊張してみょうに喉が渇いた。オレンジジュースをすする。

「じつは俺も空手やってるんだよね。二段」

「へええ。そうですか?」

「でも二メートルもジャンプできないし、蹴った相手が縦に回転したりしない」

「あ、あたしは、天才なんです」

 無理ありまくり。もう、ごくごくとオレンジジュースを飲む。

「残念、俺は天才じゃないらしい。ところで、君の流派は?」

 流派? そんなものがあるんだ。ええっと、ええっと……。

「講道館?」

「そりゃ、柔道だ」

「さ、最近じゃ、隠れて空手も教えてるんです」

 灰枝は笑い出した。

 あ、あれ? なんか変なこといった?

 そのとき、ビービーと警報のような音が鳴った。

「あれ? 火事ですか? 変な音なってません?」

「いや、なにも聞こえないよ。ごまかし方が下手だなあ、ひかりちゃん」

 え? どういうこと? これってもしかしてあたしにしか聞こえない脳内警報?

 つぎにスマホが鳴った。きっと水貴からの折り返しの電話だ。

 そう思ったひかりはスマホを取った。通話じゃなくてメールだった。しかし、送信先は体内異常通報サービス。

 なにこれ? と思いつつ、開いてみる。

『体内に睡眠薬投入。シャットダウン完了。ただしすでに約十パーセント血液に混入ずみ』

 さらに投入された薬の名称と化学式、それぞれの混合率などが羅列された。

 睡眠薬? そうか、さっきトイレに行った隙に盛られたんだ。

 ひかりはようやく目の前の男が相当危険な男だと悟った。

「灰枝さん。オレンジジュースに薬盛りましたね?」

「え、なんのこと?」

 灰枝はへらへら笑う。

 逃げよう。薬の強さがわからない。たとえ、十パーセントでも眠ってしまうかもしれない。

 実際、急激に眠気が襲ってきた。

 席を立とうとしたとき、足がふらつく。

「なんだ。気分が悪いのかい、ひかりちゃん。今車を呼ぶから、待ってな」

 ひかりは意識を失った。

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