6
「うふふ。たっぷりと辱めてあげる」
薔薇娘のあざけり声とともに、太ももにからみついた触手が、まさに水貴の下着の中にもぐり込もうとしたとき、上からなにか黒いものが絶叫とともに降ってきた。
水貴にはいったいなにが起こったのか、理解できなかったが、それは水貴と薔薇娘のちょうど間の位置に落ちる。七本の薔薇の触手、すべてを断ち切って。
「な?」
薔薇娘の驚愕の叫び。
触手に持ち上げられ、宙に浮いていた水貴の体は、地面に落ちた。
手足にからみついたままの触手は、うねうねと動いているが、もはや締め付ける力もない。
水貴は体を起こした。地面を見ると、男がひとり地面にめり込んでいる。その体のあちこちからは、鎌やトゲのような刃が露出していた。どうやら、そのうちの鎌が薔薇娘の触手を断ち切ったらしい。
かっ! 稲光が暗くなりかけた戦場を照らす。
水貴は走った。どうせ、すぐに薔薇娘は、もう一度触手を絡ませてくる。じっとしている手はない。
「あ、ま、待てっ」
薔薇娘の反応が遅れた。あまりに予期できないハプニングのせいで、思考が一瞬停止したんだろう。
水貴が目指すのは仮設事務所。プレハブの簡単な建物だが、中に入りこめば、薔薇娘は触手を使いづらいはず。そしてもうひとつの狙いもあった。
薔薇娘の触手が迫る。
水貴はプレハブの階段を上り、ドアを開けようとした。とうぜん、鍵が掛かっている。
「ふんっ!」
かまわずこじ開けた。さっき口の中に流れこんだ、ひとくち分ほどの雨のおかげで、それくらいのパワーはひねり出せた。
中に入ると、すかさずドアを閉めるが、触手はドアの上半分にあるガラスを破って侵入してくる。
水貴は事務所内を瞬間的に観察する。
事務机。その上にある書類やパソコン。プリンター。ホワイトボード。ロッカー。そんなものに用はなかった。
簡易流し。それを奥に見つけた。
水貴はからみつこうとした触手を払いのけると、奥に走る。
流しの蛇口をひねるが水は出ない。水は外で止めたというのはほんとうだった。
ふたたび、迫りくる七本の触手。薔薇娘は外にいてこっちの様子はわからないはずなのに、正確に水貴の位置を把握している。なんらかのセンサーがついているのかもしれない。
触手はそれこそ八方から水貴を囲むように包囲する。どこに逃げても、一本がからみつき、動きをとめてから残りが来るという戦法だろう。
次善の策。水貴は流しのそばにあった冷蔵庫を開けた。
水、お茶、あるいはジュース。
なかった。かわりにあったのはビールだった。
「もう、なんでもいいや」
水貴は一リットル缶のプルトップを外すと、口を付けた。
んぐんぐんぐんぐ。
アルコールなど飲んだことのない水貴にとっては変な感じだった。
苦いし、ビールは冷えているのに、なぜか体が熱くなる。ただ、喉を通る爽快感は気持ちいい。
「ぷっはああああ!」
触手がふたつ、左右の足にからみつく。
水貴は気にせず、二本目を飲んだ。三本目を左手に取りつつ。
残念ながら、ゆっくり飲んでいる暇はないようだった。飲みながらも、水貴の体は触手によって、外に引きよせられる。
二本目を飲みきったころ、水貴の体は事務所の外に引っぱりだされ、しかも宙に浮いたままだ。もはや、七本の触手は体のあちこちにからみつき、締め付けている。
「なに飲んでんのよ、あんた?」
下で薔薇娘が怒りの表情を見せる。かまわず、三本目を飲もうとした。
「させるか」
ビールを持った手にからみついた触手が、水貴の口から引き離そうとする。
その瞬間、水貴の腕が太くなった。ヘラクレスのように。
引っぱる触手を振り切り、水貴は三本目を飲む。ごくごくと。
「ぷっはああああ!」
またたく間に飲み干すと、缶を投げすてた。
「ちょ、調子にのってんじゃないわよ」
薔薇娘は触手を伸ばす。たぶん、限界まで伸ばした触手は建物五階分くらいまで水貴の体を押し上げた。そのまま水貴を投げつけた。
水貴は鉄骨の柱にたたきつけられ、全身に激しい痛みと衝撃が走る。
「もう一発」
ふたたび、引っぱられると、ふたたび柱に向かって直撃。
薔薇娘はさらに同じことをくり返そうとした。しかし、水貴は鉄骨の柱にしがみつく。
最初は両手でつかまり、薔薇娘が引きはがそうとするのをやり過ごすと、両足で柱をまたぎ、左右の足首をロックした。
「な?」
あまりに予想外のことだったらしい。薔薇娘は明らかに動揺している。なぜなら渾身の力で引きはがそうとすると、自分の体が浮くからだ。
綱引きは、体重と力で勝るほうが勝つ。それは一般常識だ。だが、縦方向でおこなった場合はどうか? それも片方は体を固定し、片方は地面に立ったまま。
その状態で、綱を引けば、地面に立ったままのほうはつり上げられるしかない。
水貴の体内がかっと燃える。全身の筋肉が膨らんでいく。
な、なんか、いつもより、パワーが?
「そうか。ビールを飲んだからだ。アルコールが入ってるから体内で燃えやすいし、炭酸が入ってる分、熱したときに出る蒸気が多いっ!」
「そ、そんなバカなぁああああっ?」
水貴のひとりごとが聞こえたらしい。薔薇娘がつっこみを入れる。
「たぶん、いつもの五割り増しっ!」
それはハッタリだったが、じっさい力がみなぎってくる。
水貴の裸身が赤く染まり、膨らんだ筋肉からは汗とともに、しゅぴーっと蒸気がほとばしった。
絡まった七本の触手を両手でがっちりとまとめる。
「いえええええええええええっぃ!」
そのまま、振りまわした。脚でがっちり柱を締め付け、腕だけでなく、腰や肩、上半身すべてを使い、まるでハンマー投げのように。
「きゃあああああああああああっ!」
ほとばしる薔薇娘の絶叫。
なにせ、体が建物十階分くらいまで、一瞬のうちに投げ出されたのだ。
しかも大きな円を描きつつ、次の瞬間にはふたたび地面に向かう。
じゃりっ!
地面を擦る音がした。薔薇娘の体のどこかが、当たったらしい。
しかし、水貴はそんなことおかまいなしに振りまわす。もう、勝機はこれしかない。このまま勝負を決めるだけだ。
じゃりっ!
ふたたび、薔薇娘が地面を擦る音。地面にぶち当てるには長さが足りない。
だったら……。
「いっけぇえええええええええっ!」
水貴は狙いを明確に定めた。ぶつけるのは地面じゃなくて、ここだっ!
水貴の筋肉は限界までふくれあがる。
ほとばしる剛力で、遠心力をねじ曲げ、薔薇娘の軌道を変える。
そのまま、最上階あたりの柱に薔薇娘をたたきつけた。
「ぎゃあああああああああああっ!」
悲鳴と同時に、柱を伝って激しい振動と金属音が感じられた。
同時に、手足にからみつき、締め付けていた触手から力がなくなる。するすると水貴の体から離れだした。
水貴のすぐそばを、薔薇娘が落ちていく。
数秒後、下から激しい激突音が鳴り響いた。
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