第3章 サイボーグ娘激闘

 真理が消えてから一ヶ月が過ぎた。

 その間、なにもなかった。

 とうぜんのように犯人から連絡もない。身代金誘拐ではない以上、連絡する意味がないのだ。

 警察も動いているが、なにしろ手がかりがなにひとつない。目撃者でもある水貴は誘拐犯を見ていないし、車のナンバープレートを見る余裕もなかった。見たのは三メートル近くあるサイボーグだけだ。一応この話もしたらしいが、警察は信じなかった。まあ、しょうがない。他にも見たという通報者がひとりやふたりいそうだが、なぜか誰も証言しなかったらしい。誰も見ていないとは思えないが、いっても信じてもらえないと初めから決めつけてるのかもしれない。

 クラスメイトたちは、最初こそ大騒ぎしたが、今では静かなものだ。もともと学校ではいるのかいないのかわからなかった真理だ。入学してまだ日が浅く、つき合いの深い友達もいなかったようだから、忘れ去られようとしているのかもしれない。

 もっとも、水貴とひかりにとっては別だった。

 ひかりにとっては、関わった時間こそ短いが、命の恩人であると同時に、今の体を知りつくしている男である。いなくなられては困るのだ。

 水貴はもっと深刻だろう。ひかり同様の理由もあるだろうが、それ以前に幼なじみであり、つき合いも長い。それどころか、あるいは異性としての感情すら持っているかもしれないのだ。もっとも、水貴自身はそのことを否定しているが……。

 ただ、なにも変化がないということは平和ということでもある。あの謎の探偵はあれ以来現れないし、水貴が見たというサイボーグがどこかで暴れたという話もない。変態チェーンソウ男は刑務所の中だ。

 敬子もしばらくは、あれこれひかりに問いただしたり、自分で事件のことを調べたりしているようだったが、ひかりにも、周辺にも異常が見られないので、そのうち探るのをあきらめたようだ。

 ホームルームが終わり、放課後になった。

 きょうは敬子が風邪で学校を休んでることもあって、なおさらむなしい。さっさと家に帰ることにした。

 学校の敷地から出たとき、ひかりは見覚えのある顔を、すこし離れたところに見つけた。

 浮浪者すれすれの汚い格好に、帽子。あの探偵、灰枝だ。

 灰枝は、ひかりに見られたことに気づいたのか、背を向けると、人ごみにまぎれていく。

 逃がすもんか。

 ひかりはそっちに向かう。走ってとっつかまえて、真理の居場所を聞き出すことも考えたが、目立ちすぎる。それよりこっそり後をつけて、隠れ家をつきとめたほうがよさそうだ。

 ひかりは目立たないように、それでいて逃げられないように足早に歩くと、灰枝を追った。

 どこへ行く気か知らないが、灰枝は駅から離れていく。そのせいで、人ごみからは遠のき、追いやすくなる反面、尾行が見つかりやすくなった。もともとそういうことには慣れていないが、数十メートルほどの距離を保ちつつも、なんとか電柱の陰などに姿を隠しながら、追い続ける。

 なんか変だ。

 違和感が襲う。灰枝はなにをしようとしているのだろう?

 まず、学校を見張っていたのはなぜか? そのあと、脇目もふらずにどこかに向かっているもの変だ。しかもけっこうな距離を歩いている。車もバイクも、自転車すら使わずに。

 罠かもしれない。

 ほんらいおっとり型のひかりも、ようやくその可能性を思いついた。

 つまり、自分をおびき寄せるためにわざと尾行させた。

 急に不安になったひかりは、灰枝を見失わないように気をつけながら、スマホを取り出すと、水貴の番号を呼び出した。

『はい、水貴』

「あ、あたしです。ひかりです。校門のそばでこの前の探偵を見つけました。今、尾行中です」

『なんですって?』

「駅から離れて、さびれたほうに向かってます」

『待って。ひかり、あなたをおびき出してるのかも』

「あたしもそうかもしれないと思って、電話しました。どうしましょう?」

『あたしも今からそっちに向かう。あなたの居場所はGPSでわかるから問題ないわ。いい? そいつがどこかに入っても、ひとりで乗りこまないで、あたしを待つのよ』

「了解です」

『じゃあ、切るわ。見失わないで』

 ひかりはスマホをしまうと、ふたたび灰枝に注意を払う。さいわい、電話に気を取られて、見失ってはいなかった。

 さらに五分ほど歩くと、灰枝は立ち止まった。

 そこは工事現場で、高さ三メートルくらいの仮囲い鋼鈑がそれなりに広い敷地をぐるっと囲んでいた。正面にはパネル状の工事用ゲートがついているが、閉まっている。

 外からでも中に立ち上がっている造りかけの建物が見えた。十数階分はありそうだ。ビルかマンションでも建つんだろう。仮囲いのせいで下は見えないが、上のほうはまだ骨組みがむき出しで、鉄骨の梁の下には、作業用の仮設通路が吊られている。そして外側には目の荒いネットがぐるっと覆っていた。

 まだ五時前なのに、工事の音はしない。きょうは休みなのかもしれない。

 灰枝はパネルゲートに付属した、人間がくぐり抜けるためのドアを開けると、中に入っていった。

 水貴に連絡を入れようかとも思ったが、どうせGPSでこっちの位置はわかってるはず。やめておいた。

 とりあえず、通りから見上げる限り、鉄骨の上には作業員をふくめ、誰もいる気配はない。

 ひかりはちょっと現場に近づき、仮囲いに掛けられている作業予定表を見た。ホワイトボードに週間工事予定が書かれているのだ。なにか進行上の不都合があったのか、ここ数日は工事が止まっているようだ。工事再開予定は三日後になっていた。

 なんにしろあの探偵はなぜこんなところに入ったのか? どう考えても工事関係者ではないし、現場監督が探偵を雇っているとも思えない。

 スマホが鳴った。水貴からだろうと思って、取ってみるとちがった。

『やあ、お嬢ちゃん。俺をつけてきたんだろ?』

 灰枝? やっぱり、気づいてた。というより、罠だったか。

『ちょいと上のほうを見てごらん。鉄骨の一番上のほうだ』

 いわれるがままに見上げてみる。ここから建物までの距離自体はたいしてないが、なにせ高いから上のほうとなるとかなり遠い。体は改造されても、頭部は生身。目はいいどころか近眼のままなのだ。

 とはいえ、眼鏡を掛けているから見えないわけではない。ひかりは一番上の梁からパイプが外に跳ね出すように設置されていて、誰かがそこからロープでつり下げられていることに気づいた。

 ひかりの学校の制服を着ている。女子だ。

「誰?」

 不吉な予感がする。

『なんとなくわかるだろ? きょう、学校を休んだやつがいるよな』

「敬子!」

『ご名答』

「な、なんで……」

 言葉につまった。こんなことまったく予期していないことだった。

『なんでって、餌だよ。ついでにいっておくと、あと二、三分のうちに切れるよ、あれ。仲間を待ってる暇なんてないぜ。助けにいったら?』

「ちょ、ちょっと、待って」

 電話は切れていた。

 いったいなにが……、目的なの?

 とにかく、水貴を待っている暇はない。ひかりはゲートをくぐった。

 いったいどうやって上に行けば?

 鉄骨の柱と梁は組み上がっているが、壁も床もできていないのだ。

 時間はないが、ひかりはまず観察した。建物はゲートから十数メートル奥まったところにあり、鉄骨ははるか上のほうまで組み上がっている。コンクリートの壁ができているのは一階だけだった。外部の仮設足場がぐるっとまわりを囲んでいるが、その高さは二階分までしかなく、上のほうの階で、梁からつり下がっている仮設通路とはつながっていなかった。その上にはどうやっていけば?

 よく見れば、建物の内部には上まで鉄骨の階段が伸びている。仮設じゃなくて、建物自体の階段なんだろう。あれだ。

 ひかりは手に持った鞄をそのへんに放り投げると、外部足場を突っ切り、中の鉄骨階段にたどり着く。そのまま駆け上った。

 かんかんかん。

 自分自身の足音が響く。

 急がなくっちゃ。

 さいわい、体は軽い。体内バッテリーはフル充電ではないが、残りわずかでもない。充分動けるはず。事実、あっという間に距離を縮めていく。

 ふつうの人間が十数階、階段で一気に駆け上がったら、息も絶え絶えになるが、ひかりはそうならない。動く原理がふつうの人間とちがうのだから。

 あと一階分登れば最上階。外部ネットの外に吊られている人影が見える。腕ごと、銅をぐるぐる巻きにされ、ロープの先端はそのまま外に突き出すように設置されたパイプに引っかけられている。猿ぐつわを噛まされていて、目をつぶっているし、暴れてもいないから、たぶん気を失ってるんだろう。この位置、この角度からは、それがほんとうに敬子なのかどうかは確認できなかった。

 足が速まる。最後の折り返しの踊り場に、灰枝がいた。

「おっと、そこで止まれ」

「だって、早くしないと敬子が落ちるって……」

「ああ、あれは嘘だ。安心しろ。落ちないよ。おまえをおびき寄せるために嘘をついた」

「なんですって?」

 いわれてみれば、ロープに切れ目などの異常はないし、それをつっているパイプもきわめて頑丈そうだ。

「敬子は無事なの?」

「ああ、薬で眠ってるだけさ。そのほうがいいだろう? 余計なものを見たら口をふさがなきゃならなくなるしさ」

 余計なものを見たら? いったいなにをする気なの?

「きょう学校を休んだのも風邪じゃない。通学途中を誘拐した。そのあと、母親を語って、風邪で休むと嘘の電話を入れたわけだ」

「敬子をどうするつもり?」

「だからおまえをおびき寄せるのに利用しただけだ。目的は果たしたから、このまま帰すよ」

「ほんと……なんでしょうね、それ?」

「ああ、俺だって必要もないのに、好きこのんで危ない橋は渡らない。俺の役目はおまえをここまでおびき寄せること。つまり、俺の仕事はこれまでってことさ。まあ、逆にいえば、こっから先は、人質に頼る必要もないってことだ」

「……どういうことっ!」

「おまえに会いたいやつがいるってさ」

「いったいなにを……」

 びゅわああっ。

 上から黒いなにかが舞いおりた。もう日が落ちかけた空をバックに、ひらめくそれは巨大なコウモリのようにも見えた。

 ひかりは反射的に遠のく。

 黒いものは、さっきまでひかりがいた踊り場に着地する。舞い広がった羽がゆったりと地に落ちる。

 それは翼ではなくマントだった。足まで届きそうな、長く真っ黒なマント。

 マントに包まれた体は黒いタキシードで着飾られている。さらに高そうな革靴、手には白い手袋。格好だけ見れば紳士だ。だが、ひかりはその顔に見覚えがあった。

「あ、あなたは……」

「ひさしぶりだね、お嬢さん」

 変態男、日本刀男、チェーンソウ男。本名は新聞で読んだはずだけど忘れた。だけど、こいつは刑務所に……。

「だ、脱走したのっ?」

「そうさ。どうしても君を切りきざみたくてね。ひゃあっははははは」

 なぜこの男と灰枝が?

 疑問もあったが、灰枝がこいつのために動いていたのならどうってことない。ここで倒して、敬子を助けるだけだ。

 それにしてもこの男は懲りるということを知らないのか? きょうは凶器すら持ってないようだし。

 パンチ一発で片がつくはず。ひかりはこの一ヶ月、遊んでいたばかりでもない。基本的なパンチやキックの打ち方は水貴に教わった。あのときみたいに、過充電と超パワーの解放に頼っていたら、副作用で体が動かなくなることを学んだし、格闘技の基本を身につければ、普段のパワーでも充分、戦える。もっともそれこそ基本の打撃の打ち方を覚えたくらいだが、こいつにはそれでお釣りがくる。

 ひかりはストレートを相手のボディ狙って放つ。

 それで終わるはずだった。しかし、変態男は信じられないようなすばやい動きでそれをかわすと、逆に腕を伸ばし、ひかりを捕まえようとする。

 ひかりはそれを手で払った。

 そのとき、目の前にある白い手袋からなにかが顔めがけて飛び出した。

「え?」

 それを反射的にかわしたのは、ほとんどまぐれだった。

 それはなにか細長いトゲだった。長さ一メートルはありそうなその槍状のものは、伸びきるとまた、そいつの腕の中に引っこんでいく。

「どういうこと?」

 ひかりは反射的に、男から離れ、距離を取る。

「ひゃははは。特別な体してるのを、自分だけだと思うなよ。俺の全身にはあらゆる凶器が仕込んであるんだよ」

 しゃきーん!

 タキシードを突き破り、全身から刃物が飛び出す。

 肘や膝からは長いトゲ。腕からは死に神の鎌のようなものが外側に伸び、両胸からはドリル、腹からは丸鋸が回転する刃を見せている。

 こ、こいつも、……サイボーグ?

 そうか。こっから先は、人質に頼る必要もないってのは、こういうことか。つまり、人質なんかなくても、あたしを殺せるってことだ。

 変態男、いや「凶器男」は長い舌で、自分の唇を舐めた。

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