麗狼院しずかは研究所の所長室にいた。パソコンや資料、実験体などで埋めつくされた他の部屋とちがい、豪華な応接室といった趣で、立派なデスク、高級品のソファ、壁には絵画や、高そうな酒が置かれた棚。

 もっとも、ほとんどはあちこちの実験室や資料室に出ずっぱりで、この部屋に戻るのは来客があるときくらいである。権力志向が強そうだが、そのじつ、実験バカ、研究バカ、こんな部屋でふんぞり返っているのは性に合わないのだ。

 現についさっきまで、研究室にいた。だから白衣を着ている。もっともきょうは白衣の下はジーンズにシャツといった色気のない格好。エロくないかわりに、きちんともしていない。今合っている男にはその格好で充分だった。

「で、なにかわかったの?」

 デスクに両肘を載せ、目の前で立っている男、灰枝猟太はいえだりょうたに聞く。

「ああ、あんたから依頼を受けていた科学者。見当がついたぜ」

「ほんと?」

 思わず声がはずんだ。

 灰枝は麗狼院が雇った私立探偵。依頼は「スチーム娘」を探し出すか、それを作った科学者のことをつきとめること。

「ああ、数日前、公立高校のすぐそばで、通り魔が生徒を襲ったが返り討ちにあった事件を知ってるだろう?」

「知らない」

 即答。そんなものに興味はない。

「ったく。たまにはニュースくらい見ろよ」

「今はそんな時間がないのよ。追い込みだから。もうすぐ、初の実用型試作品が完成するもんだからね」

「まあ、とにかく、そういう事件があったんだよ。通り魔はチェーンソウを使った。だが、たいしてたくましくもないふつうの女生徒が、二メートルも飛び上がったかと思うと、そいつを飛び蹴りでふっとばした。そいつはぐるんぐるんと回ったね。空中で。しかも、そのとき手放したチェーンソウがその女生徒の頭にふってきた。それを素手で叩き折ったんだ」

「その子がスチーム娘ってこと?」

「俺も最初はそう思った。だが調べてみると、その子の名前は雨神ひかり。なんとその十日ほど前に、同じ相手に日本刀で刺され、病院に担ぎ込まれた少女だった」

「つまり、……そのとき、改造されたの?」

「俺もそう思った。それで、その病院のことを調べてみた。大きな病院で相当もうかってるようだ。ただ院長のひじりは経営者としては有能だが、医者としては平凡らしい。だが、おもしろいことがわかった。女房のほうがロボット工学の権威で、工学博士。大企業からかなりの研究費をぶんどってるらしいし、病院内にそっち方面の研究室もある。さらに興味深いことに、息子の真理だが、こいつは高校生で襲われたひかりの同級生。まあ、それはいいとして、やつのIQは800」

「800ですってっ?」

 麗狼院は心底驚愕した。自分のIQは400。正直いって、自分よりIQ値が高いやつも、客観的に見て、自分より明らかに頭がよいと思ったやつも、今までまわりにはただのひとりもいなかった。それがIQ800だと?

「しかも、俺の探りによると、そいつは無免許ながら、病院で外科手術をやっているらしい。もちろん無免許だし、極秘だが、たしかなようだ。しかも、その技術は機械のように正確でスピーディ。頭だけでなく、そっちでも超天才だ。母親の研究も手伝っているらしい。というか、俺の読みではむしろこいつがメインで母親が助手だ。もっとも表向きは息子は関与してないんだろうがな。それだけじゃない。スチーム娘の目撃証言によると、サイボーグをスチーム娘と呼んだやつはまだ十代の男、というか少年だった。まあ、まちがいなく、そいつこそがあんたの探してる天才科学者だろうぜ」

「でかしたわ。となると、スチーム娘は?」

「さあな。そいつはまだわからねえ。雨神ひかりは改造された時期から考えて、あんたの探してるスチーム娘ではありえないからな。だが、おそらく彼女はスチーム娘を超える『最新型』だ」

「最新型ですって?」

 麗狼院は唇を噛んだ。

 自分はようやく実用段階の試作品第一号を完成しようとしているところなのに、そいつはすくなくとも二体目を完成している。

「もっとも最新型だからといって、スチーム娘以上の完成度があるとは限らないけどな。スチーム娘は車を持ち上げたそうだが、雨神ひかりは俺の見た限りではそこまでのパワーはなさそうな気がする」

「そんなもの当てになるもんですか」

 たんに力をセーブしていただけかもしれない。そもそも人間を倒すのに、車を持ち上げるだけのパワーなど必要ないのだ。

「じゃ、あんたが自分の目で判断してくれ」

 灰枝は小型ビデオカメラを差し出した。

「撮影したの?」

「ああ、まあ、途中からだけどな」

「でかしたわっ」

 この研究とは縁のない部屋にも、ノートパソコンの一台くらいはデスクの上にある。麗狼院はそれを立ち上げると、ビデオを接続した。モニターに映像が映し出される。

 ロングコートを着た男がチェーンソウを振り上げている。手前には制服姿の女子高生。どちらかといえば小柄で腕や脚も細い。顔は見えないが、髪の毛は三つ編みのお下げ。運動部というより文学少女風だ。

 灰枝のいったとおり、男はチェーンソウで襲いかかる。まるでバットでも振るかのように。

 少女は飛んだ。男の頭よりも高く。

 麗狼院は、いったん映像を止める。正確な高さを知っておきたかったからだ。

 まわりに映っているブロック塀から計算すると、足の位置でちょうど二メートルほど。ただまっすぐ上にジャンプしただけだから、走り高跳びの要領で跳ぶなら、もっと高い記録が出るはず。

 このジャンプ力から、ひかりのパワーを計算しようとしたが、やめた。データさえそろっていれば、その程度は暗算でもすぐに出るが、体重がわからない。見た目程度の重さなのか、あるいは機械化されている分重いのか、それすらも見当がつかない。

 画像をふたたび再生する。

 雨神ひかりのキックが男の顔面に炸裂。ほんとにそいつは縦に回った。

 こっちは計算できる。男の体重はおよそ六五キロから七〇キロ程度。さらに飛んだ距離。回転するスピード。スローで再生して確認した。

 出た結果、ひかりのパワーは、人間の限界を超えている。

 しかもパワーだけじゃない。敏捷性がある。スチーム娘のパワーの源が蒸気だとすると、力こそ出ても、スピードはあまりないはず。つまり、こいつはべつの原理で動いている。

「たしかにこいつはスチーム娘じゃないようね。馬鹿力だけじゃないんだ。動きが速い」

「ふ~ん? 俺にはよくわからないが、つまり最新型はスチーム娘より、上?」

「ええ、あきらかに高性能よ。つまり、こいつから比べれば、スチーム娘は旧式。試作品に過ぎないってこと。蒸気の力なんて使っていないんだわ」

「じゃあ、こいつはなんで動いてるんだ?」

 即答できなかった。なにか自分の知らない素材や装置を使っているのかもしれない。

「こいつをさらおう。解剖するのよ」

「さらう? どうやって? すくなくとも俺には無理だ。そういうことは専門じゃないし、こいつ化け物みたいに強いぞ」

 たしかにそうだ。かといって、研究所員にはなおさら無理だ。組織に力を借りればなんとかなるだろうが、それは避けたい。その聖真理とかいう高校生が自分よりはるかに優秀な科学者だとばれれば、自分は捨てられるかもしれない。あくまで、組織には秘密で、あの力の謎を解き明かさなくてはならない。

「だったら薬でも使えば?」

「おいおい。俺はただの探偵だ。カメラや盗聴器は持っていても、ヤク、武器、その他ヤバいものは持ってないぞ」

「そんなものいくらでも段取りしてあげる。いや、それより聖真理のほうをさらうほうが簡単かしら? ひょっとすると、そのときスチーム娘のほうの正体もわかるかもね」

「おいおい、どっちにしろ、それを俺にやらせるのか? あの超人少女を敵にまわすのはいやだぜ」

「ふたりがそばにいないときを狙えばいいじゃない? それに心配いらないわ。もう数日待てば、こっちもサイボーグの試作品が使える。完成度は低いけど、戦いには向いてるやつよ。そいつを助っ人につける。うまくいくなら、両方さらえばいいわ。うちの警備員にも手伝わせる」

「かあ、俺もいよいよ誘拐犯かよ。割り増し手当、頼むぜぇ」

「ふん。言い値ではらってあげるわよ。成功すればね」

「マジかよ?」

 灰枝の顔がだらしなくゆるむ。

 この男の性格は熟知している。案外、分をわきまえているのだ。こっちの力も知っているし、この先もつき合っていきたいと思っている。だから、言い値とはいえ、むちゃくちゃな要求はしてこない。

「じゃあ、よろしく頼むぜ。詳しい話は、あんたのサイボーグができてからだな?」

「ええ、楽しみにしてなさい」

 灰枝は上機嫌で部屋を出た。

 だが、麗狼院はそれ以上に機嫌がよかった。もうすぐ、秘密がわかる。人間並みの動きしつつ、人間離れしたパワーを持つサイボーグの秘密が。

 麗狼院はひとり高笑いした。狂ったようにいつまでも。

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