5
水貴に連れてこられた部屋は、スポーツジムのようなところだったが、ウエイトトレーニングの器具などのわきには、机が置かれ、そこにはパソコンなどの機械がところせましと立ち並んでいる。その机で待ちかまえていたのは白衣姿の真理だった。
「遅えぞ、水貴」
「うるさいなあ。女のしたくは時間が掛かるの。世界の常識よ」
「あ、あのぅ、なにをするんですか?」
ひかりはちょっと不安になった。
「なにって、データ取るんだよ。筋力とか持久力とかの」
真理はなにをあたりまえのことを聞くんだとばかりの顔だ。
「データ?」
「おまえの筋肉も内臓もぜんぶ人工物だ。どれくらいの能力があるか知っとかないと、危険だろ?」
いわれてみれば、ここに来るまでの間、ちょっと歩いただけだが、みょうに体が軽い気がした。体重が軽くなったわけではなさそうだし、たぶん筋力がアップしたせいなんだろう。
「まず、水貴が見本を見せるから、その通りにやってくれ」
「なにからやる?」
「じゃあ、スクワットから行くか?」
「オッケー。水ちょうだい」
真理は机のそばにある巨大冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、水貴に投げた。
どう見ても一リットルはありそうな水を、水貴はごくごくとあっという間に飲み干す。
「そんなに喉が渇いてたんですか?」
ひかりが呆気にとられていうと、真理が笑った。
「ま、水貴は『スチーム娘』だからな」
「は?」
まったく意味不明だったが、水貴は明らかに気分を害したようだ。
「うるさいなあ。真理がそういうふうに作ったんでしょうが」
「どういう意味ですか?」
水貴のかわりに真理が説明する。
「水貴の構造はおまえのとちがって旧式なんだ。人工筋肉には二種類あって、ひとつはおまえのと同様電気刺激で伸び縮みするが、おまえの体につかってるやつほどパワーが出ない。まあ、それでも一般人以上の力は出るんだが、飛び抜けてるわけでもない。それじゃあ、つまらないだろ? だから、水貴にはもうひとつべつの筋肉が仕込まれてる。名付けてスチーム筋肉だ」
「スチーム筋肉?」
「そうだ。体内で水を高温で水蒸気に変えて、それを筋肉組織に送りこむ。まあ、蒸気機関車みたいなもんだが、その力はバカにできない」
そりゃ、蒸気機関車はあんな重い車体を引っぱるけど……。
「まあ、見てりゃわかるよ」
水貴は、ふんと鼻を鳴らし、真理に背を向けると、ウエイトトレーニング器具のところまでいった。高さ一メートルくらいのところにバーベルが引っかかってるが、その左右についてる重りは馬鹿でかい上に何重にもなっている。なんというか異様だ。
「な、なんか、こんなすごいバーベルって、見たこともないんだけど。いったい何キロあるの、これ?」
「なに、ほんの五百キロだ」
「五百キロぉおお?」
「驚くな。ほんの小手調べだ」
水貴はバーベルの下でしゃがむと、バーを肩に乗せ、両手でつかむ。
見る見る水貴の顔が真っ赤になっていった。
そりゃそうだよねえ。っていうか、あんな重いもの、ほんとに持ち上がるのかな?
ひかりがそう思いながらながめていると、みょうにまわりが暑くなっていく。体が汗ばんできたが、水貴はさらに汗でだくだくだった。
「体内の炉に点火した」
真理の解説が聞こえたが、よくわからない。
「え?」
水貴の細身の脚がみょうに膨らんだ気がした。それこそプロレスラー並みに。
き、気のせいだよね?
「スチーム筋肉の弱点は、最初のパワーが出るまで、すこし時間が掛かることだ。しかし、いったん体が温まり、水蒸気がたまれば……」
「ふん」
かけ声とともに、水貴の脚は伸びきった。
えええっ? ほんとに上がった?
だが、そこからはすごかった。水貴はまるでなにもかついでいないかのように、立つのとしゃがむのをすごいスピードでくり返す。
真理がいったように、最初はパワーが出るまで時間が掛かったが、それ以降は続けて力が発揮できるらしい。
汗とともに、全身から湯気が立っている。それも異様なほどに。
だから、スチーム娘かぁ。
真理がからかい半分にいったことだが、なんか納得できてしまう。
ピピピピという電子音がパソコンから断続的に鳴り響く。
ひかりがのぞき込むと、モニターにはすごいスピードでデータが書き込まれていた。
「水貴の体から、データが無線で書き込まれているんだ」
その数値は、ひかりにはまったくわからなかったが、満足そうにながめている真理の表情からすると、いい結果なのだろう。
「よし、もういいぞ」
そのひとことに、水貴はバーベルを器具に掛けた。
水貴のパンプアップした太ももは、もとのスレンダーなものにもどっていたが、しゅうしゅうと音を立てながら蒸気が吹き出ている。全身はそれこそプールから上がったばかりのように汗まみれで、皮膚はゆでだこのように真っ赤だ。息は上がっているが、吐く息も水蒸気が多量に混ざっているらしく、曇っている。
見るからに暑苦しいだけでなく、じっさいに水貴のそばは室温が上がっていた。まさに人間ストーブ、加湿器つき。
「水ちょうだい」
真理がふたたび冷蔵庫からペットボトルを放ると、水貴は喉を鳴らしてあっという間に飲み干した。
「データを見る限り、今回も問題ないな」
どうやら、身体に異常がないか調べるために、定期的にデータを取っているらしい。
「じゃあ、ひかり、同じことをやって」
「ええ? あたしにもあれを持ち上げろっていうの?」
無理だ。ぜったいに不可能だ。
「心配すんな。おまえは水貴みたいに汗まみれ、蒸気まみれにはならない。筋肉が新型だから」
「じゃ、じゃあ、……どうなんの?」
「べつに、とくになにも起こらんはずだ。理論的には」
なにその奥歯にものがはさまったようないい方は?
「あたしんときも、同じようなこといわれた」
水貴が口をはさんだ。
……で、結果はあれなわけ?
「まあ、なにせ新型。つまり、はじめてのことだ。やってみないとわからんこともある」
「そんな無責任な」
「しょうがないだろ。むしろ、ここにいる間にいろいろ試してみないと、あとで困ることになるぞ」
「まあ、そうかも。……もう一度聞くけど、あたしの筋肉の原理はどんなんだっけ?」
聞いてもたぶんわからないだろうが、念のために聞いてみた。
「電気だ。人工筋肉は特殊な金属素材で、直流電流を流す向きによって伸びたり縮んだりする。その伸び率は電圧に比例する。水貴に使ってるスチーム筋肉以外の筋肉も、同じ原理だが、一定以上の電圧の場合はそれ以上反応しない。しかし、おまえのは新素材で上限がでかい。つまり、高圧電流を流せば流すほど強くなるってことだ。しかも柔らかいがしなやか、強い荷重や衝撃を受けたり、鋭利な刃物で斬りつけられたりしても、切れたりすることはほとんどない。弾丸すらはじき返す」
……き、聞かなきゃよかった。
「ちなみに体内バッテリーの容量も水貴のとは桁が違う。もっとも、今はたいして充電されてないはずだから、それほどのパワーは出ないだろう。それでもあれくらいはなんとか持ち上がるはずだ」
ほんとかなぁ。あれくらいってかんたんにいうけど、たぶん、そこらの高校生なら、男子五人がかりでも上がんないよ、あれ。
「とりあえず、やってみないさいよ。あたしもちょっと興味あるし」
水貴に背中を叩かれ、ひかりはとりあえず、バーベルのところまで行くと、しゃがんだ。バーを両手で握り、肩に乗せる。
「ええっい」
気合いを入れて、脚を踏ん張る。肩にずっしりと重みが掛かった。
ひえええええ。ほんとに、これ上がるのぉおお?
なんとか脚を伸ばそうにも、ぷるぷると震え、いっこうに立ち上がれない。
「あ、上がんないよぉ」
「おかしいな? そんなはずはないんだが」
真理は怪訝な顔をするが、無理なものは無理。
「気合いが足りないんじゃないの?」
水貴が勝手なことをいう。さらにモニターをのぞき込んだ。
「データは?」
「ううむ。これくらいバッテリー残量があれば、もっとパワーが出るはずだが? 新素材筋肉の高電圧実験では成功してるんだし」
「リミッターが掛かって、電圧が上がらないんじゃないの?」
「リミッター? 体が壊れない程度には設定してるが、もっと上限は上のはずだぞ。設定をまちがえたか?」
真理がなにやらキーボードをかちゃかちゃと叩く。
「ほんとだ。リミッターが効いてる。解除。……あれ、解除できねえ?」
「あ、あのう、そんなことどうでもいいですから、……助けてぇえええ。立つこともバーベル掛けることもできないよぉ」
ひかりは必死で訴えた。まさにしゃがんだまま、固まってしまった。しかも加重は肩に掛かったまま。
「しょうがないなぁ」
水貴がひかりのところまで来ると、バーを掴み、ひょいと持ち上げ、金具に掛けた。
「ふうぅ。死ぬかと思った」
ひかりは床にへたり込む。
「わりい、ひかり。リミッターが効いてる上に、無線でそれを解除できねえ。それ以上のパワーが出せない」
真理はこの世の終わりとばかりに、ひかりにあやまったが、よく考えてみれば、ひかりにはスーパーパワーなんて必要ない。
っていうか、そんなものはないほうがいいんじゃないだろうか?
「しょうがねえ。とりあえず、ウエイトを減らして試してみるか」
ウエイトを外して、何度か試した結果、ひかりに上げられる限界は二百キロほどだった。
「ち、これじゃあ、力自慢の男と大差ないな」
真理は非常に悔しそうだ。もっともひかりとしては、それでももてあます。きっと校内では水貴のつぎに強くなってしまった。
「と、とにかく、他のデータも取るぞ」
真理のひと言で、ひかりは水貴とともに、さまざまな運動データ取りにチャレンジ。
ベンチプレス。ランニング。垂直跳び。反復横跳び。握力……などなど。
いずれも女子高生としてはずばぬけた数値だったが、人類の限界を超えたかというとそれほどまでのものでもない。一方、水貴は超人パワーだった。とくに怪力という点ではオリンピックのメダリストだろうが、足もとにも及ばない。ただ、敏捷性という点では一般人と大差なく、反復横跳びなどはひかりのほうが上だった。
もっとも水貴がパワー全開すると、汗まみれ、湯気だらけになる上、事前と事後に大量の水を補給しないといけないのに対し、ひかりのほうはほとんど汗ひとつかいてない。エネルギー効率は非常にいいようだ。
「なあ、一回人工皮膚を切り裂いて、中の電圧リミッター交換していいか?」
「だめっ」
真理の提案を即答で拒否した。
「いや、またあのカプセルはいれば、傷跡も残んねえし……」
「だって、今でもふつうの女子高生離れした強さなのに、これ以上強くなってどうすんのよ」
「え、マジかよ?」
真理はそんなことをいうひかりを信じられないといった顔で見る。
ひかりはその場でくるっとターンした。
「ほら、体がふつうに動く。それでいいじゃない。べつに悪と戦うわけでもないし」
「ま、そうだよねぇ」
水貴が苦笑した。
「ち、しょうがねえな。じゃあ、退院手続き取るよ。つっても、肉親も面会謝絶の重症から、急に元気になっても変だから、あと数日は待て。面会に来た親や友達には、ベッドで弱ってるふりしとけよ」
「うん、わかった」
「それと体になにか異常があったら、すぐに俺に連絡しろ」
「うん」
「あと、体のことで、男に話せないことがあったら、あたしに相談して」
「ありがとうございます、水貴先輩」
「できた。できた。真理、できたわよぉお!」
けたたましい叫び声とともに、ひとりの女性が部屋に飛びこんできた。
見た目は、二十歳そこそこ、小柄で髪の毛は縦ロール。そこらのお姉ちゃんにしか見えないが、白衣を着ているから研究所のスタッフらしい。ただ、その白衣にはいろんな染みが付きまくっているが、まったく気にしているそぶりはない。足にはとうぜんのようにスニーカー。もちろん汚れている。
「母さん、さわがしいぞ」
「え、母さん?」
ひかりは思わずまじまじと彼女の顔を見つめた。どう見ても、年齢が……。
「ああ、これでも、四十歳だ。ついでにIQは200で、工学博士でもある」
「ええええ?」
IQ200よりも、むしろ四十歳に驚いた。とてもそうは見えない。童顔にもほどがあるだろう。
「うふふ。よろしく。理科子って呼んでね。それはそうと、ひかりちゃん。いいもの上げる」
理科子は子供のような笑みを浮かべ、ひかりに腕時計を見せた。ただし、女性用の小型のものではなく、男物のロレックスのようにごつくて丸いデザインのアナログ時計。
「これはただの腕時計じゃないのよ。充電器」
「へ?」
「ほうら、こうしてね」
なにやら操作すると、時計からワイヤーが伸びた。先端は細い金具になっている。
「これにアタッチメントをつけると……」
そういいながら、プラグの先に繋いだ。
「これをコンセントに挿すと、充電開始するの。それだけじゃないのよ。ここを押すと」
飛び出しているボタンの一つを押すと、金具のついたワイヤーが飛び出した。べつのボタンを押すと、しゅるるると収納される。
「今みたいに、充電端子を飛ばせるのよ。たとえば、街中だと電線にからめると、充電できるわ。どんな電圧でもだいじょうぶ。機械が変圧してくれるから。たとえ、高圧電流でも、バッテリーに直結されてるから、脳やその他には影響でないし」
理科子はそれがどんなにすごいことかといわんばかりだ。
「すごいね。さすが、俺の母さんだ」
真理がそういうと、理科子は子猫のようにうれしがった。
これをコンセントに挿すのかぁ。寝てるときは、引っぱって外れそうだから、部屋で本とか読んでるときがいいのかな?
そんなことを考えていると、ようやく、サイボーグとしての第二の人生がはじまった実感が湧いてきた。
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