水貴に連れてこられた部屋は、スポーツジムのようなところだったが、ウエイトトレーニングの器具などのわきには、机が置かれ、そこにはパソコンなどの機械がところせましと立ち並んでいる。その机で待ちかまえていたのは白衣姿の真理だった。

「遅えぞ、水貴」

「うるさいなあ。女のしたくは時間が掛かるの。世界の常識よ」

「あ、あのぅ、なにをするんですか?」

 ひかりはちょっと不安になった。

「なにって、データ取るんだよ。筋力とか持久力とかの」

 真理はなにをあたりまえのことを聞くんだとばかりの顔だ。

「データ?」

「おまえの筋肉も内臓もぜんぶ人工物だ。どれくらいの能力があるか知っとかないと、危険だろ?」

 いわれてみれば、ここに来るまでの間、ちょっと歩いただけだが、みょうに体が軽い気がした。体重が軽くなったわけではなさそうだし、たぶん筋力がアップしたせいなんだろう。

「まず、水貴が見本を見せるから、その通りにやってくれ」

「なにからやる?」

「じゃあ、スクワットから行くか?」

「オッケー。水ちょうだい」

 真理は机のそばにある巨大冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、水貴に投げた。

 どう見ても一リットルはありそうな水を、水貴はごくごくとあっという間に飲み干す。

「そんなに喉が渇いてたんですか?」

 ひかりが呆気にとられていうと、真理が笑った。

「ま、水貴は『スチーム娘』だからな」

「は?」

 まったく意味不明だったが、水貴は明らかに気分を害したようだ。

「うるさいなあ。真理がそういうふうに作ったんでしょうが」

「どういう意味ですか?」

 水貴のかわりに真理が説明する。

「水貴の構造はおまえのとちがって旧式なんだ。人工筋肉には二種類あって、ひとつはおまえのと同様電気刺激で伸び縮みするが、おまえの体につかってるやつほどパワーが出ない。まあ、それでも一般人以上の力は出るんだが、飛び抜けてるわけでもない。それじゃあ、つまらないだろ? だから、水貴にはもうひとつべつの筋肉が仕込まれてる。名付けてスチーム筋肉だ」

「スチーム筋肉?」

「そうだ。体内で水を高温で水蒸気に変えて、それを筋肉組織に送りこむ。まあ、蒸気機関車みたいなもんだが、その力はバカにできない」

 そりゃ、蒸気機関車はあんな重い車体を引っぱるけど……。

「まあ、見てりゃわかるよ」

 水貴は、ふんと鼻を鳴らし、真理に背を向けると、ウエイトトレーニング器具のところまでいった。高さ一メートルくらいのところにバーベルが引っかかってるが、その左右についてる重りは馬鹿でかい上に何重にもなっている。なんというか異様だ。

「な、なんか、こんなすごいバーベルって、見たこともないんだけど。いったい何キロあるの、これ?」

「なに、ほんの五百キロだ」

「五百キロぉおお?」

「驚くな。ほんの小手調べだ」

 水貴はバーベルの下でしゃがむと、バーを肩に乗せ、両手でつかむ。

 見る見る水貴の顔が真っ赤になっていった。

 そりゃそうだよねえ。っていうか、あんな重いもの、ほんとに持ち上がるのかな?

 ひかりがそう思いながらながめていると、みょうにまわりが暑くなっていく。体が汗ばんできたが、水貴はさらに汗でだくだくだった。

「体内の炉に点火した」

 真理の解説が聞こえたが、よくわからない。

「え?」

 水貴の細身の脚がみょうに膨らんだ気がした。それこそプロレスラー並みに。

 き、気のせいだよね?

「スチーム筋肉の弱点は、最初のパワーが出るまで、すこし時間が掛かることだ。しかし、いったん体が温まり、水蒸気がたまれば……」

「ふん」

 かけ声とともに、水貴の脚は伸びきった。

 えええっ? ほんとに上がった?

 だが、そこからはすごかった。水貴はまるでなにもかついでいないかのように、立つのとしゃがむのをすごいスピードでくり返す。

 真理がいったように、最初はパワーが出るまで時間が掛かったが、それ以降は続けて力が発揮できるらしい。

 汗とともに、全身から湯気が立っている。それも異様なほどに。

 だから、スチーム娘かぁ。

 真理がからかい半分にいったことだが、なんか納得できてしまう。

 ピピピピという電子音がパソコンから断続的に鳴り響く。

 ひかりがのぞき込むと、モニターにはすごいスピードでデータが書き込まれていた。

「水貴の体から、データが無線で書き込まれているんだ」

 その数値は、ひかりにはまったくわからなかったが、満足そうにながめている真理の表情からすると、いい結果なのだろう。

「よし、もういいぞ」

 そのひとことに、水貴はバーベルを器具に掛けた。

 水貴のパンプアップした太ももは、もとのスレンダーなものにもどっていたが、しゅうしゅうと音を立てながら蒸気が吹き出ている。全身はそれこそプールから上がったばかりのように汗まみれで、皮膚はゆでだこのように真っ赤だ。息は上がっているが、吐く息も水蒸気が多量に混ざっているらしく、曇っている。

 見るからに暑苦しいだけでなく、じっさいに水貴のそばは室温が上がっていた。まさに人間ストーブ、加湿器つき。

「水ちょうだい」

 真理がふたたび冷蔵庫からペットボトルを放ると、水貴は喉を鳴らしてあっという間に飲み干した。

「データを見る限り、今回も問題ないな」

 どうやら、身体に異常がないか調べるために、定期的にデータを取っているらしい。

「じゃあ、ひかり、同じことをやって」

「ええ? あたしにもあれを持ち上げろっていうの?」

 無理だ。ぜったいに不可能だ。

「心配すんな。おまえは水貴みたいに汗まみれ、蒸気まみれにはならない。筋肉が新型だから」

「じゃ、じゃあ、……どうなんの?」

「べつに、とくになにも起こらんはずだ。理論的には」

 なにその奥歯にものがはさまったようないい方は?

「あたしんときも、同じようなこといわれた」

 水貴が口をはさんだ。

 ……で、結果はあれなわけ?

「まあ、なにせ新型。つまり、はじめてのことだ。やってみないとわからんこともある」

「そんな無責任な」

「しょうがないだろ。むしろ、ここにいる間にいろいろ試してみないと、あとで困ることになるぞ」

「まあ、そうかも。……もう一度聞くけど、あたしの筋肉の原理はどんなんだっけ?」

 聞いてもたぶんわからないだろうが、念のために聞いてみた。

「電気だ。人工筋肉は特殊な金属素材で、直流電流を流す向きによって伸びたり縮んだりする。その伸び率は電圧に比例する。水貴に使ってるスチーム筋肉以外の筋肉も、同じ原理だが、一定以上の電圧の場合はそれ以上反応しない。しかし、おまえのは新素材で上限がでかい。つまり、高圧電流を流せば流すほど強くなるってことだ。しかも柔らかいがしなやか、強い荷重や衝撃を受けたり、鋭利な刃物で斬りつけられたりしても、切れたりすることはほとんどない。弾丸すらはじき返す」

 ……き、聞かなきゃよかった。

「ちなみに体内バッテリーの容量も水貴のとは桁が違う。もっとも、今はたいして充電されてないはずだから、それほどのパワーは出ないだろう。それでもあれくらいはなんとか持ち上がるはずだ」

 ほんとかなぁ。あれくらいってかんたんにいうけど、たぶん、そこらの高校生なら、男子五人がかりでも上がんないよ、あれ。

「とりあえず、やってみないさいよ。あたしもちょっと興味あるし」

 水貴に背中を叩かれ、ひかりはとりあえず、バーベルのところまで行くと、しゃがんだ。バーを両手で握り、肩に乗せる。

「ええっい」

 気合いを入れて、脚を踏ん張る。肩にずっしりと重みが掛かった。

 ひえええええ。ほんとに、これ上がるのぉおお?

 なんとか脚を伸ばそうにも、ぷるぷると震え、いっこうに立ち上がれない。

「あ、上がんないよぉ」

「おかしいな? そんなはずはないんだが」

 真理は怪訝な顔をするが、無理なものは無理。

「気合いが足りないんじゃないの?」

 水貴が勝手なことをいう。さらにモニターをのぞき込んだ。

「データは?」

「ううむ。これくらいバッテリー残量があれば、もっとパワーが出るはずだが? 新素材筋肉の高電圧実験では成功してるんだし」

「リミッターが掛かって、電圧が上がらないんじゃないの?」

「リミッター? 体が壊れない程度には設定してるが、もっと上限は上のはずだぞ。設定をまちがえたか?」

 真理がなにやらキーボードをかちゃかちゃと叩く。

「ほんとだ。リミッターが効いてる。解除。……あれ、解除できねえ?」

「あ、あのう、そんなことどうでもいいですから、……助けてぇえええ。立つこともバーベル掛けることもできないよぉ」

 ひかりは必死で訴えた。まさにしゃがんだまま、固まってしまった。しかも加重は肩に掛かったまま。

「しょうがないなぁ」

 水貴がひかりのところまで来ると、バーを掴み、ひょいと持ち上げ、金具に掛けた。

「ふうぅ。死ぬかと思った」

 ひかりは床にへたり込む。

「わりい、ひかり。リミッターが効いてる上に、無線でそれを解除できねえ。それ以上のパワーが出せない」

 真理はこの世の終わりとばかりに、ひかりにあやまったが、よく考えてみれば、ひかりにはスーパーパワーなんて必要ない。

 っていうか、そんなものはないほうがいいんじゃないだろうか?

「しょうがねえ。とりあえず、ウエイトを減らして試してみるか」

 ウエイトを外して、何度か試した結果、ひかりに上げられる限界は二百キロほどだった。

「ち、これじゃあ、力自慢の男と大差ないな」

 真理は非常に悔しそうだ。もっともひかりとしては、それでももてあます。きっと校内では水貴のつぎに強くなってしまった。

「と、とにかく、他のデータも取るぞ」

 真理のひと言で、ひかりは水貴とともに、さまざまな運動データ取りにチャレンジ。

 ベンチプレス。ランニング。垂直跳び。反復横跳び。握力……などなど。

 いずれも女子高生としてはずばぬけた数値だったが、人類の限界を超えたかというとそれほどまでのものでもない。一方、水貴は超人パワーだった。とくに怪力という点ではオリンピックのメダリストだろうが、足もとにも及ばない。ただ、敏捷性という点では一般人と大差なく、反復横跳びなどはひかりのほうが上だった。

 もっとも水貴がパワー全開すると、汗まみれ、湯気だらけになる上、事前と事後に大量の水を補給しないといけないのに対し、ひかりのほうはほとんど汗ひとつかいてない。エネルギー効率は非常にいいようだ。

「なあ、一回人工皮膚を切り裂いて、中の電圧リミッター交換していいか?」

「だめっ」

 真理の提案を即答で拒否した。

「いや、またあのカプセルはいれば、傷跡も残んねえし……」

「だって、今でもふつうの女子高生離れした強さなのに、これ以上強くなってどうすんのよ」

「え、マジかよ?」

 真理はそんなことをいうひかりを信じられないといった顔で見る。

 ひかりはその場でくるっとターンした。

「ほら、体がふつうに動く。それでいいじゃない。べつに悪と戦うわけでもないし」

「ま、そうだよねぇ」

 水貴が苦笑した。

「ち、しょうがねえな。じゃあ、退院手続き取るよ。つっても、肉親も面会謝絶の重症から、急に元気になっても変だから、あと数日は待て。面会に来た親や友達には、ベッドで弱ってるふりしとけよ」

「うん、わかった」

「それと体になにか異常があったら、すぐに俺に連絡しろ」

「うん」

「あと、体のことで、男に話せないことがあったら、あたしに相談して」

「ありがとうございます、水貴先輩」

「できた。できた。真理、できたわよぉお!」

 けたたましい叫び声とともに、ひとりの女性が部屋に飛びこんできた。

 見た目は、二十歳そこそこ、小柄で髪の毛は縦ロール。そこらのお姉ちゃんにしか見えないが、白衣を着ているから研究所のスタッフらしい。ただ、その白衣にはいろんな染みが付きまくっているが、まったく気にしているそぶりはない。足にはとうぜんのようにスニーカー。もちろん汚れている。

「母さん、さわがしいぞ」

「え、母さん?」

 ひかりは思わずまじまじと彼女の顔を見つめた。どう見ても、年齢が……。

「ああ、これでも、四十歳だ。ついでにIQは200で、工学博士でもある」

「ええええ?」

 IQ200よりも、むしろ四十歳に驚いた。とてもそうは見えない。童顔にもほどがあるだろう。

「うふふ。よろしく。理科子って呼んでね。それはそうと、ひかりちゃん。いいもの上げる」

 理科子は子供のような笑みを浮かべ、ひかりに腕時計を見せた。ただし、女性用の小型のものではなく、男物のロレックスのようにごつくて丸いデザインのアナログ時計。

「これはただの腕時計じゃないのよ。充電器」

「へ?」

「ほうら、こうしてね」

 なにやら操作すると、時計からワイヤーが伸びた。先端は細い金具になっている。

「これにアタッチメントをつけると……」

 そういいながら、プラグの先に繋いだ。

「これをコンセントに挿すと、充電開始するの。それだけじゃないのよ。ここを押すと」

 飛び出しているボタンの一つを押すと、金具のついたワイヤーが飛び出した。べつのボタンを押すと、しゅるるると収納される。

「今みたいに、充電端子を飛ばせるのよ。たとえば、街中だと電線にからめると、充電できるわ。どんな電圧でもだいじょうぶ。機械が変圧してくれるから。たとえ、高圧電流でも、バッテリーに直結されてるから、脳やその他には影響でないし」

 理科子はそれがどんなにすごいことかといわんばかりだ。

「すごいね。さすが、俺の母さんだ」

 真理がそういうと、理科子は子猫のようにうれしがった。

 これをコンセントに挿すのかぁ。寝てるときは、引っぱって外れそうだから、部屋で本とか読んでるときがいいのかな?

 そんなことを考えていると、ようやく、サイボーグとしての第二の人生がはじまった実感が湧いてきた。

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