あまり広くもないところに、ぎっしりと専門書のつまった本棚、複数のコンピューターが詰め込まれた研究室。数体の作り損ねたロボットが放置されている。数名の研究所員たちが、実験データを取ったり、計算をしたりしていた。

 そこの一番奥まったデスクで、ちょっと、ところどころ癖毛でくるんくるんと巻いている長~い黒髪をした女、麗狼院れいろういんしずかは悩んでいた。

 彼女は三十歳の熟れきったダイナマイトボディを面積の少ない黒いビキニの水着で気持ちだけ隠した上に、なぜか白衣を羽織っている。

 まるで変態のような異常ないでたちだが、ついさっきまで、自分自身の体を使って実験データを取っていた。終わったので、白衣を羽織って、その結果をパソコンで整理しているのだ。

 もっとも、じつはナルシストの上、露出狂の気もたしかにある。なにしろ、その水着姿を所員の目に晒すことで、「ああ、部下たちがちらっとあたしの肉体を見てる」と思うだけで、密かな快感を得、それがインスピレーションになって、新たなアイデアが出たことも一度や二度ではない。嘘のようだがほんとの話だ。……とはいえ、その恥ずかしい魔法もきょうは有効ではないらしい。妖艶な超絶美貌にしてサディスティックな本性が透けて見えそうな顔には、憂いの表情が浮かんでいる。

「だめ。どうやってもだめ。こんちくしょう」

 パソコンのキーボードを叩きつつ、モニターに浮かぶシミュレーションデータの数値は、麗狼院を失望させる。

「なんでよ? あたしは天才じゃないの?」

 真っ赤なルージュを塗ったふっくらとした唇で、親指を噛む。

 麗狼院は超天才科学者。自称だが、あながち嘘でもない。十代のころからアメリカに留学し、飛び級しまくったあげく、この年で、医学、薬学、ロボット工学、機械工学、電子工学、化学、生物学の博士号を持つ。

 その麗狼院の最大の夢は、自分の意思を持ち、人間そっくりなロボットを作り上げることだった。

 だが、そのためには人間の脳の仕組みを解明し、それをコンピューターで再現しなくてはならない。それは現在の科学力では限りなく不可能に近かった。そこで考えを変えた。

 だったら、脳は人間のものを使えばいい。

 もちろんコンピューターの電子頭脳とはちがい、機械化された体になりたがる人間はいない。つまり研究を進めるにも、かんじんの脳が手に入らないのだ。さらに、そんな研究に金を出してくれるまともな企業なんてあるわけもない。

 やむをえず、動物実験からはじまった。ネズミ、ウサギ、犬。そこまではかんたんにクリアした。

 そのとき、麗狼院の前にスポンサーが現れた。巨額な研究資金を援助するだけでなく、人間の脳を供給してくれる組織が。

 もちろん、麗狼院はバカではない。その組織の目的が、軍事目的、あるいはもっとあくどいことであることは容易に想像できたが、そんなことはどうでもよかった。自分の手で「生命」を生み出す「神」になれればそれでいい。ほんとうはゼロから命を作り出せれば一番いいが、脳をたんなるパーツと考えれば、似たようなものだ。

 だから、喜んで引きうけた。悪魔に魂を売ったといってもいい。

 だが、今麗狼院は行き詰まっている。

 ロボットの体と、人間の脳がどうしてもうまくつながらない。人間の脳はあまりに自分とちがいすぎる体を、自分のものと認識してくれないらしいのだ。

 だから、今度は人間そっくりのボディを作った。しかしそれでは人間以下のパワーと敏捷性しか発揮しない。スポンサーである組織は、そんなものを望んじゃいなかった。彼らの望むものは人間を超える超人。人間以下のものを大金を投じて作っても無意味。その意見には麗狼院本人も賛成だった。

 どうせ作るなら超人を作りたい。たったひとりで軍隊に匹敵するくらいの戦闘力を備えた。

 だがそうするとどうしても問題が出てくる。

 パワーが足りない。骨格が耐えきれない。

 今一番ほしいものは、人間の筋肉ほどの大きさで、その数倍から数十倍のパワーを発揮する人工筋肉。そしてその力に耐えられる骨格だ。

 ヒント。ヒントがほしい。

 もっとも麗狼院はその件で探偵を雇い、ある調査を依頼をしていた。

 一年ほど前、事故で車の下敷きになっていた子供を助けた少女がいるというのだ。その少女は高校生ほどで、なんと素手で車を持ち上げ、子供を助けたという。もっとも、そのあと、どこへともしれず立ち去ってしまったので、その素性はわからない。

 麗狼院はその話を聞いて、そいつはまちがいなくサイボーグだと思った。

 自分より先にそんなものを完成させている科学者がいることは信じがたかったし、許せない気持ちもあるが、その構造には非常に興味がある。

 だから、なんとしてもその少女を見つけ出したかった。ひいては彼女を作った科学者を。

 手がかりは、その少女といっしょにいた少年が、彼女を「スチーム娘」と呼んだことだ。

 スチーム? 蒸気を使ったのか?

 それはとうぜん考え、自分でも試してみたが、うまくいかない。

 たしかにパワーを出せるが、それだとしょっちゅう水を補給しないといけないし、そもそも水を沸騰させる熱源が必要だ。パワーが出るまで時間的なロスも出る。そう考えると、人間以上の力を出す場合だけそのシステムを使い、通常はべつの動力を使っているのかもしれないが、そのへんがわからない。

 だからどうしてもそのスチーム娘を捜し出したかった。

 解剖してそのメカニズムを解明したい。

 あるいは設計した科学者をとらえてもいい。

 だが、残念ながら、探偵もいまだどちらの情報も得ていないらしい。

 組織に依頼すれば、見つけ出してくれるかもしれないが、それは危険だ。自分がお払い箱にされかねない。なにせ、信じがたいが、もしスチーム娘の話が、都市伝説や与太話でないのなら、自分以上の科学者が存在するということなのだから。

 麗狼院は見も知らぬライバル科学者に激しく嫉妬していた。

 その事件からもう一年たっている。もしその間に、さらに新型のサイボーグを完成しているとすればどうだ。ますます差は開くばかり。

 もし、スチーム娘の話が与太話なら、それでもよし。依然として自分はナンバーワンのままなのだから。

 だが、もし実在するのであれば、それを作った科学者を拉致しなければならない。

 そのまま幽閉し、自分のブレインとして飼うのだ。

 そしてその科学者が以前生み出したサイボーグはことごとく破壊する。そのかわり、その科学者のノウハウに自分自身の知識をくわえ、それ以上のものを作り上げる。

 自分ひとりだけの力でそれを成し遂げられないのは不満だが、仕方がない。そもそも科学の発達とはそのようなものなのだ。

 天才と天才が出会うことで、つぎのステージに進化する。

 キーを叩くと、今までずっと解決策が見いだせなかった問題が、ある方程式を使うことによってこともなげに解決した。モニターの中で式が連動していく。

 ま、まてよ。これを使えば、あたしだけの理論でも、あれを超える力を……。

 その瞬間、麗狼院はイキそうになった。

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