11

「ふう、やっと気を失ったか。まったく、どういう体してんだか。ふつうこんな高圧電流流したら、どんな機械だって壊れるぞ」

 灰枝の声が聞こえる。

 ひかりはまだ失神していなかった。目も見える。ただ、体が動かない。

 ……いや、動いた。まず、びくんと体がはね上がる。それから、小刻みにぴくぴくと。

「ふう、脅かしやがって。痙攣しただけか」

 灰枝は前を向いて、サイドブレーキを戻すと、アクセルを踏んだ。しかし、車はぴくりとも動かない。

「ちっ、電流で車のほうがいかれちまった。計算外すぎるぜ」

 そんな間抜けなひとりごとを聞きつつ、ひかりの体の痙攣は感覚が縮まっていく。

 動け、動け、……動けっ!

 ばっちいいいいん!

 尻のあたりで連結されていた、両手の拘束具と、両足の拘束具を繋ぐ鎖が切れた。

 まだ両足首はつながったままだが、切れた反動で、両足は前……というか、車の天井のほうにはね上がる。そのまま、つま先は天井に穴を開けた。

「な、なにぃ!」

 灰枝の驚愕の叫び声。

 だが、まだまともに動けない。足首を固定している鉄板がある限り、歩くこともできないのだ。

 両足に力を込めた。

 めきっ、めきめき……。

 自分でも信じられないことが起こった。厚さ数センチはあろうかという鉄板が、飴のように伸びた。

「んがあああ!」

 ぶっちぃいいいん。

 両足を固定していた鉄板は、真ん中から切れた。勢いあまって、ひかりの両足は左右に大股開きになるが、そのさい、片方は後ろのドアに直撃、やはり穴を開け、もう片っ方の足は前の座席を粉砕する。

「う、嘘だろ?」

 灰枝の声が、もはや、驚愕というより、恐怖に震えている。

「ふん」

 今度は手だ。やはり、思い切り左右に広げると、金属板がねじ切れる。同時に、両腕と胴を巻いていた鎖の束が、ぶち切れた。

 自由になった手で、猿ぐつわがわりのガムテープを剥がす。これで完全に自由だ。

 今、自分の体に起こっていることを、ひかりはなんとなく理解していた。

 ひとつは電撃による充電。電流が鎖、鉄板、左腕の充電器を通じて、体内に取りこまれた。バッテリーが荷充電気味になって、パワーをもてあましてる。同時に電撃のせいで、パワーを押さえるリミッターが効かなくなった。たぶん、まちがいない。

 だから、あんな鉄板すらぶち切ってしまう。

「う、動くな」

 灰枝の手には銃が握られていた。

「いいか、こいつはそんじょそこらの銃じゃねえ。S&W《スミス&ウエッソン》モデル500だ。五十口径マグナムって、世界最強の拳銃だぞ。人間相手なら、オーバースペックな上、反動がでかすぎて使うやつはあまりいないが、おまえ相手ならちょうどいい」

 たしかにやたらに大きい拳銃だった。だが、その長い銃身が震えている。

 たぶん、撃ちなれていない上、怖がっている。

 だいじょうぶ。顔にさえ当たらなきゃ、どうってことない。

 ひかりは両腕で、顔をガードする。

 そのまま、邪魔な前の座席を蹴った。

 なんとそれはまさに蹴り飛ばされ、助手席にぶち当たると、その助手席がフロントガラスから前に飛び出した。

 そのまま、灰枝めがけてつっこもうとする。

「や、やめろ。来るなっ!」

 鳴り響く銃声。同時に腹に強い衝撃が走った。

 一度ならず、二度、三度。

 その度、ひかりの体はわずかに後ろずさる。

 痛みだってないわけじゃない。皮膚と皮下脂肪の人工有機体は、血液も通っているし、神経だってある。だが、それだけだ。弾は筋肉の鎧を貫いていない。

 ひかりは間合いを詰め、銃身を握った。

 ちょっと熱かったが、気にしない。そのまま銃身をひしゃげる。

「ば、化け物めっ!」

「失礼ねっ」

 ひかりは銃を手前に引っぱった。灰枝はあっさり手放す。

 いきなり、目の前にシャッターのようなものが下りた。

 場所にしてちょうど運転席と助手席の後ろ。材質は金属。こういう万が一の場合を想定して、後ろの席から攻撃できないように防御壁が下りるような設計らしい。

 しかし、ひかりは気にせず、それにパンチを入れた。

 簡単に穴が開く。たぶん、銃弾くらいははね返す仕様なんだろうが、今のひかりには障子紙と大差なかった。

 開いた穴に両手を入れて、びりびりと引き裂く。

 運転席にすでに灰枝の姿はなかった。ドアが開きっぱなしになっている。逃げたらしい。

 すかさず、ドアを開け、歩道に出る。

「どこ?」

 そのままジャンプし、車のてっぺんに飛びのる。そこに立ち上がったまま、きょろきょろとあたりを見まわした。

 いた。灰枝は道路を横断して向こう側の歩道を走ってる。

 不幸にも、通りには車がびゅんびゅん走り抜けている。

「いっけぇええ!」

 ひかりは叫ぶと、思いきりジャンプ。

 一気に向こう側の歩道まで行けるかと思ったが、ちょっと甘かった。

 途中で道路に落ちる。しかも目前に迫る、大型トラック。

「ひええええええ」

 思わず前にダッシュ。トラックの進行方向からはずれたが、べつの乗用車が。

「ごめんなさいっ」

 そう叫びつつ、もう一度ジャンプ。その車の背に飛びのり、そこから歩道まで跳んだ。

 今度は無事、歩道に着地。そばにいた子供が目をまん丸くしていたが、気にしない。

 ひかりは、灰枝のいた方向に向かって走る。

「どこよ?」

 走りながら、左右を見まわす。なんか、視界がぼやけている。

 なんか変だ? そう思いつつ、一瞬立ち止まると、歩道沿いにある店のショウウインドウに自分の姿を映してみた。

 眼鏡がない。いつの間にか落としていたらいい。といっても、なければなにも見えないほどのど近眼でもない。だから、自分の姿はよく見えた。

 ひどい格好をしている。制服がぼろぼろ。とくに腹のあたりは、ずたぼろの上、中のブラウスは黒こげで、お腹丸出し。電撃のせいだ。しかも銃弾を受けたおかげで、だらだらと血を流していた。

 ぎゃぎゃぎゃあ。

 こんな姿で街中を走っていれば、警察を呼び寄せてしまう。

 だが、こんな見知らぬところでは、身を隠す場所すら思い浮かばないし、そもそも今は灰枝を追いかけないといけない。今逃がすと、もう二度と見つけられないかもしれないのだ。

「んもうっ」

 ひかりは両手で腹のあたりを隠しながら、ふたたび走る。

 ん? 少し前に、ボロい格好をした男が必死で逃げていた。

「いたーっ!」

 その声にそいつはふり返る。まちがいなく灰枝。

 ひかりの足が速まる。風のように空気を切りさき、あっという間に距離をつめた。

 え?

 もう一歩というところで、足がかくんとくずれた。

 早い話がすっころんだ。しかも猛スピードで突進していたもんだから、それこそ絵に描いたようにごろごろと。

 そのまま、どっしゃーんと歩道のガードレールにぶち当たった。

 なにが起こったのかわからない。

 ただ、ついさっきまでみなぎっていた全身のパワーが急激に落ちている。

 ひょっとして、高圧電流による急激充電と、その解放のためにパワーを出し過ぎた副作用だろうか?

 あっという間に、ひかりのまわりには人垣ができた。

「だいじょうぶなの、あなた?」

「うわ、銃で撃たれてる?」

「ぼろぼろよ」

 まずい。これって、まずすぎる。

 もう、灰枝を追えないのは仕方ないが、事件にされてしまう。救急車なんかを呼ばれて、病院に運びこまれたら、大騒ぎになるのは目に見えていた。

「な、なんでもないですから」

 ひかりはそういいつつ、立ち上がった。とりあえず、それくらいの体力は残ってる。

「なんともないわけないだろ。起きるな。寝てろ」

「そうよ、そうよ。救急車、呼んだからね」

 事情を知らぬ通行人たちが、叫ぶ。

 ど、どうしよう?

 そのとき、ぶおおんという排気音とともに、野次馬たちが悲鳴を上げて逃げだした。見たらバイクが舗道上をつっこんできてる。

 バイクは、人垣を蹴散らし、ひかりの前までやってきた。

「乗って」

 運転してるのは、水貴だった。制服姿で顔も隠してない。

 水貴がどうやってここをつきとめたのか、一瞬、わからなかったが、たぶん、身体に異常が出て、そのデータとともに位置情報が研究所のコンピューターに送られたんだろう。

 ひかりはこれさいわいと、バイクの後ろに飛びのった。

「つかまって」

 ぎゅっと水貴の体にしがみつくと、バイクは歩道のガードレールを飛び越えた。

 後ろのほうからパトカーのサイレン音が聞こえはじめる。まさに危機一髪。事情聴取なんて冗談じゃない。

 バイクは、呆気にとられたひとたちを尻目に、かっとんでいった。

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