24 固有の魔導

「『ウィンド・カッター』、『マキシマイズ』……!」


 隻眼のガヌロンに立ち向かいながら、魔力で空中に陣を描く。それも二種類。


「『二重魔導』……!」


 アンナの驚く声が、トンネルを吹き抜ける風にかき消される。

 瞬時に別々の魔導陣を生成し、操る。並みの魔導士には真似できない高等テクニック。これが英雄ジョージの魔導魔術。『魔法使いに最も近い男』と称された人間の実力だ。

 追い風を加速させ刃に。そして全身を巡る血流を速め、筋肉を魔力で強化させる。そうして風の刃をまとった拳は、比類なき威力を誇る。

 そのはずが――。


「ぬぅぅらァッ!!」


 肉体強化も付与魔術も施していないガヌロンの手甲が、ただ普通のパンチが俺の拳とぶつかる。

 どれほど筋骨隆々とした大男でも。どれほど上等な武装でも。ジョージの魔導はそれらを切り裂き、打ち砕くはずだった。

 なのに拳と拳はぶつかったまま、互いのパワー勝負となる。魔導が、魔力が――無力化された。


「どうい、う……ッ!?」


 瞬時にバックステップして距離を取る。ガヌロンの蹴り上げた爪先が鼻を掠めた。

 

「ハッハァ……! 逃げてばっかじゃ勝てねーぞ! 来い!」

「くそ……っ」


 挑発には乗らない。この状況で、迂闊に踏み込めるわけないだろう。


 何故ジョージの魔導が通じない。ふと思い返す。そもそもコイツはんだ。

 魔力で封じているはずの厳重な牢を単身突破し。脱獄して逃げた最中に戦った時も、風の刃や盾を易々と破られ、俺は肋骨を折られた。

 何か仕掛けがあるはずだ。相手の魔導を無力化したり破壊する、何かしらの秘密が――。


「……『どうして魔導が通用しないのか。何かカラクリがあるのか?』……そんな分かりやすい顔してんじゃねぇよ」

「ッ……!」


 疑念が表情に出てしまった。内心を悟られるとマズい。既に半分パニック状態なのに、心理的優位を取られると増々劣勢になってしまう。

 素を出すな。立て直せ。俺はクールでいつも余裕綽綽、自信に満ち溢れた世界最高の英雄だ。ジョージ・ジャミロクワイは動揺しない……っ!


「……ふ、ふむ。魔導を無力化されるのならば仕方ない。己の拳で、問題を解決するとしよう」


 再び肉体を強化し、トンネル内を駆ける。

 理屈は分からないが、ガヌロンはジョージの魔導を破壊する。しかし『発動を封じる』事はしていない。あくまで放たれた術式を消失させるだけ。魔導陣を描き、存在する物質や自然現象を魔力で強化する事自体は可能だ。

 ならば、やり様はいくらでもある。


「わざわざ俺の得意な格闘戦で来てくれるとはなァ! 別に聖剣を抜いたって良いんだぜぇ!?」

「我がアスカロンは、貴様程度には勿体ない……!」


 嘘だ。単に、俺じゃ聖剣を扱えないだけ。抜刀すら許してくれないのだ。

 剣も魔法も使えない。だがジョージの肉体スペックでゴリ押す事はできるだろう。

 そう思って――ガヌロンの腹部を、斜め下から抉り取るように殴り付けた。


「……はァ?」

「ッ……!」


 ガヌロンは防御もカウンターもしなかった。のだ。それほどまでに――俺の拳には、『覚悟』が乗っていなかった。


「何だ? その……喧嘩初心者みてぇな、ショボいパンチはよ……」


 ジョージの肉体だ。筋力もスピードも人並み以上にある。何の訓練もしていない常人が喰らえば、一撃でノックダウンできるだろう。

 だが相手は山賊団の頭領だった男。数々の蛮行と闘争の中を生き抜き、本物のジョージと戦った戦士。復讐のために、異常な執着心を見せてまでジョージとの再戦リベンジを誓った人物。

 そんなガヌロンが、満足するはずがなかった。そもそも他人を殴るという事に慣れていない小市民の拳など。


「本当の『殴打』ってのは、こうやるんだよッ!!」


 ――巨大な石が頭部に飛んできた。

 そう思わせるようなパンチを喰らい、俺は後方に吹き飛んだ。


「ジョージ様ッ!」


 アンナの悲痛な声も、酷い耳鳴りで聞こえない。痛ぇ。景色が反転する。一瞬、自分が今どこにいるのか分からなくなった。

 だが泣きはしない。吐き気と眩暈を必死に我慢しながら、立ち上がる。それでも足元はフラついてしまい、とても英雄の余裕など醸し出せない。


「……もういい。ガッカリだわ。本物も偽物も関係ねぇ。テメエはここで死ね」


 呆れた顔を浮かべるガヌロン。アンナやジャミロクワイ騎士団の仲間、国民達の信頼どころか。『敵の期待』すらも裏切ってしまう城島譲治に――自分の情けなさに、申し訳なくすら思う。


 迫るガヌロンの拳。必死でかわし、いなし、防御しても。手甲の拳が肉を打ち、骨を震わせ、ビリビリと英雄の肉体を軋ませる。

 徒手格闘で対抗しようにも、知識も技術も充分に備えているはずの肉体でも、徐々に徐々にと後退させられる。


「ッ……! あァァああッ!!」


 俺はになって叫ぶ

 強い風が吹く。瞬時に魔導陣を描き、風の刃を繰り出す。


「無駄だって言ってんだろ!」


 それすらも、ガヌロンが手を振り払えば『そよ風』のような風速となってしまう。

 瞬間。俺の砲弾のような拳がガヌロンのこめかみを掠めた。


「ッ!」


 ガヌロンは一瞬冷や汗を浮かべたが、首の動きで横に回避し、反撃に俺の鳩尾を膝で蹴り上げた。


「がっ……!」


 カウンターに思わず崩れ落ちそうになる。だが踏ん張る。再び覚悟のない拳を振り上げようとする。もう既に、ヤケクソといった心境だった。

 そんな俺の拳を、足を止めたのは。冷静な思考を取り戻させたのは――ガヌロンの『顔』だった。


「……!?」

「チッ……。眼帯が取れちまったか……」


 ガヌロンのこめかみ付近を通過した俺のパンチ。それ自体はダメージを与える事はなかった。しかし『隻眼』の異名の由来となっている眼帯は外れて落ちた。そこに有ったのは――。


「――義眼……!?」


 。ガヌロンの左目には、人工の『目』が入れられていた。しかもそこに刻み込まれているのは黒目でも宝石でもなく、対象の魔導を分解する術式だった。


「見ての通り、こういうこった。全ての魔導陣は術者固有の構成式になる。同じ魔導でも、扱う者によって描かれる陣は異なる。だが……俺様の『魔眼』は瞬時に記録し、解析し、崩壊させる。誰であっても俺様に魔導を見せた奴は、次の発動時には無力になってる。……テメエを倒すためだけに、大枚はたいた甲斐があったぜ……!」


 得心した。全ての疑問が解けた。だからこそ、ガヌロンはここまで活動できたわけだ。

 強力な拘束魔導の施された牢から脱獄できたのも。世界最強の英雄、ジョージ・ジャミロクワイの魔導が容易く攻略されたのも。全ては眼帯で隠した箇所に、秘密があったのだ。


「全ての人間は生まれた時から固有の『紋』を持っている……。テメエは『風』、帝国のちっこい軍師のガキは『土』。そして俺は……!」


 何か来る。嫌な予感がする。俺は咄嗟に体勢を整えて構え直した。ガヌロンの一挙手一投足を見逃さないようにと。そのつもりだった。

 ――ガヌロンの姿が消えた。


「!?」


 次の瞬間に来たのは、首筋への強烈な衝撃。


「ぐっ……!?」


 意識を手放しそうになる。だが気絶するわけにはいかない。

 瞬時に前へと飛び込む事で、僅かだがダメージを受け流す。殴打なのか蹴りなのかも分からなかったが、アンナを庇うようにして立ち、再びガヌロンを向き合う。


「まだ終わりじゃねぇぞッ!」


 ガヌロンの追撃が迫る。痛みが引かない今、魔導魔術が通用しない状況で、いよいよ視界が『黒』に埋め尽くされていく。

 だがそれでも相手の姿を捉え続けようとして――ガヌロンが、トンネルの天井まで飛び上がったのが見えた。


「!?」

「ハッハァ……!」


 そのまま落下する事なく、手足を土のトンネルに貼り付けたまま、歪んだ笑みで見下ろしてくる。どうなっている。何の魔導だ。

 瞬間。撃ち出された弾丸のように、ガヌロンの拳が迫ってきた。

 風の防壁を出すべきか、いや魔導は無力化されているのだから素手で防御を、それより回避を――。

 悩んでいる間に、頬を殴り付けられた。


「がッ……! ぁ……!」

「……ジョージ様……! もう、止めてください……っ!」


 アンナの懇願はガヌロンへの命乞いか、あるいは俺に「諦めろ」と言っているのか。

 どちらかは分からないが、分かった事はある。ガヌロンの眼球は相手の魔導を見破る魔眼。そしてガヌロン固有の魔導は――。


「……『磁力』、か……!」

「おォ、よく分かったな。大正解だぜ、英雄サマよ」


 バレた所で問題ないといった風に、ガヌロンはニヤニヤと笑う。


 アリデッド要塞の周囲には、地下に多種多様な鉱石が眠っている。ほとんどが価値のない物だが、中には磁力を帯びた物質も眠っている。ジョージの記憶の断片にある、地質調査をした際の穏やかな日常の思い出が教えてくれた。

 俺が退路のために作ったトンネル。その中に混入した磁石。それを用いて、手足の武装に描いた魔導陣でガヌロンは反発と収束を操る。壁や天井に貼り付くのも、離れ合う力を利用しての高速移動も可能。まったくもって、厄介な相手だ。


 そしてガヌロンの強さの秘密が分かった所で、俺じゃどうにもできない点が、本当に厄介で救いようがない。


「さァ、テメエが本当に英雄なら……! ジョージ・ジャミロクワイなら! この程度、切り抜けてみせろやぁ!」


 磁力の反発を利用して、ガヌロンが超高速で迫る。

 その一撃を――ただ、腕を交差させ防ぐ事しかできなかった。


「ッ……!」


 声が漏れる。泣きそうだ。痛い。どうしてこんな事をしているのだろうかと、もう何度目かになる自問が脳を支配する。

 防御してもそれ以上のパワーでジリジリと体力を削られる。反撃しようにも疲労した肉体と弱った小市民の精神では、どれほど殴っても有効打にならない。

 魔導はガヌロンの義眼で見破られている。聖剣は抜けない。


「……ははっ」


 何度も殴られ、服の中は痣だらけ。鏡はないが、傷だらけの酷い顔だろう。あちこち痛み、口の端が切れて流血し、綺麗な顔が台無しだ。

 ここまで為す術が無いと、こんなにも自分が無能だと――渇いた笑いしか出てこない。


 もうダメかなと思った。所詮、俺の限界なんてこんなものだ。


「ジョージ様! 逃げてッ!」 


 アンナの声に反応して顔を上げる。

 次の瞬間、俺の顔面は土の大地に叩き付けられた。もはや痛みすらも感じない。


「……チッ。……ようやく仕留める事ができるってのに、俺様が求めたのと……。全然違うじゃねーか……」


 悪かったな。でも、もうジョージは居ないんだ。ここにいるのは、ただの城島譲治だから。


「こんな奴に討たれた俺の部下共が浮かばれねぇ……。……いや。所詮は、ただのハリボテ野郎だったのかもしれねぇな。騎士団も国民も教皇庁も、全員騙されていたってわけだ。ジョージ・ジャミロクワイという詐欺師によ」

「………………」


 ……は?


「安心しろよ。テメエの首を持ち帰って、世界中に晒してやる。全員の目を覚まさしてやるよ。『ジョージは稀代の嘘つき野郎でした』ってな」


 ガヌロンは、もうそれしか楽しみがないとばかりに愉快そうに笑う。

 だが俺は笑えない。腹の奥底から、ふつふつと何かが煮えたぎってくる。


「……け、んな……」

「あ?」


 約束を守れないのは、ジョージじゃない。


「ふざ、けんな……!」


 拳を握り、倒れた状態でガヌロンを見上げる。


「嘘つきなのも弱虫なのも無力なのも、全部俺だ……! 俺のせいだ……!」

「あぁ、だからジョージ・ジャミロクワイは……」

「アイツは……! あの男は……! 自分が血塗れのボロボロになっても、自分が今にも死にそうなのに、足を挫いた俺を治してくれた奴だ……!」


 『幽霊トンネル』で初めて出会った時。白石さん達に置いて行かれ、捻挫した足の痛みに悶える俺を。治療魔導で治してくれた。

 最強の英雄なのに。死にかけなのに。一般人である俺に頭を下げ、仲間を、国を助けようと足掻いていた。


「あんなにナルシストで、自信家で、尊大で……! でも皆から信頼されて、それを決して裏切らないアイツが、嘘つきなわけねぇだろ……!」


 隠し事はあっても、嘘をつく事はなかった。いつだってアイツは俺を、誰かを、英雄として周囲を気にかけて守ろうとしていた。たとえ初対面の異世界人に肉体を任せ、自身は宝石の体になってしまったとしても。


「自分の魂が消える、その一瞬前まで……! 死ぬ間際に、誰かを心配できる奴が! カメラに向かって『幸せに』って呟き続けた奴が! ジョージ・ジャミロクワイが! ジョージを! アイツを! 俺の、俺達の英雄を!! 馬鹿にするんじゃねぇえ!!!」


 狼狽えるガヌロンの足首を掴む。まだだ。まだ終われない。

 俺は英雄じゃない。英雄の代理も満足にできない。だけど――。

 俺を友達と言ってくれた奴を。友達との約束を破る事だけは、まだ諦めたくない……!

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