英雄代理の小市民

及川シノン@書籍発売中

英雄の代理人

 眼前には3000を超える赤銅色アカガネの兵士達。膨張色の赤備えが、その殺意すらも増大させているように感じる。

 大地を揺るがすほどの進撃、咆哮、士気。

 最終防衛ラインだったはずの砦には既に敵国の国旗が掲げられ、新緑の平原は、見渡す限りの赤一色だった。


 それに対する味方は僅かに500。多くの者が傷付き、槍は折れ、剣の刃は欠けている。

 彼らは今から、濁流に呑まれる枯れ葉よりも容易く吹き飛んでしまうだろう。


 だが俺の背後からは、絶望は感じない。いや、実際は恐怖と諦めに支配されていたのだろう。つい先程までは。

 今は違う。皆が俺の背中を見ている。

 暗闇の中に差し込まれた光を見るように。

 長いトンネルの先に見えた出口を眺めるように。

 その視線を向けている。


『……さぁ行くぞ。往くぞ、征くぞ。ジョージマ・ジョージ! 名乗りを上げろ、旗を掲げろ、この場で示せ! 欲しいのは単なる勝利じゃない。歴史に名を刻むほどの、敵の戦意を根こそぎ奪うほどの完全勝利だ!』


 胸元に飾られた宝石ブローチから、直接俺の脳内に声は響く。いや、『俺の脳』ではないな。厳密には。

 返答の代わりに右手に持った軍旗を、何十kgもありそうな重い鉄棒を、俺は片手で持ち上げる。風にたなびくその旗には、日輪模様に守られた聖なる十字が刻まれていた。


『キミならできる。キミも既に感じているはずだ。その筋力なら、その魔力なら! 全身に満ち満ちる英雄としての力が、この私が、このジョージ・ジャミロクワイの全力が! キミの魂に完全勝利をもたらすだろう!』


 足が震える。

 英雄としての肉体が戦いを望んでいるのか、俺の魂がビビっているだけか。両方かもしれない。

 だが同時に、今まで経験したことのない万能感も認識している。

 何百人分ものエネルギーが、俺の身体をカタチ作っているかのようだ。凝縮されている。不可能な事なんて、何もないように錯覚してしまう。

 こんな気分は初めてだ。恐怖と興奮が、一緒くたに襲ってきている。

 でも、もしも。もしも本当に、俺に出来るなら――。


 ……さぁ、そろそろ行こう。もう時間もない。


 状況は最悪。

 敵は大国。

 率いる味方は敗残兵。

 万に一つも勝てそうにない。


 だが、だからこそ。

 俺は声を上げなくちゃならない。

 俺だけは不敵な笑みを浮かべていなくちゃならない。

 七十億分の一の確率で『英雄の代理』に選ばれてしまった俺が、やらなくちゃいけないんだ。


 まずは、国を一つ救うところからスタートだ。


 駆け出そう。世界最強の英雄の肉体と、どこにでもいる凡百な学生の魂だけで。


「行くぜ、ジョージ」

『行くぞ、譲治!!』


 始めよう。俺とお前の、英雄譚を。

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