1話
1 血濡れの亡霊
「おーい城島ぁ、ソレちゃんと撮れてんのかぁ」
「もうチョイゆっくり進んだ方が良いんじゃね?」
「アタシこわーい」
「……大丈夫。ちゃんと撮れてるよ……」
夏休みを目前に控えた頃。
一学期末のテストも終わり、何となしに気の抜ける季節。
俺は右手に持つビデオカメラのレンズ越しに、長いトンネルの暗闇と、左手のライトに照らされるクラスメイト3人を撮影していた。
俺達4人が来たこのトンネルは、『幽霊トンネル』として有名な心霊スポットらしい。
十年くらい前にトラック事故だかで複数の死者が出たために、それ以降幽霊の目撃情報が絶えない場所だそうだ。
現在では新しく開通したバイパス道路に需要を持っていかれ、このトンネルを通行する車はほとんどいなくなったらしい。
……「らしい」だの「だそうだ」と言うのは、俺がこの肝試しに積極的に参加したわけではないからこそだ。
「城島ぁ、マジでちゃんと撮っとけよ。幽霊映ったら、YouTubeにアップすっから!」
「そしたら一気に有名人じゃん!」
「え~、そんな上手く映るかなぁー」
「ははは……」
愛想笑いするだけでも面倒だ。どうしてこうなった。
全てのきっかけは、今この手に持つビデオカメラだった。
一学期でまだ他者との交流が薄い時期に、ウチの学校では『親睦会』と称してオリエンテーションが行われる。
内容自体は大した行事ではないのだが、それでも目立つ事を嫌う俺は『撮影係』に名乗り出た。
撮影係なら、ただクラスメイト達の様子を撮るだけで良い。その後の体育祭や文化祭なども「俺、撮影係だから……」と言って面倒な役職をスルーすることができる。
我ながら世渡りが上手い名案だと思った。
しかし、そこに思わぬ落とし穴があった。
「すっげーハイスペックなんしょ? 幽霊もバッチリなんじゃね?」
カメラやパソコンといった電子機器に詳しい奴が、「それ最新のモデルだよね?」と食いついてきたのだ。
俺は単に親から借りたビデオカメラという認識くらいしかなく、そんなにモノの良い一品だとは知らなかった。
そこを、コイツらに目を付けられた。暗闇の中でも鮮明に撮影できることを知ったクラスメイトが、俺も交えての肝試しを企画したのだ。自分達の持っている
「しっかし、雰囲気あるなぁ」
「マジで出そうじゃね?」
「ヤダ、やめてよー」
出るわけないだろ、幽霊なんて。
疲れるだけだし面倒だし、時間の無駄だ。
なんてことを、思っていても言わないのが社会の常識ってやつだ。
無理に拒否して断ることもできた。「お前らのバカ話に乗るほどヒマじゃない」と、つっぱねる事だって不可能じゃなかった。
だがそれは、俺の思う『スマートな生き方』ではない。
ここでクラスメイト達との軋轢を作って、イジメの標的にされたり孤立するのは愚の骨頂。
目立たず、しかし馬鹿にされることもなく。
交流の輪に深くは立ち入らず、しかし疎外されることもなく。
中立中庸こそが最も難しく、そして最も賢く幸福な存在だ。俺は『そこ』に至るのだ。
それが俺の生き方。目指すライフスタイル。この『
「こんだけ雰囲気あると、やっぱ期待しちゃうよな!」
期待なんてしない方が良い。幽霊にも、人間に対しても。
どうせ何も起きず、何も出てくることもなく。そのうちコイツらも飽きて解散するだろう。それまで少しの辛抱だ。今後の学生生活を円滑に送るための出費だと思えば、この空虚な時間もそんなに無益じゃない。
「ねー、城島君。何かあったら助けてね」
「えっ……いや、う、うん……」
クラスでは右斜め前の席に座る白谷さん。入学当初から密かに男子達の間で人気のある子だ。
この肝試しには制服ではなく私服で来ており、ラフなTシャツと紺のハーフパンツから伸びるスラリとした手足が、その白い肌が、真っ暗なトンネルの中でも淡く発光しているように見えた。
そんな彼女に不意に接近されそんな事を言われ、内心ドキマギしてしまう。
しかし油断してはいけない。三年のサッカー部だかバスケ部のキャプテンに告白されたとか、少し前に噂で聞いた。イケメン先輩からの告白にOKしたのか、そもそも真偽すら不明だが、騙されてはいけない。いや、別に白谷さんが騙しにかかってきているわけではないだろうが。白谷さんは誰にでも優しい素敵な性格の人だ。
「白谷さぁん、城島は手が塞がってんだぜ? ムリムリ!」
「あはは、そうだね。ごめーん」
茶目っ気たっぷりに謝る白谷さんに、俺も含め男三人の頬は緩む。
この面倒な肝試しを企画したことは鬱陶しく思うが、散々頭を下げて半ば強引に白谷さんを参加させた点だけは、褒めてやれないこともない。むしろグッジョブだ。
暗闇でのハプニングや吊り橋効果を期待しているわけではない。
しかし俺の平穏なる生活に、多少のスパイスくらいはあっても良いんじゃないかと思い始めていた。
スパイスと言っても、甘い方向の。
「……ん?」
「なに?」
「どうしたの?」
「……?」
だから、『こんなの』は期待していなかったんだ。
「ライト、ライト向けて」
「え、何? 何? ちょっとマジでやめてくんね?」
「誰……? 誰かいる……!」
「っ……!?」
背筋も凍るような、刺激的すぎるスパイスは。
非科学的な思い出なんて、要らなかったんだ。
「……ア゛ー……、う゛……ぁあ゛……!」
低く唸るような声が。白くぼんやりした人影が近付いてくると共に、その声は俺達の鼓膜をザラザラと撫でる。
ライトの光を正面に向け、俺達は誰も声を上げず、上げることもできず、身動きすることすらできなかった。まるで金縛りにでもあったかのように。
眼球だけは動く。
ビデオカメラを見る。
しかし画面には何も映っていない。
レンズ越しにも。
だが肉眼で確認すると、『それ』は確かに近付いて来ていた。
呼吸は浅くなり、心臓の鼓動は一気に速くなる。
白い人型との距離が縮まる度に、蒸し暑さが死んで行く。
トンネルの中は夏場だというのに急激に冷え込み、なのに滝のような汗が止まらなくなる。
ヤバイ、ヤバイ。何だアレ。
俺達と同じで肝試ししている人間? そんなの有り得ない。トンネルの向こうは県境の長い山道で、車で10分移動してやっと民家の明かりが見えるレベルだ。
そんな場所から誰が徒歩でやってくるのか。そもそも何で唸っている?
そもそもどうして、呻き声と共に聞こえるこの金属音――刃物で地面を擦るような音まで聞こえてくる?
有り得ない。こんな事あって良いはずがない。こんな異常事態。俺は平穏で平和な人生を送るんだ。こんなの望んでいない。こんな――。
――その時。
白谷さんの持つライトが、ハッキリとその人影の姿を捉えた。
「……ダ、れ……ガぁあ゛……!」
全身を真っ赤に染めた男が。
頭からボタボタと血を流し、左手に血塗れの長い刃物を持ち。
覚束ない足取りとは正反対に、光を反射して異様にギラつく眼光を向ける男が――俺達の前に現れた。
「――――――!!!!!」
それはもう、誰の悲鳴なのかすらも分からなかった。
金縛りが解けた身体で、張り詰めた弓の弦が切れたように。弾かれるようにして
企画主催者の男2人は、真っ先に俺の横を通り抜けていった。脇目も振らず、全力疾走で入り口を目指す。
だが女子である白谷さんは出遅れた。しかも恐怖からか足元が覚束なかったのか、無理な走り方で盛大に転んでしまった。今まで聞いたこともないような、鬼気迫る声と共に。
「白谷さ――」
目の前で転んだ白谷さんに、俺は咄嗟にライトを投げ捨て、彼女に駆け寄って手を伸ばした。
本当は俺だって一目散に逃げたかった。元来た道へ駆け出したかった。だがここで白谷さんを見捨てては、平穏な生活どころか、俺はただのクソ野郎として一生を過ごすことになる。
『最悪の場合』が起きたら、俺は今日のことを死ぬまで後悔する。寝付けなくなる。何度も夢に見る。夜中でも飛び起きる。
それは俺の求める、平穏なる精神の暮らしではない。
別にここまで長々とした思考があったわけじゃない。だがそれでも、俺は白谷さんを助けようとしたんだ。だから手を差し出したんだ。
――だってまさか白谷さんに、手を振り払われるとは思わないじゃないか。
鞭か何かで叩かれたような衝撃が左手に走り、俺は白谷さんに突き飛ばされた。
「えっ?」
そして白谷さんもまた、
尻餅をついて立ち上がろうとする俺の足を、全体重をかけて踏みしめていってから。
「うあああああああああああああああああッッ!!!」
一瞬何が起きたのか分からなかった。
だがその焼け付くような激痛と、足首の内側から真っ赤に燃えたナイフを押し付けられたかのような熱に。俺はもう、白谷さんの行動が故意であろうが事故であろうが、そんな事はどうでも良くなっていた。
痛い、痛い、痛い痛い痛い!
どうしてこうなった。どこで間違えた。俺はただ、トラブルやストレスのない生活を送りたかっただけなのに。
やっぱり肝試しになんて参加しなきゃ良かった。
その前に、高価なビデオカメラを持ってきた時点で悪目立ちしていたんだ。
そもそも撮影係になんて手を挙げなければ。
それ以前に、もっと本気を出して遠くとも偏差値の高い学校に行っていれば――。
痛みと恐怖で、とりとめもない考えがいくつも脳を駆け巡った。そうでもしないと、とても耐えられそうにもなかった。
気付けば血まみれの亡霊は、俺の目の前にまで来ていた。
あぁ、俺はここで死ぬのだなと。
沸騰する思考のどこか冷静な部分で、その事実を受け入れていた。
後悔はたくさんある。平穏な人生を送る、まだその準備段階でしかないのに。だが、どうしようもない。
血走った瞳が俺を射抜く。その手に持った長い剣で、俺の心臓も貫くのだろう。できることなら痛みは少なくしてほしい。
しかし。そんな俺の思い全てを。頭から血を流す亡霊は、たった一言で打ち消してしまった。
「――怪我を、している、のか……?」
「え……?」
「アンタよりは軽傷だよ」とは、流石にこの状況で口から出てこなかった。
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